五日間の合宿も終わり、合宿所を去って、行きと同じ道を逆向きに辿る。
三日目の夜に二人きりで話をしてから、佐田の様子に明らかな変化が生じているようには見えなかった。ただ、それでも練習中の彼の振る舞いから、彼が部長であることに自信を持っていることは、なんとなく感じられた。
空いている高速道路を走ること三時間半。俺たちの高校の前に到着すると、合宿は終了。解散だ。
俺は皆と別れると、一人家路につく。久しぶりに家に帰れるな~、なんてことを考えながら、電車に乗り込んだ。
そういえば、前回旅行から帰ってきた時は、家中のエアコンが故障して大変なことになっていた。その時は、結局四日経ってやっとエアコンが復旧したわけだが、今回も家に帰ったら何か故障していてとんでもないことになっていたり……いやいや、さすがにそれはないか。
最寄り駅で降りた時には、すでに午後六時を回っていた。夏だからか、まだ空は明るい。しかし、一カ月前の同じ時間に比べると、明らかに青の深みは増していた。
そして、住宅街の中を歩いていき、俺は五日ぶりに家に到着した。
「……なんじゃこりゃ」
家を目の前にして、俺が発した第一声は、これだった。
俺が出発する前、俺の家は屋根の色以外周りの家と遜色ない外見をしていて、この住宅街に溶け込んでいたはずだった。
だが、今は違う。周りの家とは違う、異様な雰囲気を、俺の家は発していた。
まず目を引くのは、高い塀。俺が合宿に出発する前は、せいぜい一メートルくらいのベージュ色の塀しかなく、敷地の中を容易に覗くことができた。しかし、今はその塀が三メートルの高さになっており、さらにその上には鋭い忍び返しが取り付けられていた。もちろん、ここから家の中を窺い知ることはできない。
それだけでもものものしい雰囲気が出ているのだが、塀の間の、唯一敷地内に入ることができる場所には、門が設置されていた。こちらは塀よりもかなり低く、一メートル半しかないのだが、黒く塗装されていて威圧感を演出している。これがあるのとないのとでは大違いだろう。
単純に場所を間違えたか、と思ったが、周りの景色からして俺の家はここのはずだし、表札も以前と変わらず『天野』のままだ。
幸いにも、その門に鍵は取り付けられていなかったので、俺は少々ビクビクしながら門を開けて敷地の中に入る。
敷地の中に入ると、すぐに目に着いたのは玄関の上の方にある防犯カメラだ。こんなもの、以前は取り付けられていなかったはずだ。横を向くと、赤外線センサーらしきものまで設置されている。見上げると、家の前の通りに面する側の窓には、一階、二階問わず、すべて鉄格子がはまっていた。
どうやら、俺の家は、俺の知らない間にすっかり要塞へと変貌を遂げてしまったようだった。
ここまでガッチガチに外部からの侵入者を防ごうとしているということは、それなりの理由があるはずだ。どこかと戦争でもするつもりなのだろうか……?
もし誰かに家を乗っ取られていたらどうしよう、と不安になりながら、俺は鍵を取り出すと玄関の鍵穴に差し込んで回す。
幸いにも、というのも変だが、鍵穴は交換されていないようで、カチッという音がしてロックが解錠される。当たり前のはずのことに、俺は思わず安堵してしまう。
「た、ただいま~……」
おそるおそる家の中へ声をかける。照明はついておらず、薄暗い。本当に大丈夫だろうか? もしかしたらみやびが誰かに誘拐されていて、謎のテロリストたちがこの家を乗っ取っているかも……。
「あ、おかえり~」
そんなバカな考えは、リビングの方からみやびが姿を現したことで霧散した。そんなこと、あるはずないよな! 杞憂だ杞憂。俺は安心して、靴を脱ぐと家の中に上がる。
「合宿どうだった?」
「うん、楽しかったよ」
「ならよかった!」
荷物をリビングに運んで、中身を取り出して片付けを始めながら、俺はみやびに気になっていたことを尋ねる。
「あのさ、みやび」
「ん?」
「なんか家がものすごく変わっているんだけど……どういうこと?」
「あー、お兄ちゃんがいない間、工事してもらったんだ」
「え、工事⁉」
「うん」
そんな話、聞いていないぞ⁉
「合宿の前に教えてくれてもよかったのに……」
「ごめんごめん、急なことだったから」
「そうか……でもなんでこんな工事をやったの? なんか家が要塞みたいになっているんだけど」
「それは、お兄ちゃんのためなんだよ」
「え? 俺?」
「うん。そう」
どういうことだ? この工事が俺のため? 意味がわからない。いったい俺に何のメリットがあるのか。
「今回のこの工事は、セキュリティの強化が目的だよ」
「……それはまあ、なんとなく察しがついたけど……それが、俺のために繋がるの?」
