朝六時。目が覚めた。
ぼんやりとする意識の中、体の感覚だけが妙に鮮明だ。
しばらくそのままでいた後、俺はいざ体を起こそうとする。しかし、軽く力を入れても体は動かない。変だな、と思った後、ここでようやく俺は自分の顔が何か柔らかいものに埋まっていることを認識した。しかも、何かいい匂いまでする。
いったいどういう状況なんだ? 俺は自分の置かれた状況を把握するために、もう一度体に力を入れて、動こうとする。しかし、動かない。背中に何かが回されていて、若干圧迫されている感覚。どうやら、俺は誰かに体をがっちりホールドされているようだった。
「んっ……」
俺はなんとかこの状態から脱却しようと、体に力を込めて今のところ自由になっている足を動かす。すると、頭の上の方からみなとの声がした。
……ということは、俺は今、みなとにがっちりホールドされているということか? なら、今俺が顔を突っ込んでいる場所は……まさか、みなとの胸⁉
そんな思考に至った瞬間、俺の頭は一気に熱くなる。慌てて力を込めて抵抗すると、案外あっさりとみなとの腕の中から脱出できた。
後ずさりをして視点を引いてから、改めて自分がいた場所を見る。俺に振りほどかれたみなとが、ぐてっと横になって寝ていた。どうやら、俺はいつの間にかみなとに抱きしめられたような格好で寝ていたようだ。
カーテンの隙間から部屋の中へは、外の明るい光が微かに差し込んできている。それをバックに俺は立ち上がると、部屋の中を改めて見回した。
「なんか、すげーことになってるな……」
俺たちは、昨晩一列に綺麗に横並びになって寝たはず。しかし現在、部屋はかなり酷いことになっていた。
みなとは自分の布団からはみ出して、俺の寝ていた場所を圧迫している。その後ろ側では、越智と檜山が寝ているのだが、彼女たちはまるで喧嘩をしているかのように、布団も被らず、互いの顔に張り手をかました状態で眉をひそめて寝ていた。お互いに不快に思っているだろうけど、目を覚ます気配はない。そして、一番奥で寝ていたはずの飯山は、なぜか九十度回転し、俺とみなとの足元付近まで大移動してきていた。
皆、自分の寝ていた布団なんて完全無視だ。それぞれの掛け布団はあらぬ場所まで飛ばされている。
俺は、はぁ、とため息を一つつくと、振り向いて、背後のカーテンをシャッ! と勢いよく開けた。
「皆、朝だよ!」
※
朝食を食べて少し休憩した後、荷物を鞄に詰め込んで俺たちはチェックアウト。それから最寄りのバス停まで移動して、バスを待つ。
「次はどこに行くんだっけ?」
「アドベンチャーパークね」
俺とみなとのそんな会話の直後、ちょうどバスが到着。午前九時四十分、定刻どおりに俺たちの乗り込んだバスは出発した。
「アドベンチャーパークって、どういうところなんですか?」
「簡単に言うと、動物園と水族館と遊園地が合体したアミューズメントパークね」
「へぇー、なんでもあるんだな」
「スゴいね~」
「あと、パンダもいるわよ」
「パンダ⁉」
その瞬間、飯山がスゴい食いつきを示した。みなとにズイっと詰め寄る。
「パンダいるの⁉」
「え、ええ。いるわよ」
「ホント⁉ 上野にしかいないのかと思ってた~」
確かに、パンダと言えば上野のイメージがある。パンダが来園したり、パンダが子パンダを産んだりするといつもニュースで大々的に報道される。それ以外の動物園のパンダのニュースはほとんど流れないため、上野以外にパンダがいるということを知らない人も多い。実際は、国内では上野に加えて、ここ白浜、そして神戸の三か所でパンダは飼育されている。
「というか、パンダの数は上野よりもこっちの方が圧倒的に多いわよ。今は確か七頭いるはず」
「七頭もいるの⁉ パンダ天国じゃん!」
飯山は興奮気味だ。そんなにパンダが好きなのだろうか? 知らなかった。
バスに乗ること二十分。午前十時ちょうどに、バスは目的地のアドベンチャーパークの入り口に到着した。俺たちは荷物を持って下車する。
「人、多いね」
「仕方ないわよ、夏休みだもの」
入り口にはたくさんの人がズラッと並んでいた。俺たちが着いたとほぼ同時に営業を始めたようで、俺たちの目の前でその列が少しずつ動き出していた。
俺たちは貴重品だけ持って荷物をコインロッカーに預けると、チケットを買って入場する。
「みなとは、ここに来たことあるの?」
