俺たちは屋敷の門を潜る。
バルトが鍵のいっぱいついたリングを取り出した。そのうちの一つを掴むと、正面の大きな扉を解錠する。
ギイイイイ、と軋んだ音を立てて、大きなドアが開く。
そして、建物の中に入った瞬間、俺に嫌な空気がまとわりついた。ジメジメとした澱んだ空気だ。ちょっとカビたような匂いもする。
「ゲホゲホッ」
「大丈夫、フォル?」
「ほこりっぽい……」
何よりも、埃がすごかった。地面には足跡が残るくらい埃が積もっているし、周りの調度品にもついている。長い間、全然掃除されていないんだろうな……。
「さいごにここにはいったのはいつ?」
「フォルが生まれる前だから、四年くらい前になるだな」
そりゃ、四年間も放置されたらこうなるよな……。
「とりあえず、皆ここに集まってくれ」
荷物を持った俺たちは、バルトの指示で一階のホールに集まる。アリーシャさんが持つランプの灯り以外の光源がないため、昼間なのにとても暗かった。
「まずは荷物をここに運び込もう。埃っぽいが我慢してくれ。荷物を入れられたら、使えそうな部屋で動きやすい服に着替え、再度ここに集合しよう」
「オッケーです!」
バルトの指示にジンクさんが答える。そして、今度はハンターに向き直る。
「ハンターの諸君は、荷物を運び終えたら玄関前に集まってくれ」
「了解っす」
「それでは、作業開始!」
バルトがパンと手を叩いたのを合図に、俺たちはそれぞれ動き始めたのだった。
※
シャルがガチャンと窓を開ける。澱んだ空気が少し通るのを感じながら、俺は魔法を唱えた。
「『イグナイト』」
次の瞬間、壁に設置されているオイルランプに、およそ四年ぶりに火がつく。その間に、シャルが次のオイルランプを掃除し、オイルを継ぎ足していく。
それが一定距離分終わったら、俺が『ウィンド』で次の区間の廊下の埃を取り払っていく。
俺たちは、この屋敷の二階の廊下で、ずっとこの作業を繰り返していた。
荷物を運び入れた俺たちは、着替えるための部屋を探した。だが、四年間も放置されてきた屋敷にまともな部屋があるはずがなく、異様に埃が溜まっていたりカビが生えていたりと、いい部屋がなかなか見つからなかった。
しばらく探した結果、二階にマシな一室を発見したので、俺とシャルはそこで着替えることにした。しかも、その部屋にはなんとか寝られそうなダブルベッドが備え付けられており、日当たりも良好、風通しも良さそうだったため、俺たちはしばらくその部屋で寝泊まりすることに決めた。
着替えた後、バルトの指示通り、一階のホールに集合した。全員集合したところで告げられたのは、今からこの屋敷を掃除する、ということだった。
二人一組のペアを組み、掃除道具を手渡されると、それぞれ担当の場所を指示される。俺はシャルと組んで、自分たちの部屋がある二階の掃除を任されたのだった。
当初俺は、ここに来ることがあらかじめ決まっていたのなら、事前に清掃業者を雇って、俺たちが到着する前に掃除してもらうべきじゃないのか? と疑問に思った。
しかし、バルトの説明によると、業者に依頼していたはずなのだが、何かの手違いで来ていないのだという。そのため、バルトは護衛のハンターたちへ報酬を支払いにいくついでに、業者のところへいくつもりらしい。
それまで、掃除せずに待つわけにもいかないから、せめて俺たちがよく使う部分だけでも掃除してしまおう、ということで、屋敷の一部を簡単に掃除することになったのだった。
それにしても、この屋敷、広いな……。
ずーっと廊下が続いていて、いくら掃除しても終わりが見えない。窓の反対側には、それぞれの部屋に通じるドアがズラーっと並んでいる。この扉一つ一つの向こうに部屋があることを思うと、果てしなさを感じる。もし部屋まで掃除することになっていたら、気が滅入るどころではない気分になっていただろう。