「うん。強化したセキュリティで守るのは、もちろん私もこの家の財産もそうなんだけど、一番はお兄ちゃんなんだよ」
「……そんなに俺って重要人物か?」
「重要人物だよ!」
すると、みやびはとんでもない! とでも言いたげな顔をしてズイっと迫って来た。俺はその迫力に思わず少し引いてしまう。
「お兄ちゃんは自覚していないかもしれないけど、お兄ちゃんの体にはたくさんの極秘技術が使われているんだよ! 他の企業が狙っているとか、そういうレベルじゃない。他の国の政府機関が狙っているレベルなんだよ!」
「そ、そうなのか⁉」
俺は思わず自分の手を見つめる。もはや当たり前とさえ思えてきた自分のこの体だが、この中には外国政府が狙うレベルの高度な技術がしこたま使われている……。考えてみれば当たり前の話だ。中途半端な技術では、こうしてアンドロイドに人間の意識を移すなんていう芸当はできるはずがない。
「つまり、お兄ちゃんは、歩く機密技術の塊なんだよ!」
「歩く機密技術の塊……」
「そんなお兄ちゃんを、他の国が狙わないはずがないでしょ?」
「確かに……」
俺がもし外国の政府の者だったら、確かにこんなのほほんと過ごしているアンドロイドがいれば、格好のターゲットにしているだろう。
「……実はね、この前のエアコンの故障、あったでしょ?」
「あ、うん」
「あれ、もしかしたら外国の機関がサイバー攻撃してきたかもしれないの」
「え⁉ そうなの⁉」
一斉に故障するのはさすがにおかしいな、とは感じていたが、裏にはそんな事情があったのか……! 一大事じゃないか!
「それがあったから、せめてもうちょっとお兄ちゃんの警備を厳重にしなきゃいけないな、って思って、今回緊急で家のセキュリティを強化したってわけ」
「なるほどね……」
エアコンをインターネットに繋げられる機種にしたのが仇になってしまったが、それによって、家のセキュリティを見直すことに繋がったので、結果オーライだった、ようだ。
「でもさ、それだけで本当に外国の手先を防げるの? 家の塀が高くなったり防犯カメラや赤外線センサーがついたりしたのはわかったけど……」
「もちろん、それ以外にもいろいろ仕込んであるよ!」
例えば、とみやびは続ける。
「家の中にも監視カメラとか赤外線センサーをいろんな場所に設置したし、二階の部屋で全部確認できるようになってるよ。あと、侵入者が出た場合は警報が鳴るようになってて、警備会社にも自動で通報が行く仕組みになってるし、あとは……」
「わかった! セキュリティがスゴいことはよくわかった!」
みやびの発言が止まらなくなりそうだったので、俺は慌てて遮った。
それにしても、家のセキュリティを強化したのはいいが、その他の場所はどうするつもりなんだろう? これからも外出することは多々あるだろうし、二学期になれば学校に通うことになる。その間の警備は?
「……それじゃあ、俺はこれから家からなるべく出ない方がいいのかな? 家のセキュリティは万全なのはわかったけど、他の場所ではこうもいかないでしょ?」
「いやいや、さすがにお兄ちゃんの行動を縛るわけにはいかないよ……。家以外の場所の警備も考えてあるから、なるべく早く対策を実行するよ。だから、お兄ちゃんは何も心配せずに外に出かけて大丈夫だよ」
「それならいいんだけど……」
さすがに学校やバイトを休んだりするのは嫌だ。みやびが対策を考えてくれているみたいなので、安心……していいのだろうか。
「ところで、費用は大丈夫だったの? ここまで大掛かりなセキュリティを作るのに、相当お金がかかったんじゃ……」
「それなら大丈夫だよ、研究所から出してもらった」
「研究所スゴい!」
どうやらお金の心配はしなくていいらしい。
ところで、とみやびが話題を変える。
「明日はお祭りだけど、お兄ちゃんは行くの?」
「ああ、うん。もちろんだよ」
明日の夜は、市の中心部、つまり学校の近くで大規模な祭りがある。大勢の人が集まる賑やかな夏祭りだ。俺はそれをみなとと一緒に回る約束を事前にしていた。
「みやびは行かないの?」
「私は家にいるよ。人が集まっているとところはあんまり好きじゃないし」
「そっか」
「で、お兄ちゃんはアレ、着ていくの?」
「アレ? ……まさか、メイド服⁉」
「違うよ! 浴衣だよ! ゆ・か・た!」
「なんだ、浴衣か……」
確かに、祭りといえば浴衣、というイメージがある。実際、夏祭りで浴衣を着ている女性はよく見かける。
俺の家には、一応浴衣はある。だが、問題なのは……。
「俺、浴衣の着方、知らないけど……」
「大丈夫! 私が着方を教えるから! 後で練習しよ!」
「わ、わかった……」
俺は、謎に熱量を持ったみやびに押されるようにして、夏祭りに向けて、浴衣の着方を練習することになったのだった。