イルカショーを楽しみ、その他のアトラクションをひととおり体験して、俺たちはパークを後にした。荷物を持って、やってきたバスに乗り込む。
「この後は、みなとのおばあちゃんの家にお邪魔するんだよね」
「そうね」
本来なら、五人一日分の無料宿泊券しか持っていなかったので、この旅行は一泊二日になるはずだった。しかし、旅行先に偶然みなとのおばあちゃんの家があり、さらにおばあちゃんのご厚意で、俺たちはそこに一泊させてもらえることになったのだ。そのおかげで、旅行の日程は二泊三日に延びたのだった。
しばらくバスに揺られた後、俺たちは街の外れのバス停で下車する。
バス停のそばには小さな川が流れていて、それに沿って片側一車線の道が真っすぐ遠くの山へ延びていた。川の両脇には田んぼが広がり、その中に昔ながらの民家が点在している。
ここを一言で表すならば、里山。日本の原風景が広がっていた。
「で、みなっちゃんのばあちゃんの家はどこにあるんだ?」
「少し歩いたところにあるわ。こっちよ」
みなとを先頭に、俺たちは緩やかな坂道を上っていく。
アブラゼミとミンミンゼミが唱和する中、太陽が容赦なく俺たちに日光を浴びせる。このまま坂を上り続けていれば、いくら涼しい格好をしていたとしても、汗だくになってしまうのは必然だった。
「足が疲れたよぅ……」
「……みなと、あとどんくらいで着く?」
疲れない体であるとはいえ、こんな酷暑の中歩き続けるのはさすがに体への負担が大きい。このままだと、オーバーヒートしてしまいそうだ。
「もうすぐよ」
みなとは歩きながら、それだけ言った。
それから六分後、みなとの足が止まった。
「着いたわ」
目の前には立派な門。左右には二メートルくらいの高さの白壁が続いていて、門の向こうには二階建てのドデカい家屋が、背後の山に少し食い込むように建っていた。
こ、これがみなとのおばあちゃんの家……。田舎の家は広い、とよく聞くが、これはどう見ても一般家庭の規模ではない。もともと武士だったか、豪農だったか、いずれにせよ、みなとのご先祖様はかなり力を持ったいい身分の人だったことが容易に想像できた。
「……何してるのよ、皆入らないの?」
みなとが訝しげにこちらを見ると、門の中へ入っていく。俺たちは家の大きさに圧倒されながら、彼女に続いて門をくぐった。
家に入ると、早速みなとのおばあちゃんの歓迎を受ける。激しい訛りのせいでおばあちゃんの言っていることは三割くらいしか理解できなかったが、みなとは全部わかったようだった。皆でおばあちゃんに持ってきた東京のお土産を渡す。
俺たちが案内された部屋は二階の大部屋だった。前日に泊まった旅館の部屋よりも広い和室だ。部屋の隅っこには、空のみかん箱が大量に積み上げられており、その横には梅酒を作っているらしき瓶がいくつも並んでいた。みかんと梅、さすが和歌山だ。
それから夕飯の支度を手伝い、皆で食べる。ちなみに、アンドロイドで何も食べられない俺のことを、みなとはおばあちゃんに、『病気で食べられない』と説明したらしい。おばあちゃんは残念がっていたものの、俺の分を抜いてくれた。みなとの胃に負担ばかりかけるわけにはいかないと思っていたので、正直俺はホッとした。
皆が夕食に舌鼓を打っている間、俺は先に一人でお風呂に入る。
この家は広いが、旅館ではない。湯船は、精々大人二人くらいしか入れない大きさだった。俺は体を洗い、一人でのんびりと湯船につかると、風呂から出てパジャマに着替え、部屋に戻る。
その途中、廊下を歩いている時に、俺は前から男性が来ていることに気づいた。かなり高齢のようだ。みなとのおじいちゃんだろうか? ここに来てから初めて見たが、この家は相当広いので、きっとこの時間になるまでどこかの部屋に籠っていたのだろう。
「…………」
俯きがちに歩いているおじいちゃんに、道を譲るように俺は端っこに寄りながら、小さく会釈をする。だが、おじいちゃんは、まるで俺が存在していないかのように無反応のまま、静かに通り過ぎていった。そのまま、トイレの向かい側にある、ドアが開きっぱなしの暗い部屋の中へ姿を消した。
