「はぁー、いい湯だったねー」
「気持ちよかったね~」
俺たちが部屋に戻った時には、もう二十一時半になっていた。
風呂でオーバーヒートしてしまった俺だったが、異変に気づいたみなとが、他のメンバーと協力して、俺を湯船から引っ張り上げ、更衣室に運んでくれたおかげで事なきを得た。そして、更衣室に運ばれてからすぐに俺の意識は元どおりになり、洗面所の近くにあった扇風機にしばらく当たったことで、俺の体温も無事に下がった。
俺が気絶するというアクシデントに巻き込まれた四人だったが、俺への付き添いを交代ですることで、全員が十分に温泉を堪能できたようだった。俺のせいで十分に楽しめない、という事態にならなくて一安心だ。
「ほまれ、体の方は大丈夫なの?」
「うん、特に問題はないみたい」
気絶した時、湯舟に沈んだせいで多少の水は飲んでしまったようだが、今のところ、体の調子はまったく問題がない。この体は、俺の想像以上にタフなようだった。ただ、異常が遅れて起こるかもしれないので、一応、みやびにはメッセージアプリで報告しておく。
「さーて、あとは寝るだけだなー」
そう言って、檜山がスリッパを脱いで部屋に繋がる襖を開けると、そこにはすでに五人分の布団が奥から手前に、横並びに綺麗に敷かれていた。俺たちが温泉に入っている間に、きっと仲居さんが敷いてくれたのだろう。
「場所はどうしますか?」
「俺は窓際の端っこがいいな」
体は女子だが、中身は思春期男子。年頃の女子の間にサンドイッチされて寝るなんてとんでもない! だから端っこがいいのだが、入り口側の端だと、夜中にトイレなどで部屋の外を行き来する人に踏んづけられてしまうかもしれない。人に踏まれた程度では俺の体は壊れないとは思うが、念には念を入れて、俺は入り口から一番遠い、窓際の布団を狙うことにした。
「じゃあ、私はほまれの隣で」
「わたしは一番入り口側がいいな〜」
「じゃああたしはその隣で」
「ではわたしは残りの場所で。決まりですね」
寝る場所は無事に決定。俺は希望していた場所をゲットした! 隣がみなとなのも安心だ。彼女ならきっと俺に対して変なことはしてこないだろう……たぶん。
「それじゃ、電気消すよ~」
昼間、たくさん海で遊んで皆疲れ果ててしまったのか、枕投げなど体を動かすアクティビティをすることもなく、二十二時になる前に、飯山が部屋の照明を落とした。
俺は布団に潜り込み、頭まで布団を被ると、窓の方を向いて目を閉じる。
自分のベッドとは違う寝心地。自分の掛け布団とは違う重み。自分の枕とは違う感触。どうも違和感だらけで俺は変に意識がはっきりしていたが、そのうちシステムが勝手にスリープに切り替わるはずだ。それまで目を閉じて安静にする。
そう思って動かないでいること七分半。まったく動かない俺に対して、他の人たちは興奮からかなかなか寝つけないようで、ゴソゴソと布団が擦れる音が聞こえていた。
そして、ポツリと遠くの方で一言。
「ね、起きてる?」
「……もちろん」
飯山と檜山だった。他の人に聞こえないように小さな声で喋っているようだったが、俺の高性能な耳はばっちり声を拾っていた。
「……寝られない~」
「そうだよね……」
「……わたしもです」
「いおりちゃんも?」
「はい。なんだか気分が高揚してしまって……」
「わかる~あたしもめっちゃ興奮してるもん」
そして、ゴソゴソという音。その音はどんどん近くなって、俺の後方四メートル付近で止まった。
「……何よ」
「やっぱり、みなっちゃん起きてるじゃん」
「……こんな短時間で寝られるわけないじゃない」
「……天野は?」
「ほまれならもう寝てるわよ」
ドキッとした。起きてるよ! ばっちり目が覚めている。だが、みなとが勘違いするのも無理はない。俺はまったく動いていないのだから。
話に加わるなら今しかない。だが、声が出ない。体が動かない。このまま寝てしまいたいという怠惰。話に加わるのは場違いではないかという躊躇。ちょっと動いて『俺も起きてるよ』と言えば普通に話に加われるはずなのに、この時はなぜか勇気が出なかった。
「そっか、ロボットだから起こせなさそうだよな~」
「そっとしておいてあげましょうよ」
みなとと檜山が離れる音。そのまま数秒が経ち、俺は完全に話に加わるタイミングを逸した。
若干の後悔を抱えながら、俺はそのまま聞き耳を立てる。四人はゴソゴソと部屋の中央付近に集まると、何やら話し始めた。
「せっかくだし、恋バナしようよ~」
「いいですね」
どうやら飯山の提案で恋バナを始めるようだ。ますます話に加わりづらくなる。
「え~恋バナ……?」
「いいじゃない、別に」
「んまあ、別にいいけど……」
檜山が妙に渋っていたが、みなとが半ば強引に話題に引き入れる。
「それで、誰から話すんですか?」
「そりゃ、言い出しっぺからだろ」
「え~わたし?」
「だって、自分から話したいから恋バナしよ~って言ったんじゃないの?」
「ぜひ聞きたいわ」
「んも~わかったよ~」
どうやら飯山から話し始めるようだ。
俺は、女子の交友関係をいまいち把握できていない。誰が誰と付き合っているかなんてもっての外だ。よく女子はそういうことに詳しいイメージがあるが、普段の会話を聞いている限り、そのような話題はまったく上がらない。きっと俺の知らない情報網があったり、高度な情報戦が行われているのだろう。
だから、俺にとっては、この恋バナは女子の関係性を知るうえで、非常に重要なイベントだった。絶対に聞き逃せない。
「っていうか、ひなたって彼氏いなかったっけ?」
「え⁉ 彼氏いるんですか?」
「もう別れたよ~」
なん……だと……! 飯山に彼氏がいたことも衝撃だが、すでに別れた、というのも衝撃だった。これまで彼氏と付き合っていた、なんていう話は聞いたことないし、彼女からはそんな態度や雰囲気も感じられなかった。
俺が鈍感なだけだったのか、それとも飯山が隠すのがうまかっただけなのかはわからない。ただ、俺はまだまだ皆のことを何も知らない、というのは確かだった。
「……今気になっている人はいるの?」
「う~ん、今のところはいないかなぁ~」
「か、彼氏にするならどんな人がいいのですか?」
「そうだなぁ~……わたしはぐいぐい引っ張ってくれる人がいいかなぁ~」
「あー……ひなたらしいね」
「え~、どういう意味?」
「だって、ひなたって若干流されやすいところあるじゃん」
「確かに、そうかもしれないわね」
「酷いよ~みなとちゃんまで~」
確かに、飯山はかなり人に流されるような性格である感じはする。スカウトされて成りゆきでバイトを始めるところとか、そうじゃないか?
