翌週、朝十時の十分前。俺はクリークに足を踏み入れると、掲示板の表を見る。
ジョン先輩の列と俺の行がぶつかるところには、×印が書かれていた。俺が降参したため、当然俺の負けである。
俺は他の試合の結果も確認する。
第二試合、シャーロット先輩対リンネ先輩は、シャーロット先輩の勝利。
第三試合、エリック先輩対ダイモン先輩は、エリック先輩の勝利。
第四試合、アーチェン先輩対カンネ先輩は、アーチェン先輩の勝利。
第五試合、キャサリン先輩対ローガン先輩は、キャサリン先輩の勝利。
以上より、暫定順位はエリック先輩が七勝で首位。アーチェン先輩が六勝一敗で二位。ジョン先輩が五勝二敗で三位。キャサリン先輩が四勝三敗で四位。そして、俺、ローガン先輩、カンネ先輩、シャーロット先輩が三勝四敗で五位。ダイモン先輩が一勝六敗で九位。リンネ先輩が七敗で十位だった。
今日から八回戦が始まる。今回の俺の相手はアーチェン先輩だ。
マジで何も知らない、今までで最も謎の多い先輩だ。いったいどんなスタイルで何を使って戦ってくるのか、全てが未知だ。
練習場に入ると、アーチェン先輩はすでに練習場にいて、ストレッチをしていた。
「こんにちは。きょうはよろしくおねがいします、アーチェン先ぱい」
先輩はこちらを見ると、無言で頭を少し下げた。やはり、口数はあまり多い方ではないようだ。
観客席を見ると、今までで一番多い人が集まっていた。俺が戦っていないエリック先輩と、アーチェン先輩が戦っていないリンネ先輩以外は全員、この試合を観戦する権利を有しているからだ。
アーチェン先輩がストレッチを終えて立ち上がると同時に、ジェラルド先生が発言する。
「んじゃぁ、そろそろ始めていいか?」
「はい」
アーチェン先輩も頷き、俺たちは数メートルの距離を取って相対する。
場内が静かになる。それを先生の張り上げた声が破った。
「それでは、第八回戦第一試合、アーチェン・マック・シルベスター対フォルゼリーナ・エル・フローズウェイを始める!」
次の瞬間、ゴーン! と鐘の重低音が響き、試合が始まったのだった。
※
「『ファイヤーボンバー』!」
俺は魔力視と身体強化魔法を発動すると、すぐに『ファイヤーボンバー』で攻撃する。まずは小手調べ。相手がどのような対処をするのか観察だ。
「────」
すると、相手がこちらに手をかざして何かを呟いた。声が小さすぎて何を言ったのかは聞き取れなかったが、魔力視で魔法が見えたので、何らかの魔法を発動したのは確かだった。
そして、異変が起こる。
「……あれ?」
火球が発生しない。どうやら魔法の発動に失敗したようだった。
魔法の発動に失敗することは、決して珍しいことではない。難しい魔法を発動しようとしたり、初めてその魔法を発動しようとしたりするときはよく起こる現象だ。
だが、俺にとって『ファイヤーボンバー』は、もう何十回も発動している魔法だ。失敗する確率はほぼゼロに等しい。
俺は首を傾げながら、もう一度発動する。
「『ファイヤーボンバー』!」
今度はより確実に発動するように、二重発動で二連撃しようとする。だがそのどちらも、不発に終わった。
今回も、俺が魔法を発動しようとしたら、アーチェン先輩がこちらに手をかざして何かを呟いていた。
三回連続不発なんてあり得ない。間違いなく先輩の仕業だ。
だとしたら、魔法の発動を先輩に悟られないようにすればいいのではないか?
そう思った俺は、無詠唱で『ファイヤーボンバー』を発動しようとした。
だが、先輩は俺が発動しようとしたのを察知したようで、バッとこちらに手をかざしてまた何かを呟く。そして、また魔法の発動に失敗した。
そうか、魔力視で、無詠唱でも魔法を発動しようとするのがわかっちゃうのか!