幸いにも今回は、使わない部屋は掃除しなくても良い、とのことだったので、掃除するのは廊下だけだった。
「それにしても、フォルはすごいや」
「なにが?」
「魔力だよ。さっきから何度もランプに火をつけて、風で掃除しているのに、全然平気そうだよね。本当に魔力切れにはならないの?」
「うん。ぜんぜんへいき」
「そっかー、頼もしいな〜」
オイルランプに着火するときに使っている、火系統初級魔法『イグナイト』の魔力消費量は二十。そして、埃を掃除するときに使っている、風系統初級魔法『ウィンド』の魔力消費量も同じく二十だ。対して、俺の魔力量は二千七百五十二。単純計算で、魔力消費量二十の魔法なら、百三十回以上も使える。
それに、魔力は完全に使い切ってから回復するのではなく、満タンから少しでも減れば、その時点から、減った分を補おうと回復していく。そのため実際はそれ以上の回数使えるはずだ。
こうして、ランプを灯しながら掃除を繰り返していると、いつの間にか窓の外は暗くなっていた。廊下を照らすのは、俺たちが灯していったオイルランプの火だけだった。
振り返ってみると、自分たちが掃除してきた廊下が奥までずっと続いている。廊下は、ピカピカとまではいかないが、埃をあらかた除去できたし、窓を開けたことで風通しもかなりよくなった。
「日も沈んできたし、そろそろ戻ろっか」
「うん」
バルトからは、日が沈んだら一階のホールへ戻ってくるように言われている。まだ全部は掃除できていないが、ここらで一旦切り上げるべきだろう。お腹も空いてきたし。
だが、俺には一つ心配なことがあった。
「ねえ、シャル」
「ん?」
「ほーるには、どういけばいいの?」
俺は、自分の現在地がさっぱりわからなくなってしまっていた。
この屋敷はとても広い。しかも、前も後ろも、片側に窓、反対側は同じようなドアがずっと並んでいるという、変わり映えのない廊下が続いている。初めてこの屋敷に入った俺は、すっかり方向感覚を失っていた。
しかし、シャルは全然不安に思っていないようだ。
「大丈夫だよ! わたしに任せなさい」
そう言って、胸を張るシャル。本当に大丈夫かな……。
「なんたって、生まれてから四年前までこの家に住んでいたからね!」
「え、そうなの?」
「うん。そうだよ」
知らなかった……。確かに、バルトが『最後にこの家に来たのは四年前』とは言っていたけど。
「もしかして、みんなでここにすんでたの?」
「うん。フォルが生まれる数ヶ月前に、ラドゥルフに引っ越したんだ」
てっきり、元からラドゥルフに住んでいたのだと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。
ともあれ、シャルがここに長い間住んでいたと分かれば、安心だ。きっとホールまで辿り着けるだろう。
「それじゃあ、行こう!」
「うん!」
俺は、堂々と歩くシャルの後ろをついていった。
しばらく廊下を歩くこと数分。シャルは突然立ち止まる。
余りにも突然だったので、俺はシャルの背中に追突しそうになった。
「どうしたの?」
「あー……」
俺の問いには答えずに、シャルが頭をかく。
なんだか嫌なよかーん……。
これまで掃除してきたところを進んでいるため、廊下はランプの光に照らされている。しかし、やはり電球などの照明とは違って、廊下全体を照らすほどの輝きはなく、揺らぎが生じている。
知らない場所。変わり映えのないどこまでも続く同じような景色。何があるのか全く知らない壁に並ぶ扉の向こう。どこかのホラーゲームに出てきそうなこの様子に、俺はどうしようもなくゾワゾワとした不安と恐怖を感じ始めていた。
壁に並んでいるいくつものドアは一つも開いていない。当然、その中の部屋に人はいない……はずだ。
