俺は佐田の隣に腰掛ける。
彼はどうやら、窓の外の月を眺めていたようだ。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
「あぁ……なんだか寝れなくてな……トイレのついでにここにきて、ちょっと考えことしてた」
「……そっか」
どうやら俺と同じくトイレのついでに来たようだ。
部長たるもの、こんな時間まで夜更かししていた、となれば問題になりかねない。佐田はいったい何を考えていたのだろうか? こんな時間にこんな場所で一人で考えているなんて、何か重い悩みでもあるのだろうか?
「……何か悩んでいるんだったら、話を聞くよ」
「……ありがとう」
そう言ってから、佐田は黙った。しばらく無言の時間が流れる。
すると、佐田は大きくゆっくりと息を吐いて、足を伸ばして見上げた。そして、ポツリとつぶやいた。
「なあほまれ。俺は、部長らしくできているか?」
「え?」
突然の質問に、俺は頭が回らず咄嗟に言葉を詰まらせてしまう。
「部長ってさ、やっぱりきついぜ。皆を引っ張っていかなきゃいけないし、隅々まで気を配らなきゃいけないし、部活に対して責任も持たなくちゃならない」
「…………」
「俺は、本当にそれをしっかり務められているか、いつも心のどこかで疑問に思ってる。部長に選ばれて、俺としてはきちんとこなしているつもりだけど、ときどき、本当は全然役目を果たせていないんじゃないか、って、思っちまうんだよ」
彼は、自分自身に不安を抱いているようだった。
部長とは部活の長。上に立つものとして、数多くの責任と義務がのしかかってくる。
だからこそ、だ。
「……俺は佐田がスゴいと思うよ」
「え?」
「だって、部長に選ばれてから、佐田はそれを投げ出さずにきちんとこなしているじゃん。スゴいと思うよ。俺には真似できない」
俺には重すぎて一瞬で潰れてしまいそうな責務を、彼は背負って前に進んでいる。
「それは俺がこの目で見ているからさ、間違いないよ。だから、さっきの質問の答えは『YES』だよ。もっと自信を持って」
佐田はちょっとビックリしたような様子でこちらを見ていた。そして、一息つくと。
「……ありがとう、ほまれ」
「どういたしまして」
再び沈黙。月の前を薄い雲が流れていく。
「……ほまれは、強いな」
「え?」
不意に、佐田がそんなことを言い始めた。俺はどういうことなのかわからなかった。
「どういうこと?」
「いや、なんでもないさ」
「……気になるなぁ」
「ただの独り言だ」
「えー、教えてよ」
「ヤダ」
「教えろ~」
「……」
俺のしつこい頼みにとうとう折れたようで、佐田は渋々と言った様子で話し始めた。
「……ほまれは、事故に遭って今の体になったんだろ? その体で生活していく上で、いろいろ大変なことがあっただろうけど、それらを一歩一歩乗り越えて、これまでと同じように学校に来て、いつもどおりの生活を送っている」
「そんなことないよ……」
「……少なくとも、俺にはそう見えるな」
だから、と佐田は続ける。
「ほまれは強いよ。普通、こんな状況になったら、立ち直れない人がほとんどだと思う。事故に遭って、命は取り留めたけど全然違う体に入って、周囲との関わりも扱いも大幅に変わって……。元の体にはまだ戻れないんだろ? そんな中、挫けずにいるほまれの強さが、俺は羨ましいよ」
「……ありがとう」
どう返したらいいかわからず、なんだか恥ずかしいような、奇妙な気分のまま俺は言葉を返した。
本当は、俺は全然強くない。少なくとも俺自身は自分のことをそう思っている。
改めて佐田の言葉で気づいたが、俺は元の体にいつ戻れるかわからない状況にあるのだ。そんな状況で、不安に思わないわけがない。
それに、今までだって、急に前とは別の性別で扱われることになって混乱したことも多々あったし、すべてを投げ出したくなるような気分になることだってあった。
しかし、それを乗り越えて今を過ごせているのは、皆のサポートがあったからだ。佐田もそうだし、みなとも、檜山も、飯山も、越智も……みやびもそうだ。彼ら彼女らのサポートがあってこそ、俺は不安から離れて、心の平静を、一時的でこそあれ、保つことができているのだ。
「……俺は、強くなんかないよ。前の体だった頃と全然変わってないよ」
「そうか?」
「うん。強く見えているんだったら、それは皆が支えてくれているおかげだよ。もちろん、佐田も含めて、ね」
「……そっか」
佐田はそれだけ言った。
しばらく時間が流れる。二人で並んで無言のまま月を眺める。
ここで、俺の体内時計が午前二時を知らせてきた。
「あ」
「どした?」
「今午前二時になったんだけど……確かこの時間って、先生が見回りに来るんじゃなかったっけ?」
「そうだ、ヤバいじゃん」
こんな深夜二時に部屋から出てホールにいるのもそうだが、女子という扱いを受けている俺と、模範たるべき部長が二人きりでいる状態を見られたら非常にマズい。俺たちがそんな関係ではないし、そのために会っているわけじゃないのは自分たちが一番よくわかっているが、先生に見られたらそのように誤解されても仕方がない。
俺たちは立ち上がると、それぞれの部屋へ戻る。佐田の部屋は、俺の部屋とはちょうど反対方向にあるので、ここで別れることになる。
「じゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
そう言って佐田は急いで部屋に戻っていく。
彼の声は、少し明るくなっていたように思えた。