さて、問題はアーチェン先輩はいったい俺に何の魔法をかけているのか、ということだが……。実は、俺にはすでにその正体に心当たりがあった。
そうであってほしくはない、と思いつつも、それかどうかを確かめるべく、俺はまた魔法を発動しようとする。
「『ロックウォール』!」
本来ならば、これで俺の目の前に岩壁が現れるはずだ。
だが、これも失敗に終わる。その際、何か強力な膜が手のひらを覆っていて、魔力の流出が妨げられているような感覚があった。
そして、俺はこれに覚えがあった。三歳の時、王城でのパーティーで魔法を使おうとした時に感じたそれだ。
「……『結界魔法』!」
結界魔法。ある範囲の魔法の発動を妨害する魔法だ。
だが、この魔法はかなり特殊で、普通は魔法陣を使って発動するものであり、人間がこれを発動することはほぼない。
当然ながら、この結界魔法は、基本四系統どころか六系統のどれにも分類されない系統外魔法だ。系統外魔法は発動が難しく、その人にしか発動できない、という魔法も多い。
そんな結界魔法を、どうやらアーチェン先輩は発動しているようだ。
ちなみに、結界魔法陣が刻まれている魔道具を持ち込んでいる可能性はない。なぜなら、結界魔法陣はその特殊性ゆえ、たとえ小規模な結界を発生させるだけでも、大きなスペースを確保して複雑な模様を構成しなければならないからだ。今のところ、手軽に持ち運べるレベルの大きさに結界魔法陣を収める技術は存在しない。
というかそもそも、魔道具を持ち込んでいるなら、試合前に俺の目の前で先生がチェックするはず。それがされていない時点でアウトだ。
きっと、先輩はこれが得意魔法なのだろう。だから自己紹介の時、適性系統の紹介で口篭ったわけだ。
さて、こうなると非常に厄介だ。現状、攻撃手段である魔法がほぼ奪われてしまっているので、何もできない。
今俺にできるのは魔力視および身体強化魔法のみだ。後者には『魔法』という名前が付いているが、厳密には『魔法』ではないので、二つとも結界魔法の対象外だ。
ワンチャン、効果範囲とかがあって、ある程度離れれば魔法が発動できるんじゃないか……?
俺は勢いよくターンすると、アーチェン先輩からダッシュで離れる。そして、勢いよくジャンプするとそのまま浮遊魔法を発動する。
「よしっ……」
その結果、俺は上昇し始める。みるみる地面が遠ざかっていき、これなら逃げられそうだ、と思った瞬間、突然魔法が解除される。
「うわぁあああ⁉︎」
少しの浮遊感の後、すぐに自由落下してしまう。幸いにも、まださほど高いところまで上昇していなかったため、着地時に骨折などはしなかった。それでも、衝撃でジーン! と足全体に衝撃が伝わり、少しの間、俺は動けなくなる。
そんな俺に向かって、先輩は歩いてきた。
ダメだ、飛ぼうとしてもその前に結界魔法で妨害されてしまう。
……もう、俺に残された手段は一つだった。
俺は立ち上がると、拳をギュッと握りしめる。
「わああああああ!」
殴り合いだ!
俺は勢いよく拳を振り上げて、先輩へ立ち向かっていったのだった。
※
「うわぁ、ボコボコにやられちゃったね」
「うぅ……」
試合後、俺はクリークの中の保健室で、観客席にいたカンネ先輩に治療してもらっていた。
結局、アーチェン先輩に肉弾戦を挑んだものの、体格も、練度も違う先輩にはあっけなく敗れてしまった。頑張って少なくとも一発は入れられたのだが、その何倍もの攻撃を喰らって、俺の頬は腫れ上がり、体はあざだらけになっていた。
「まったく、アーチェン先輩も、もうちょっと手加減してくれればよかったのに……」
カンネ先輩はそう文句を言っているが、実は試合直後、アーチェン先輩からは『……手加減できなくてごめん』と謝罪されていた。
そして俺自身は、手加減されなくて良かった、とさえ感じていた。もちろん、痛いのは嫌だけど、それよりも俺相手に本気で戦ってくれことが嬉しかった。先輩の身のこなし方や体の使い方も実際に体感できたしね。
「『ヒール』……『ヒール』……これで全部かな?」
「はい。ありがとうございました、カンネ先ぱい」
これで、全身の怪我は治った。あざも無くなったし、頬の腫れも落ち着いている。その代わりに体力を持っていかれたため、全身を倦怠感が襲う。
今すぐ寮に帰ってベッドにダイブしたいところだが、一つ気になることがあるので、それを解消してからにしよう。
「カンネ先ぱい」
「ん? どうしたの?」
「アーチェン先ぱいがつかっていたのって、『結界魔法』ですよね?」
「うん、そうだよ。アーチェン先輩は、結界魔法が使える名門一族、マック・シルベスター侯爵家の次男だからね」
「そうだったんですか」
そんな一族がいるのか……。
もしそれを知っていたら、アーチェン先輩が結界魔法を使うということを予測できたかもしれないな。
そもそも、俺は貴族に全然詳しくない。地方貴族だというのもあるし、これまで多くの貴族と接した経験がないからだ。
この先、貴族とはますます関わりを持つことになるだろう。それに備えて、少しずつ知識を蓄えていかないといけないのかもしれない。
「まあ、次があるから、そう落ち込まないで。そういえば、フォルちゃんの次の対戦相手は誰だっけ?」
「エリック先ぱいです」
「あー……」
俺がそう言うと、カンネ先輩は微妙な顔をした。
「……頑張ってね」
「……はい」
こうして、俺の八回戦は終了したのだった。