俺は人ごみの中を抜けると、大通りの脇の狭い道に入る。
人の流れに逆らって大通りを進むよりも、一本隣の道から迂回した方が結果的に早く着くと思ったのだ。
祭りの喧騒が遠くに聞こえる中、人通りのない薄暗い道を、俺は全力で走っていく。一刻も早く、みなとの無事を確かめたい。その強い思いから、俺はただ足を全力で動かしていた。
情報が示しているみなとの居場所へは、確実に近づいている。どうやら彼女は大通りではなく、そこに繋がる狭い道にいるようだった。
角を曲がって彼女がいるはずの通りに入る。すると、道の端っこに見慣れた後ろ姿を発見した。間違いなくみなと本人だ。
「みなと! 大丈夫⁉」
「ほまれ……」
俺は彼女の目の前で急停止する。
みなとは座り込んでいた。見ると、サンダルを履いている右足が赤くなっていた。雑踏に飲み込まれたときに、誰かに踏んづけられてしまったのだろう。
「ごめん、みなと。すぐに連絡できなくて……」
「ううん。大丈夫よ……ほまれこそ、何かあったんじゃないかって心配だったんだけど……どうしたの?」
「実は、スマホの電池が切れちゃっていたみたいで……」
「そうだったのね……」
だが、こうして会えたので本当によかった。みやびには感謝しないと。
「それにしても、足は大丈夫?」
「……大したことないわ。平気よ」
見た感じ、足が赤くなっていて腫れかけているので痛みはありそうだ。みなとは言葉では強がっているが、大丈夫だろうか……。
「立てそう?」
「うん……あっ」
「おっと!」
みなとは立ち上がろとするが、すぐによろけてしまう。俺は慌てて、バランスを崩した彼女を優しく受け止めた。
「無理しないで」
「ごめんなさい……」
彼女はすぐに俺から離れる。だが、俺の袖は掴んだままだ。そして、もう片方の手を、壁についている。痛みに耐えているのか、表情はいくらか苦しそうだ。
このまま、再び祭りに戻るのがよろしくないことは明らかだ。痛みに耐えながらでは、祭りは楽しくないだろう。残念だが……。
「……今日はもうやめておこうか」
「…………」
「……みなと?」
「やだ」
彼女は目を伏せながらそう言った。
予想外の返答に、俺は戸惑う。
「やだって……大丈夫なの?」
「……ううん」
「じゃあ、諦めた方が」
「花火」
「え?」
「花火、見たい」
みなとは滅多にわがままを言わない。いつも大人っぽく、上品に振る舞っている。俺はそんな彼女を立派だと感じていたし、頼りになると思っていた。
そんな彼女が、今、わがままを言っている。
普段の彼女なら、おそらく俺の言うとおり、大事をとって家に帰るだろう。
しかし、そうではない。つまり、それだけどうしても花火が見たい、ということなのだろう。
ならば、ここで俺がやるべきことは、彼女を説得し続けることではない。
彼女の願いを叶えるために、アクションを起こすことだ。
俺は、彼女に背を向けると、しゃがんで後ろに手を回す。
「さ、乗って」
「ほまれ……」
「大丈夫、みなとなら楽勝だよ」
「……ありがとう」
背中に体重を感じる。
俺はみなとが掴まったのを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。
「その……大丈夫? 前、見えてる?」
「大丈夫……だよ! みなとこそつらくない?」
「私は大丈夫だけど……」
浴衣は服の構造上、足があまり広げられない。だから、みなとをおんぶするとき、俺は安定した姿勢を保つために、かなりの前傾姿勢を取らなければならなかった。
「それじゃ、出発するよ」
俺は彼女を背負うと、歩き始める。大通りに合流する方向ではなく、大通りから遠ざかる方向へ。
「え、ほまれ、どこに行くの?」
「花火を見に行くんでしょ?」
「それはそうだけど……大通りに行くんじゃないの?」
「まさか」
山車の巡行が終わった後は、花火が打ち上がるのが恒例となっている。花火が打ち上げられる場所的には、大通りからが一番よく見える。
しかし、この状態で人でごった返す大通りに戻るのは、あまりにも自殺行為だ。この姿勢では周りがよく見えないので、確実に人にぶつかってしまうだろう。
それに、そもそもの話、花火は大通りからしか見えないわけではない。
「こっちの方に、花火が綺麗に見える場所があるんだよ。人も少ないし、落ち着いて見れるんじゃないかな?」
「そうなのね」
目的の場所には、すぐに到着した。
建物に囲まれた谷間の、人気のない小さな公園。目立った遊具もなく、あるのは、公衆トイレ、数基のベンチ、砂場、そして高さの違う二つの鉄棒だけだった。
俺たちが公園に入ると、のんびりくつろいでいた鳩たちが慌てて飛び去っていく。たちまち、公園はみなと以外、生物がいない場所になってしまった。
俺はみなとをベンチの前に下ろす。そして、二人で並んでベンチに腰掛けた。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「ほまれにわがままを言ってしまって……本当なら家に帰って休んだ方がいいっていうのはわかっているのだけれど」
「……いいよ。いつもみなとは我慢ばかりしているみたいだし、たまには、わがままを言ってもいいんじゃないかな?」
「……ありがとう」
再び無言の時間。太鼓の音だけが、遠くから聞こえていた。
「それにしても、ここから本当に花火が見えるのかしら?」
「うん。見えるはずだよ。去年見つけた穴場なんだ」
次の瞬間、ボン、という低い音が微かに聞こえた。
「始まったみたいだね」
俺は建物の間に目を向ける。
すると、次の瞬間、藍色の夜空に橙色の大輪が咲いた。遅れてドーンと、大きな音が聞こえてくる。
次々と打ちあがる花火。低いものは建物に遮られてしまって見えないが、高いものはばっちりと見える。
「綺麗ね……」
しばらくの間、無言で、二人っきりで、花火を楽しむ。
気づくと、俺の右手には、彼女の手が重ねられていた。俺は彼女の指の間に自分の指を絡めて、しっかりと握る。
「……」
「……」
みなとが俺に寄りかかってきた。俺はそのまま彼女を受け止める。
……だんだんなんだかいい感じの雰囲気になってきたような気がする。遠くで打ちあがる花火、二人きりの公園、俺にもたれかかってくる彼女──。
顔を横に向けると、彼女と目が合った。普段よりも妙に色っぽく見える。
……野暮なことを考えるのはやめよう。今はメタ認知をして、自分の気持ちを言語化するべきではない。そのまま雰囲気に流されろ。
俺たちは口づけを交わす。
夜空は鮮やかな紫で彩られていた。