マズいことになった。
内湯に誰かが入っている。俺はそのまま耳をドアにくっつけ続ける。
どうやら、みなとたちが中にいるようだ。
のんびりしすぎたか、それとも、みなとたちが予想よりも早く温泉に入ろう、となってしまったのか。いずれにせよ、俺は大ピンチに陥っていた。
このまま外に立て籠もっていてはジリ貧だ。みなとたちが露天風呂に入ってくる可能性は十分あるし、そうせずに彼女らが風呂から出るのを待っていたとしても、その間に別の人が入って来る可能性がある。
迷っている時間はない。俺は素早く決めなければならなかった。
そして決心する。これ以上、状況が悪化する前に勇気を持って行動しよう、と。
「……行くか」
俺はドアに手をかけると、なるべく音がしないように、静かに慎重に開ける。
そこでバレないのが一番望ましかったのだが、残念ながら現実はそううまくはいかない。俺が中へ一歩を踏み出した瞬間、聞き慣れた声がかけられる。
「あー、天野! やっぱり先に行っていたんだ!」
俺の目の前にはちょうど檜山が立っていた。大事な部分も何も隠していない状態だ。一瞬ギョッとしてしまったが、慌てて目を逸らす。
「……あ、うん」
「なんだよー、独り占めしてズルいぞー。とりあえず、冷えるから内湯入ろうぜ」
「ぇ、ぁ、ちょ」
俺がしどろもどろになっていると、彼女は俺の手を取ってグイっと引っ張ってくる。俺は引っ張られるがまま、再び内湯の中にドボン。完全にロックオンされてしまった。
「あ、ほまれちゃん! 露天風呂に行ってたの?」
「そそ、そうだよ……」
声のする方、すぐ近くの壁際に飯山がいた。俺はちらっとその存在を確認するだけに留めて、すぐに目を瞑る。俺は何も見ていないぞ!
「外、どうだった?」
「星が見えたよ。今は誰もいないと思う」
「へ~、後で行ってみるね!」
後で、じゃなくて今すぐ皆で行ってほしい! そうしてくれないと、俺の精神がもたない!
そんなことを考えて、俺は何も見ないように努力する。だが、そうして目を瞑っていたことが、かえって仇になってしまった。
「それにしても、やっぱりデカいな天野~」
檜山の声が背後から聞こえた。
しまった! と思うも後の祭り。胸を鷲掴みにされた。
「にゃぁぁああ⁉」
「おー、やわらか」
「やめっ、ちょっ、あっ、揉むな、揉むなぁー!」
俺は全力で抵抗する。湯舟の水がめちゃくちゃに跳ねるが、檜山はなかなか放してくれない。やめろ、この変態! セクハラだぞ!
しばらくなされるがままにされて、もうダメかも、と思った頃だった。
「やめなさい!」
「うげ」
檜山のさらに後ろからみなとの声。その瞬間、ドスッと若干鈍い音が響き、檜山の手がパッと離れる。俺は慌てて胸を腕でガードすると、檜山から距離を取り、振り返った。
見ると、そこには頭を押さえて下を向く檜山と、その後ろで起こったような表情をしているみなと。どうやら、みなとが檜山の頭にチョップしたらしい。
「やりすぎよ。ほまれが嫌がってるじゃない」
「う……」
「謝りなさいよ」
「……ごめん」
みなとの、かなり怒っている口調に、檜山はさすがにやりすぎたと思ったのか、だいぶ凹んだ様子で謝ってくる。
「……もうやらないでよ」
こちらとしては、セクハラさえしてこなければいいんだけどさ。
檜山によるセクハラ攻撃が終息したことで、俺は改めて周囲の状況を薄目で把握する。
今、俺がいるのは女湯の内湯。俺の周りには、みなと、檜山、飯山、そして越智の四人が入浴している。他には、誰もいないようだ。
そもそも、俺はこんなところで入浴している場合ではない。周りに全裸の女子が四人もいるのだ。檜山に抵抗できずに風呂に連れ込まれただけで、本来なら自分の精神衛生のためにもとっとと脱出するべきなのだ。
そう思って、脱出しようと試みるが、ふと鋭い視線を感じた。
俺はその視線の元を辿って、反射的にビクッと反応してしまう。
「…………」
視線の主は、越智だった。目をめっちゃ細くして、スゴく険しい表情でこちらを見ている。
お、俺、越智に何かしたっけ……? 檜山に抵抗して風呂で暴れたことを、不快に思っているのか……? それは悪かったと思うのだが……。