声をかけづらかったな、と思いながらも、俺は二階に上がる。
午後九時半。代わる代わるお風呂に入り、全員がパジャマに着替え終わると、俺たちは布団を敷いた。人数に対して部屋が広いので、いくら寝相が悪くても今朝のように人と人が密着する、という事態にはならなさそうだ。
「誰がどの布団で寝るかは、昨日と同じでいいですか?」
「うん。そうだね」
特に変える理由もないので、昨日の順番のまま、横並び一列に寝ることになった。
ただ、寝ようとは言ってもすぐには寝られない。昨日の経験からそれは明らかだった。皆、布団の上に座ったり、掛け布団を体に纏ったりするが、どうもソワソワしてしまい、このまますんなり就寝する雰囲気ではなかった。
すると、この空気に耐えかねたのか、檜山がある提案をする。
「そうだ、皆で怖い話でもしない?」
「怖い話?」
「そう! こんなに蒸し暑い夏なんだし、少し気温を下げてから寝ようよ」
「いいわよ」
「さんせー!」
「いいよ」
続々と賛成する中、越智だけは何も言わなかった。
「いおりはどうするの?」
「こ、怖い話のレパートリーがないので……」
「そんなこと言って、本当はただ怖がりなだけなんじゃないのー?」
檜山が若干ニヤニヤしながら焚きつけるように言うと、越智は慌てたように、そして少し怒ったように勢いよく否定する。
「そういうわけではありません!」
「お、じゃあ大丈夫だよな!」
「……わかりました」
越智は掛け布団に包まると、俺たちの作った輪に加わる。
「トイレは大丈夫? 怖い話を聞いてからだと行けなくなるよ」
「さっき済ませたから大丈夫だよ!」
皆、トイレには行かないみたいだった。
「それじゃ、みなっちゃん、豆電球にしてくれない?」
「わかったわ」
「えっ」
みなとが紐を引っ張ると、照明がオレンジ色の常夜灯に切り替わった。部屋が一気に暗くなる。
「こうしないと雰囲気出ないじゃん?」
すでに越智はだいぶビビっているようだった。越智は怖いのがかなり苦手みたいだ。
「それで、誰から話すのよ?」
「そりゃ、発案者の檜山からじゃないの?」
「おっ、じゃああたしから始めるか。んで、時計回りで回すことにしよっか」
真っ暗な外からは微かに虫の音しか聞こえてこない。雰囲気はばっちりだった。
一息置いて、檜山は話し始める。
「あたしが小学三年生だった時の話。
あたしのクラスには、ずっと休んでいる女子がいた。その子をAとするよ。
Aは、一度も教室に姿を現さなかった。あたしは三年生でAと初めて同じクラスになったから、Aの顔を知らなかった。たけど、不思議なことに、クラスメイト全員が、Aの名前は知っているけど顔を知らなかったんだ。Aとこれまで同じクラスになったことがある、っていう奴を含めて。だっておかしいじゃん? 全員が本当のことを言っているんだったら、Aは小学生になってから一度も登校したことがないことになるからさ。でも、実際は誰もAの顔を知らなかった。教室のAの席はいつも空席だった。
ある日、社会科見学があって、バスで移動していたんだ。クラスごとに大型バスに分乗して移動する、っていうやつね。それで、バスの添乗員さんが人数を数えるんだけど、そこで三十五人全員いますね、って言ったんだ。
確かに、あたしのクラスは三十五人だった。けど、その時Aは休んでいたから、三十四人のはずだったんだ。もうバスの中は大騒ぎ。バスガイドさんが何度数えても三十五人って言うし、先生も数えたんだけど三十五人になったって言うんだ。だけど、先生がAの名前を含めて点呼を取ると、Aがいないから三十四人になる。気味が悪かったけど、とりあえず誰かがいないわけではなかったから、社会科見学はそのまま続行になった。
移動教室だけじゃない。運動会や文化祭、社会科見学みたいな、教室から離れたところでクラスで活動するときは、Aが欠席しているにもかかわらず、人数を数えるとクラスの全員が揃っていることになっていたことがあった。名前を呼んで確認するとAはいないのに。