だが、この状況では、いつどのドアから何が飛び出してきてもおかしくないような気がしてくる。俺の勝手な妄想だとわかっていても、一度恐怖に取り憑かれてしまった俺の心は想像を止めてくれない。
どこからか木材が軋む音がする。
「ひっ……!」
余りにも怖くて、シャルの服を掴んで小さくなる。
ヤダヤダヤダ、ホントに怖い。怖くない! と気を奮い立たせたくても心臓はうるさいままだし、恐怖は消えてくれない。
そもそも俺はそこまでホラーに耐性があるわけではない。
「もう、フォルは怖がりだねえ」
シャルはそんな俺の様子に気づいて苦笑する。
「ごめんね、フォル。しばらく我慢の時間が続くかも」
「え、それって……」
「……ごめん、道に迷った」
「シャルウウウウウウ!」
俺の嫌な予感は見事に当たってしまった。
なんで迷うんだよ! 生まれてから四年前まで、この家に住んでいたんじゃないのかよ! 離れていた四年間で忘れちゃったのか⁉︎
だからといって、俺にホールへ辿り着ける術があるわけではない。せいぜい、シャルとはぐれないように、彼女の服の裾をしっかり掴むことくらいしかできない。
窓を開けて風通しを良くしたことが裏目に出たようで、ガタガタガタと、そこかしこからドアが風で小さく揺れる音が聞こえる。
怖すぎる……。俺はもはや涙目になっていた。
「も、もう、怖がりだなぁ、フォルは」
裾を掴む力が強くなったのを感じたのか、シャルが呟く。
しかし、そんなシャルの声も腕も、少し震えていた。
俺たちが迷子になってからかなりの時間が経った。すでにだいぶ歩き回っているのに、一向に下へ続く階段が見つからない。ずっと変わり映えのしない景色が続いている。
こんなに階段が見つからないのはさすがにおかしい。広さに対して階段の数が少ないという、屋敷の構造的なところに原因があるのか。それとも、シャルがあまりにも方向音痴すぎるだけなのか……。
もしかしたら、このまま一生廊下を彷徨うことになるんじゃないか、とさえ俺は思い始めた。
と、その時。
「フォル?」
どこからか、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声は反響して廊下に消えていく。
今の、誰の声……?
聞こえてきたのは明らかにシャルではない。幼げな男の子の声だった。
シャルも聞こえたらしく、辺りを警戒して見回す。
もしかして、この屋敷に住む亡霊……?
「フォルだよね?」
また聞こえた。どうして俺の名前を知っているんだ⁉︎ 恐怖でちびりそうになる。
「みつけた」
もう一度、今度ははっきりと、とある方向から声が聞こえた。
俺たちがサッとその方向を振り向くと……。
そこには、茶色の髪をした俺と同い年くらいの男の子が立っていた。
「ギャアアアアアアアアアァァァァァァァ!」
「出たあああああああ!」
俺は大声で恐怖のあたり叫び声をあげ、尻餅をついた。
あ、ああう、と恐怖のあまり立てなくなる。
マジで失禁しそう……。
一方、そいつはその場に留まっている。
すると、俺と同じく叫び声をあげたシャルが、急にハッと何かに気づいたような顔をした。そして、恐る恐ると言った感じで、その男の子に近づいていく。
「あれ、もしかして君は……」
「あ、う」
「ジンクさんとこの子の……?」
シャルが男の子の腰に視線を移し、俺もそれに追随する。
そこには、ベルトに挟まれた見覚えのある木剣があった。
「ルーク?」
俺の口からそいつの名前が飛び出た。
「あ、うん、さがしに、きた」
とルークは照れくさそうに頭をかいた。
その後、俺たちはルークの案内で、無事に一階のホールに戻ることができた。そして、シャルはバルトに、『初めて屋敷に来たルーク君は迷わなかったのに、十年以上も住んだことのあるお前は……』と呆れられたのだった。