俺はみやびの到着をひたすら待った。
だが、みやびはなかなか現れない。そのうちお昼休みが終わり、三位決定戦の時間になってしまった。
ヤバい……このままだと、間に合わないかもしれない。焦りが募っていく。
一応あれからみやびに電話を何度もかけているが、二十分前にイベント会場の近くの駅に着いた、という返事があったきり、何の音沙汰もない。
だったら、このまま決勝戦を棄権するか? それはとてもカッコ悪いし、他の人にも迷惑をかけてしまうが、このまま到着しないのであれば、そうするほかない。
しかし、それでも問題は残っている。この姿では、トイレから出られないのだ。もし、トイレを出て俺の事情をよく知らない人に鉢合わせてしまったら? 右腕の肘から先がないなんて、ホラーだ。
できれば相手……それこそみなと、もしくは飯山に来てもらって事情を説明するしかない。しかし、肝心のスマホは控え室に置いてきてしまっていて、こちらから呼び出すことはできない。
「ああ〜どうすればいいんだよぉ〜……」
自分の迂闊さが情けなくなって、俺は頭を抱えた。
ちょうどその時、誰かの足音がした。そして、その音はだんだんこちらに近づいてくる。
だ、誰だ? 俺の緊張が一気に高まる。心臓の鼓動が速くなっていく……ように錯覚する。
しかし、次の一声で、俺の緊張は一気に緩和された。
「ほまれちゃ〜ん? いるなら返事して〜」
間違いない、飯山の声だ。俺を探しにきてくれたのだろう。
足音から推察するに、ここに来ているのは飯山一人らしい。なら、他の人に話を聞かれる心配もない。
「ここだよ!」
「あっ、よかった〜」
飯山は俺のいる個室のドアの前に立ち止まったようだ。
「もうすぐ決勝戦が始まるけど、大丈夫? 店長さんからトイレに行った、って聞いたけど、お腹の調子でも悪いの?」
「あ、えと、俺はアンドロイドだから、お腹は下さないよ」
「そーだった! でも、それじゃあなんで……?」
「実は……」
俺は飯山に事情を話した。
「ええ! それは大変! じゃあ、どうするの……?」
「俺の体を作ってくれた妹が、直しに来てくれることになったんだ。ただ、まだ着かないみたいで……」
「連絡はつかないの?」
「それが、二十分前に最寄り駅には着いたみたいなんだけど、それから一向に連絡が繋がらなくて……」
「妹さんは、ほまれちゃんの場所をわかってるの?」
「うん。俺の体についているGPSを追っているみたいだから、そこは大丈夫だと思う」
「だったらおかしいよね……最寄り駅からここまでは、五分くらいしかかからないはずなのに……」
もしかしたら何か事件に巻き込まれてしまっているのかもしれない。この会場はお世辞にも治安がいいとはいえない。中学生が一人でこの周辺を歩いていたら、そうなってしまってもおかしくはないだろう。
やっぱり、勝負は諦めるしかないかもしれない……。
「……俺、棄権するよ。本当に申し訳ないけど、このままじゃ出られない」
「そんなこと言わないで!」
「でも、もう決勝戦の時間じゃ……」
「ううん、わたしがなんとかして時間を作る。それで、みなとちゃんにも協力してもらって、ほまれちゃんの妹を見つけて、ここまで案内する!」
ドアの向こうから、飯山の気迫を感じた。諦めない、という強い想いが、ドアを貫通してくる。
……そうだよな、俺は何を馬鹿なことを言っているんだ。
「……ありがとう。じゃあ、お願いするよ」
「うん、任せて!」
そう言って、飯山は走り去ってしまった。
飯山が俺のために、あんなに頑張ってくれるんだ。俺も、最後まで足掻いてみないと。
そう思って、俺はみやびに電話をかけ続ける。
出ないまま五分が過ぎる。その五分間が、俺には何時間にも感じられた。
ふと気づくと、遠くからバタバタと誰かが駆けてくる音。荒い呼吸音とともにこちらへ近づいてくる。おそらく二人だろう。
