旅行当日、午前七時十五分。俺は、学校から一番近いJRの駅の駅前広場に向かっていた。
ついにこの日がやってきた。旅行自体が久しぶりな上に、友達だけと行くのは初めてなのだ。これが楽しみでないわけがない。胸が弾んでいる。
集合場所である駅前の広場には、七時半に集まることになっている。ただ、俺は万が一を考えて、十五分前に到着するように調整していた。
「お、きたきた~」
「おはよう、ほまれ」
「おはよう、二人とも」
集合場所に到着すると、そこにはすでに飯山とみなとの姿があった。十五分前ってかなり早めに着いた方だと思うのだが、それよりも前に来ているなんて、二人ともよほど楽しみだったのだろうか?
「二人はいったい何時に着いたの?」
「私は五分前だよ」
「私は十五分前ね」
飯山はいいとして、みなとは早すぎないか⁉ 十五分前というと、午前七時にここに着いたことになる。いくらなんでも三十分も前に着いてしまうのは早すぎなのでは? と思ってしまう。
「みなと……早すぎじゃない?」
「みなとちゃん、今日の旅行が楽しみだったんだよね?」
「んまあ、そうね」
みなとは髪をいじりながら、ちょっと恥ずかしそうにそう答えた。
家が近いのに集合時間の三十分前に到着した事実が示すとおり、俺以上に楽しみにしていたようだ。
「飯山もだいぶ早くに着いているよね」
「わたしは家が遠くて、電車が遅れたら大変なことになっちゃうから」
「なるほどね」
飯山の家はかなり都心側に位置している。ここに来るためにはかなり時間が必要だ。移動する時間や距離が長ければ長いほど、遅延に巻き込まれるリスクは高くなる。彼女が早めに来るのも当然のことだった。
それから五分経って、午前七時二十分。越智の姿が見えた。
「おはようございます」
「「「おはよう」」」
越智は、一見すると普通の格好だ。しかし、他の人とは明らかに異なる点があった。
「なんか荷物小さくない?」
「そうね。それだけで足りるの?」
越智の荷物は、俺たちの荷物に比べるとだいぶ少なかった。俺はボストンバッグ+スーツケース、みなとと飯山はスーツケース+リュックサックと、皆それなりの荷物を持っているのだが、越智は、スーツケース一つだけ。今回は二泊三日の予定なのだが、それだけで本当に足りるのだろうか? 特に、女子は荷物が多くなる傾向にあるが……。
「ええ。極限まで無駄を省きました。重い荷物を運ぶのは嫌なので」
「いおりちゃんらしいね」
越智の性格は荷物にまで反映されていた。
それから、俺たちは残り一人の到着を待つ。
集合時間は七時半だが、電車の発車時刻は七時四十九分なので、最悪十五分くらい遅れても大丈夫ではある。それでも、集合時間が近づいてくると、このまま現れないのではないか、と不安になってしまう。それは皆も同じようで、スマホをいじったり、妙にそわそわしたりしていた。
俺の体内時計が、午前七時三十分を知らせたちょうどその時だった。
「おはよー、皆! もう来てたんだ」
「おはよう、檜山」
「もう、遅いわよ」
「心配したよ~」
「電車が遅延したのかと……」
「えぇ……あたし、ちゃんと間に合ったよね? そうだよね?」
現れてそうそう困惑している檜山。
サングラスに麦わら帽子、そしてラフな格好をしてデカいスーツケースを二つ、ガラガラと引いている。すでに彼女の周りだけ南国であるかのようだ。これから向かうのだけれど、服装と雰囲気はばっちりだ。
「よし、それじゃ、行こうか!」
五人全員が揃ったところで、俺たちは出発する。
今回、ここから目的地の南紀白浜までは鉄道を使って移動する。飛行機での移動も考えたが、高校生に片道四万円弱はさすがにきつかったので、半分未満の料金で済む鉄道での移動になった。
まず俺たちが目指すのは、最寄りの新幹線の駅だ。最寄りといっても、ここからは五十分ほどかかる。
大した遅れもなく、俺たちは八時四十分に新幹線の駅に到着した。それから事前に買っておいた切符を使って改札を通り抜け、新幹線のホームへ足を踏み入れる。
少し待っていると、新幹線がやってきた。博多行きののぞみだ。
「実物で見るとカッコいいなぁ、新幹線!」
「あれ、檜山は新幹線に乗ったことないの?」
「ない。今日が初めて」