すると、越智はポツリと呟いた。
「……おっきいですね」
「へ?」
それから、自分の胸のところに手を当てる。
「……くっ!」
越智は、少々大袈裟に、悔しそうな声を出した。
俺は察してしまった。
……さっきの視線は、俺の胸に注がれていたらしい。別にこれの大小がすべてではないとは思うが、確かに小さいことを気にする人もいるだろう。だが、越智は、どうやら自分の胸にコンプレックスを抱いているみたいだった。
ただ、大きいのもいいことばかりではない。男子からは変な視線で見られるし、選べる服のバリエーションが減ってしまうし、面白半分でいじられるし……俺はこの体のせいで、かなり散々な目に遭ってきた。それを考えれば、逆に俺は越智が羨ましい。
「それにしても、ほまれって、本当にアンドロイドなのよね?」
「え? うん。そうだよ」
そんなことを考えていると、ざぶざぶとお湯を掻き分けて、みなとが俺に近づいてきた。
そして、そのまま俺の前に回ると、俺の体に顔を近づけてくる。俺は思わず後ずさりをした。
「な、何……? どうしたの?」
「……ほまれの体って、アンドロイドらしさがないわよね」
「どういうこと?」
みなとは俺の腕を取ると、指で皮膚をなぞりながら言う。
「ほまれって、中の機械に皮膚を被せたタイプのアンドロイドではないわよね?」
「ああ、うん」
みやびからは、この体は、中の機械や骨格に合わせて皮膚をパズルのピースのようにうまく貼り付けてこの外見を作っている、と俺は聞いている。
「もし皮膚を貼り合わせて作るタイプのアンドロイドだったら、どこかに継ぎ目が見えると思うんだけど、それが普通に生活しているときは、まったくわからないのよ。だから、本当にただの人間みたいに見えるのよ」
「なるほどね」
確かに、一見すると俺の肌にはまったく継ぎ目がないように見える。俺の肌は抜けるように白いので、もしあったとしたらかなり目立つはず。しかし、実際のところは、継ぎ目があるはずの関節部分ですら、ほとんど見えないのだ。
ただ、継ぎ目自体は確かに存在する。皮膚をギューっと伸ばして、やっとうっすらと継ぎ目が見えるくらいではあるが。ここまで継ぎ目を見えなくして自然な外見を実現したのは、きっと研究の成果なのだろう。
「どこかに継ぎ目、ないかしら……?」
みなとは、俺の継ぎ目をなんとしてでも見つけたい様子で、俺の周りをぐるぐる回ってあちこちを凝視する。そ、そんなに注目されるとちょっと恥ずかしいな……。
「この辺には……」
みなとが俺の背中側に回る。継ぎ目探しにあまりにも夢中になっているのか、俺の背中にのしかかってピッタリと密着してくる。
ちょちょ、みなとさん! 当たってますよ! 思いっきり当たってますよあなたの胸!
ナンパの後に抱き着かれた時は水着越しだったからまだ耐えられたが、今は直にべったりと当たっている。かなりの大きさの胸が、もにょんと変形して押し付けられる感覚が伝わってくる。
俺の理性は崩壊寸前だった。なんとしてもやめさせなければ……!
「ちょちょ、みみみ、みなと……」
「どうしたの?」
「そそ、そのむむ、むねが……」
「むね?」
その瞬間、頭がクラッとした。
俺は内湯にいったん浸かった後、露天風呂に浸かって、さらにもう一度内湯に浸かっている。露天風呂から出た時には、体内の温度はすでにかなり高くなっていたのに、そこから内湯にかなりの時間浸かっていた。
そして、女子に囲まれているこの状況。檜山にセクハラされ、さらにみなとからは胸を押しつけられている。俺の精神には相当の負担がかかっていた。つまり、俺の電子頭脳にも相当の負荷がかかっていた。
こうして、ダブルで熱をたくさん発生させる要因が重なった結果、俺の体はオーバーヒートしてしまった。
ボーっとして、何も考えられなくなる。頭が熱く、全身の感覚が遠ざかっていく。
「ほまれ? どうし……の? ほ……! …………!」
みなとの声が遠ざかっていき、体が水の中に沈んでいくのを感じながら、俺の意識は暗闇に沈んでいくのだった。