「ええ。おばあちゃんちに遊びに行くついでに何回かね。皆は、特に行きたい場所はある?」
「みなとちゃん、パンダ! パンダはどこ⁉」
「そんなに焦らなくてもパンダは逃げないわよ、ひなた。じゃあパンダから見にいこうかしら。皆もそれでいい?」
他の人は首肯する。
というわけで、俺たちはまずパンダを見に行くことになった。
やはりパンダはこのパークの一番の見どころなのか、多くの人が俺たちと同じ方向へ向かっていた。
俺たちはパンダ見物の列に並ぶ。行列はそこそこ長かったが、回転率がいいのか、思ったよりも早くパンダが展示されているところまで辿り着いた。
「あっ、パンダパンダ!」
早速、飯山が透明な仕切りのすぐそばまで近づいて、顔をくっつけるようにしてパンダを眺める。
ジャイアントパンダたちは、俺たちを含め、たくさんの人に見られていた。しかし、パンダらはまったく気にしていない様子で、ゴロゴロと寝転がりながら竹をもしゃもしゃと食べていた。
「へぇー、これがパンダなんだ。初めて見た」
「わたしもです」
「俺も」
「わたしも!」
「そうなの⁉」
俺を含め、みなと以外はパンダを見るのはこれが初めてだった。
俺もこの滅多にない機会にじっくり目に焼き付けておこうと、パンダをじっくり観察する。すると、パンダは一瞬こっちを向いたかと思うと、くるっとひっくり返ってそのままのそのそとどこかへ移動してしまった。
「あ~行かないで~パンダちゃん~」
「そろそろ行くわよ」
あまり長く留まっていると、後ろが渋滞してしまう。飯山はとても残念そうにしていたが、俺たちはパンダのいる場所から離れた。
その後は、園内を一周するバスに乗ってサファリゾーンを一周したり、水族館でホッキョクグマやペンギンを見たり、多種多様な動物たちを見て回る。
俺は動物たちの姿を収めようとスマホを向ける。しかし、俺が近づくとほとんどの動物たちは顔を背けるか、そのままどこかに行ってしまった。なんでだろう? 俺の気にしすぎなのか?
ひととおり回り終えると、お昼時になった。俺たちは昼ご飯をパーク内のレストランで済ませる。そしてレストランを出るが、この後見たいイルカショーの開演時間まではまだ少し時間があった。
「……他に回りたいところはある?」
「このふれあい広場っていうのはどうかな?」
「いいね~行きたい行きたい!」
「じゃあそこに行きましょう」
ということで、俺たちはふれあい広場で時間を潰すことになった。
せっかくなので、動物のおやつを購入する。
「ほれほれ、餌だぞー」
すると、餌を晒した檜山の周りに動物が集まりだす。兎と鹿を足して二で割ったような見た目をしているそいつらは、南米原産のマーラという動物らしい。
しゃがんだ檜山からマーラは餌を食べる。彼女のそばにいた飯山と越智もしゃがんで餌を差し出すと、マーラは彼女たちからも餌を貰う。
「かわいいね~」
「そうですね~」
俺も餌をあげようと、カップからエサを取り出す。そして、三人からは少し離れたところで餌をやっているみなとのところへ近づく。
「餌だよ~……って」
俺が近づくと、みなとの餌を食べていたマーラ二匹は何の前触れもなく、こちらを向いた。そこから俺が一歩近づくと、マーラたちはそれに呼応するように一歩下がる。そして、俺がもう一歩近づくと、マーラたちは脱兎のごとく逃げだして、どこかにいってしまった。
「いってしまったわね」
「なんでだよぅ……」
俺はガックリと肩を落とす。午前中に動物たちを見て回っていた頃から思っていたが、今のマーラの反応で俺は確信した。
「なんか、動物に嫌われているっぽいね……」
「そうみたいね」
俺がこの体になった直後、飼い猫のあずさに嫌われて俺の前に姿を現さなくなったことから、猫に避けられるのはわかっていた。だが、どうやら動物全般に俺は嫌われているようだ。
どうしてだろう……? 俺の体から動物除けの何かが出ているのだろうか? それとも、俺が人間っぽい見た目だけど、実は人間ではない存在であることを、動物たちは野生の勘で察して、不気味に思ったのだろうか?
「これ、あげるよ」
「え、でも……」
「いいよ。俺、避けられているみたいだし。みなとが全部あげちゃって。俺は見ているだけで満足だから」
「そ、そう……」
俺は餌のカップをみなとに押しつけるようにして渡すと、ちょっと残念に思いながら、皆を遠巻きに眺めることにしたのだった。