その後Aは四年生になる時に転校したらしく、次の年度からはこんなことは起こらなくなった。あれはいったい何だったんだろうね。ずっと学校に来れないAの生き霊が、楽しいイベントに惹かれて紛れ込んでいたのかも……なんてな」
檜山本人の話し方がうまいのか、それとも話自体が怖いのか、初手からなかなかの怖さだった。
「これは怖いね~」
「そうね」
「…………」
飯山とみなとは言葉とは裏腹にあまり怖がってなさそうだった。ただ、越智はすっかり黙っている。今の話がだいぶ効いているらしい。
「それじゃ、次はわたしの番だね」
話し手は、檜山の左隣の飯山に移る。
「これはつい最近の話なんだけどね……。
わたしは都心の方でバイトをしているんだけど、ある日、トラブルで上がるのがだいぶ遅くなっちゃったんだ。帰りの電車に乗る頃にはもう深夜。トラブルで疲れちゃったわたしは、電車に乗ってすぐにウトウトしちゃったの。
しばらくして、目を開けたら、電車がちょうど止まるところだった。どうやら駅に着いたみたい。周りを見渡すと、わたしの他には十人くらいの人が同じ車両に乗っていたんだけど、わたし以外の全員が席を立って、ドアの前で待っていたの。間もなく、ドアが開いてその人たちは全員降りていっちゃった。
この時、わたしは頭がぼんやりしていたんだけど、焦ったんだ。だって、同じ車両にいるわたし以外の全員が一斉に降りたんだよ? もしかしたら寝過ごして終点まで来ちゃったのかな⁉ って、不安になるでしょ? だから、わたしは駅名を見ようと、ドアの上の電光掲示板を確認したんだ。
『螟夂」ィ髴雁恍』
文字化けして読めなかった。その瞬間、わたしは気づいたんだ。ここはいつもの電車じゃない、って。その間に、ドアが閉まって、わたし一人が取り残されたまま電車が発車したの。それからすぐに、また眠たくなってきちゃって、またウトウトしたんだ。
次に目を覚ましたとき、電車はわたしのお家の最寄り駅に停まったところだった。わたしは慌ててそこで降りて、結局お家に帰ることができたんだ。
……今でもときどき考えるよ。あれは夢だったのかな、夢だったらいいな、ってね。でも、もし本当に体験したことだったら……あの駅は今も、あの路線のどこかにあるんだってね」
こ、怖ええええぇぇぇぇええええ!
飯山の話、相当怖かったぞ! しかも、よく使う路線だから、俺も体験してしまう可能性があってなおさら怖い!
怖い話の余韻をひとしきり楽しんだ後、話し手は次の人に移る。飯山の左隣の越智だ。
だが、彼女は今の話が相当怖かったらしく、頭まで毛布を被って丸くなり、お饅頭のようになって震えていた。
「……いおり、大丈夫?」
「……ギブアップしてもいいんだよ?」
「い、いえ……大丈夫です……次はわたしの番ですね……」
越智は顔だけを布団から出すと、話し始める。
「あれは高校一年生の時のことです……。今でも忘れられません。
高校一年生の時は、副教科に美術があって、期末試験にそのテストがありましたよね。テストはマークシート式で全二十五問、一問二点の五十点満点の筆記でした。
美術のテスト当日、しっかり勉強していたので、満点を取る自信がありました。しかし、その直前、急にお腹が痛くなってしまったのです。わたしは慌ててトイレに駆け込みました。結局テスト開始には間に合わず、トイレも長引いてしまったので、テストの時間を三十分ほどタイムロスしてしまいました。
教室に戻って来てから、わたしはテストを爆速で解き始めました。そして、なんとか時間ギリギリで完答することができたのです。わたしは満点は無理でも、それなりの点数が取れたと思いました。
ですが、いざテストが戻ってくると……わたしはその点数に驚愕しました。
なんと六点だったのです!
よく見ると、二問目で二行分マークしてしまっていて、そこから全部一段ずつマークがずれていました……。
結局、一学期の美術の成績は二でした……」
……え、終わり?