「じゃあ次はいおりちゃんね」
「え、私ですか?」
「そうだよ~、いおりちゃんは好きな人いるの?」
「気になるわね。いおりの好きな人」
「……今のところはいないですね」
「なんだよー、つまんないのぅ~」
「それじゃあ、どんなタイプの人が好き?」
「うーん……」
しばしの沈黙。
「そうですね……私は、ほんわかしている人がいいです」
「ほんわか?」
「説明が難しいですね……こう、なんと言いますか……守ってあげたくなるような、私が導いてあげたくなるような感じです」
「あー、母性本能をくすぐるみたいな?」
「うーん、まあ、それに近いですね」
「真面目ね」
「いおりちゃんらしいね~」
真面目な彼女の性格が、ばっちりと反映されていた。甲斐甲斐しく世話を焼く越智の姿が目に浮かぶ。
「というか、ひなたの理想の彼氏って、いおりの性格そのままじゃないかしら?」
「「え?」」
「それに、逆も成り立つんじゃ……?」
「「え」」
……確かに! 飯山は自分を引っ張ってくれるような人がタイプ。言い換えればしっかり者がタイプだ。これは、越智の性格そのものだ。一方、越智は自分が導いてあげたくなるような人がタイプ。これは、飯山の性格そのものだ。
つまり、それって……お互いがお互いのタイプ……ってコト⁉
「……もし異性どうしだったら、付き合っているかもしれませんね」
「も~いおりちゃんったら……でも、いおりちゃんが男の子だったら、好きになっていたかもなぁ」
そのまま変な空気になって、沈黙が訪れる。しばらくして、その空気を破るように、みなとがちょっと大きい声を出した。
「じゃあ、次は私の番ね。好きな人はほまれよ。好きなタイプもほ」
「あー、もう知ってるよ。裁判長! みなっちゃんのパスを要求する!」
嬉々として語りだすみなとを、檜山が遮った。他の人もそれに続く。
「うん。わたしもパスで~」
「わたしもです」
「なんでよ!」
「だって、どうせみなっちゃん、惚気話しかしないでしょ?」
「う……」
「このままだと、甘々な惚気話で脳がとろけちゃうよ~」
「胃もたれしてしまいます」
「また今度聞くからさ」
「……わかったわよ」
俺は、ホッと安堵のため息を心の中でついた。みなとは俺が寝ていると思って惚気話をするつもりだったのだろうが、実際には、俺はばっちり起きている。このまま反応するわけにもいかず、延々と惚気話をされてしまったら、俺は猛烈に悶えてしまうだろう。危なかった……。
そして、最後の檜山の番になった。だが、彼女はなかなか喋り始めない。
「さあ、話を聞かせてちょうだい」
「あー、うん……」
「……? どうしたの?」
「気が乗らないのですか?」
「あー……いや……」
「……なるほど、わかったわ」
みなとはパチンと指を鳴らした。
「さては、好きな人がいるのね」
「えっ⁉」
「そうなのですか⁉」
「……うん」
「え、だれだれ? 教えて!」
「……それは」
「大丈夫ですよ、誰にも言いませんから」
「……わかったよ」
俺もドキドキしながら、檜山の言葉を待つ。
「…………」
檜山は何かを言った。だが、声があまりにも小さすぎて、俺の耳をもってしても、彼女の声は直接聞き取れなかった。
だが、直後のみなとの声で檜山の好きな人物はすぐに判明した。
「もしかして、佐田君のこと?」
「え〜、佐田くんのこと好きなの?」
「そーだよ悪いかよ……」
マジかよ……佐田なのか! 確かに佐田はイケメンだし、性格もいいから女子にモテるタイプだとは思っていたが、まさか檜山が狙っているとは! これはスゴい話を聞いてしまったぞ……!
「佐田君のどこが好きなの?」
「やはり、イケメンなところかしら?」
「ん……まあ、そんなところ……」
「おぉ~……頑張ってね! ライバルは多いよ!」
「わたしも応援しています」
「あ、ありがと……」
ここで、俺の頭の中のスイッチが切り替わるような感覚がした。急に意識が遠のいていく。スリープモードに入ったのだ。もっと話を聞いていたかったが、どうやら時間切れになってしまったらしい。
俺はそれに抗う気力もなく、眠ってしまうのだった。