そして、そのうちの一人は、トイレに入ってくるなり、一直線に俺のいる個室の前まで来ると、ドンドンと乱暴にノックした。
「お兄ちゃん、いる⁉︎」
「みやび!」
「ドア開けて!」
「う、うん!」
俺は中腰になって、ドアの鍵を開ける。直後、勢いよくドアが開いて、みやびの姿が現れた。その後ろからは、ここまで案内したのだろう、飯山の姿もちらりと見えた。
「よ、よかった……、ちゃんと来られたんだ」
「それよりも、右腕の応急措置をするから、見せて」
「う、うん」
俺はみやびに、自分の膝の上に置いておいた右腕を、左手で掴んで見せる。
「うわー、派手にとれているね……、でも、幸い外れただけで壊れてはいないみたいだから、とりあえず端子を元どおりに接続すれば動きそうだね」
そんなことをぶつぶつ言いながら、みやびは手際よく外れた配線の端子を元どおりに差し込んでいく。
その様子を、興味津々な表情で飯山は後ろから覗いていた。
「飯山、ありがとう。みやびを案内してくれて」
「どういたしまして」
「結局、道に迷っていたのか?」
「ううん、入り口のところでスタッフさんにとめられていたの。チケットがないからって。だから、わたしが説明して、中に入れてもらったんだ〜」
「そうだったのか」
「ひなたさんのおかげで本当に助かったよ……」
みやびが呟きながら、俺の右腕をはめていく。そして、ガチっと音がすると、手を離した。
「これで動くようになったはず。どう?」
そう言われて、俺は手を動かす。すべての指が滑らかに動いた。特に違和感もない。腕を見ると、綺麗に繋ぎ目がはまっていて、外れる前とまったく同じ姿をしていた。
「うん、大丈夫みたい」
「そっか。ならいいけど……いや、よくないや。あのね、お兄ちゃん」
すると、みやびは眉根を寄せて、俺にズイッと顔を近づける。
「こういうイベントに出る時は、事前に私に相談してよ! 今回みたいに、普段はしないような動きをするせいで、異常が起こるかもしれないんだから。衆人の前で突然壊れたら、本当に大変なことになるからね!」
「う……ごめん」
「本当なら、これ以上腕相撲をするな、って言いたいけど……そうもいかないみたいだよね」
「うん……」
「とりあえず、右腕ははめたけど、応急処置的なものだから、緩みやすくなっていると思う。だから、次の勝負は、左手でやること! いい、お兄ちゃん?」
「わかりました……」
「さ、決勝戦まで時間がないんでしょ? 早く行こう!」
「じゃあ、ほまれちゃん、行こっか。みやびちゃん、ありがとうね〜」
「いえいえ」
俺は飯山に連れられて、ようやくトイレを脱出したのだった。
そして、ステージに戻ると、観客たちはすでに俺たちを待ち構えていたようで、大歓声で迎え入れられる。
「おっと、ここで決勝戦の二人が登場しました!」
「じゃあ、あとは二人にバトンタッチだぞっ♡」
どうやら、店長さんが場を持たせていてくれたらしい。店長さんが司会の人にマイクを渡すと、テーブルの真横につく。
「さて、決勝戦はなんと同店舗対決! 前回王者のひなたちゃん、そして今回のダークホース、ほまれちゃんです!」
俺と飯山はテーブルに腕を乗せて、手を握り合う。
「い……ひなた、手加減は無用だからね」
「もちろん! それに、今回は運もきているみたいだからね」
「え?」
「……実はわたし、左利きなんだ」
その言い方……つまり、これまで利き手ではない方の右手で戦ってきて、勝利してきた……ってコト⁉︎ つまり、この状況は図らずも、飯山に有利になっているのか!
店長さんが俺たちの拳に、軽く手を乗せる。
「両者、準備はいいか?」
「はい」
「もちろん」
店長さんは一度深呼吸をすると、大きな声で宣言した。
「それでは、勝負開始!」