「……あんまり怖くないな」
「怖いじゃないですか! マークずれ! あの時は本当に心臓が止まりかけましたよ……」
「なんか、別のベクトルで『怖い』話だったね……」
「しょうがないです! わたし、霊感もないし怖い体験もしたことないんですよ! 怖い話も怖くて聞けないですし!」
大学受験みたいな大切な試験でこれをやらかしたら、確かに恐怖体験だろうな、とは思う。
越智はまたすぐに顔を布団の中に引っ込める。そして、飯山の方にズリズリと寄って、彼女の手をギュッと握った。飯山はその手を払いのけることなく、そっと握り返したようだった。
「じゃあ次は、私の番ね」
次はみなとの番だった。
「まだ私が小学校低学年だった頃かしら。
今、私はマンションに住んでいるんだけど、それまでは二階建てのアパートに住んでいたの。そこに、両親と私、そして妹と四人で暮らしていたわ。部屋はあまり広くなくて、妹と私は同じ部屋をあてがわれていたの。
ある日から、夜中にドンドンドン、という騒音に悩まされるようになったの。だいたい夜中の二時くらいに突然壁から鳴り出すのね。かなり大きくて、目が覚めてしまうこともしばしばあったわ。
その壁の向こう側は隣の部屋だったの。あまりにもずっと騒音が続き、私たちに連れられて両親もその音が聞こえていたから、ある日、大家さんに苦情を言いに行った。そうしたら、大家さん、なんて言ったと思う?
『隣の部屋は空室ですよ』って。
両親は大家さんと一緒に、隣の部屋に入ったの。それから警察が来て慌ただしくなったかと思うと、すぐに私たちは今のマンションに引っ越したわ。私は何年も後でようやく知ったのだけれど、その時隣の部屋の風呂場で身元不明の縊死体(いしたい)が発見されたそうよ。そして、その部屋の風呂場は、当時の私たちの部屋の壁一枚向こうだったの。さらに、亡くなった日時は、私たちが初めて壁からドンドンドンという音を聞いた日の夜だったわ……。
もしかしたら、その人は誰かに見つけてもらいたくて、死んだ後も壁を叩いていたのかもしれないわね」
俺は生まれてこの方一軒家にしか住んだことがないが、この話を聞いてアパートで暮らすのが怖くなってきた。
今の話はなかなか堪えたようで、皆のテンションも下がってきている。
「ふえ、怖いね……」
「な、なかなか怖い話だったね……」
「…………」
「越智、大丈夫?」
「…………」
越智は無言でガタガタ震えているだけだった。その様子を見かねて、俺は声をかける。
「……越智、もうやめとく?」
「……いやです」
「えぇ……でも、もうヤバそうだけど」
「……正直、結構限界に近いです」
「……じゃあやめる?」
「……ちょっと休憩させてください」
「……わかった」
最後は俺の話だ。だが、越智が怖がっているので、まだ話し始めない。それに、俺もパッと怖い話を話せるわけではないので、怖い話を思い出すまでの間、適当な雑談をして場を持たせようとした。
「ところで、この家って相当広いよね」
「それはあたしも思った。豪邸じゃん」
「ね、こんな広いお家、入ったことないよ~」
「まあ、ね。でも、おばあちゃん一人で住んでいるから、持て余している感じはあるけどね」
「え? おじいちゃんと二人で暮らしているんじゃないの?」
「何言ってるのよ……私のおじいちゃんはもう亡くなっているわ」
「は? え? …………」
「……ちょっと、どうしたのよほまれ」
「……いや、お風呂から上がってこの部屋に来るとき、廊下でみなとのおじいちゃんらしき人とすれ違ったんだけど」
「……見間違いじゃない?」
「いやいや、確かにいたよ。すれ違ってもこちらにまったく反応せずに、トイレの向かい側の部屋に入っていったから、なんか変だなって思ったけど」
「……トイレの向かいの部屋? それは本当なの?」
「う、うん。それがどうかしたの?」
「その部屋、おじいちゃんの仏壇があるのよ……」
「「「「…………」」」」
しばしの沈黙。まさか自分たちのいるこの建物で、心霊現象が起こったとは思わなかった。怖い現象がつい最近この場所で起こったことに、皆が恐怖を感じているようだった。
「……あ、越智、大丈夫?」
「…………」
「いおりちゃん、大丈夫?」
飯山が越智をゆさゆさ揺さぶるが、反応がない。檜山が越智の掛け布団を剥がした。
そして一言。
「き、気絶してる……」
さすがにこれ以上怖い話をする気も起きず、ここでお開きとなったのだった。