意外な答えに俺は少々ビックリした。地方に住んでいるならまだしも、都内に住んでいるならば、このくらいの年齢になるまでには家族旅行や修学旅行などで一度くらいは乗ったことがあるだろう、と思っていたのだが。
俺たちは早速新幹線に乗り込む。
俺たちが座るのは指定席だ。お盆の時期に近いので、だいぶ予約は取りづらかったが、運よく五人の席を確保することができた。進行方向に向かって左から、檜山、飯山、越智、通路を挟んで俺、そしてみなとの順に、一列になって座る。
八時四十八分、新幹線が発車した。これからおよそ二時間車内で過ごせば、新大阪に到着だ。俺たちはそこで乗り換えのため、降りることになる。
「すげー、速いなー」
檜山はテンション爆上がりで、まるで無邪気な子供のように窓にひっついていた。つられて俺も窓の外を見る。新幹線はぐんぐん加速していき、圧倒的なスピードで景色が後ろへ、後ろへと流れていった。
前方の電光掲示板が、三島駅を通過したことを知らせたその時、ちょうど車内販売がやってきた。
俺たちは車内販売の人を呼び止めると、次々と弁当を注文する。
今回は、乗り継ぎがかなりタイトだ。しかも、新大阪からの特急は本数もあまり多くはない。だから、新幹線の中で弁当を注文し、それを特急の中でお昼ご飯として食べなければならなかった。
「あたしはおむすび弁当で」
「わたしは小豆あんぱん」
「わたしはこの新幹線弁当で」
「私は新幹線弁当とカツサンドとハム&たまごサンドで」
「みなと、多くない⁉」
「そう? いつもこんなものだけど」
みなと一人で二人分くらい頼んでいるような気がする。
ここで一人だけ何も頼まないのもばつが悪いので、俺はミネラルウォーターを注文した。車内販売で俺が飲食できるのはこれしかないのだ。ちくしょう。
みなとは早速、ハム&たまごサンドを食べ始めている。まだ九時台なのだが、お腹が空いてしまったようだ。お昼ご飯が食べられるか心配になってしまうところだが、みなとならたぶんお昼ももりもり食べるだろうな……。
「富士山が見えてきたわね」
「どれどれ?」
みなと越しに、窓の外を見ると、雄大な富士山が真ん中に鎮座していた。今日は機嫌がいいらしく、雲に遮られることなく頂上までその威容を見せている。いつもは遠くから小さく見えるだけなのだが、本当はとても大きく美しい山なのだと、再認識させられる。
「こんなに富士山を近くで見るのは久しぶりかな」
「……ほまれはよく旅行に行っているんじゃないの?」
「いや、そんなことないよ」
「でも、ご両親はよく旅行で家を空けているじゃない」
「親はね。俺とみやびはそんなに行くわけじゃないんだ」
「そうなのね……」
もちろん、旅行に行ったことがないわけではない。小さい頃はよく連れていってもらっていたが、最近はいろいろ忙しくて連れていってもらえていないのだ。
「ほまれさんのご両親は旅行好きなんですか?」
「うん、今世界一周旅行に行ってる」
「え⁉ それはスゴいですね……ちなみに、お仕事は何をされているのですか?」
「うーん……一言で表すのが難しいけど、父さんはライターで、母さんはブロガー……かな?」
一言で表すのが難しいのは、両親ともいろいろな仕事をしているからだ。父さんはさっきライターの仕事をしていると言ったが、正確には旅行しながら、旅行ライターをしたり現地でジャーナリストの仕事をしたり、写真家として写真を撮ったりしている。一方、母さんは旅行系ブログをしながら、小説を書いている。ブログの方は閲覧数がかなり多く、いわゆる旅系人気ブロガーとしての地位を確立しており、小説もそこそこ売れているみたいだ。
さらに二人とも投資もしているし、懸賞でいろんなものを当てまくっている。そこにみやびの研究の産物から生まれるお金もあるので、我が家はお金には困っていないのだ。こうしてみると、俺だけ何もできていないようでなんだか恥ずかしい。他の三人がスゴすぎるだけなのだが。
車内で思い思いに過ごしていると、午前十一時ちょうどに、新大阪駅に到着した。
「本当にエスカレーター逆なんだな……」
「間違えないようにしなければいけませんね」
エスカレーターの開けるサイドが逆であることに軽くカルチャーショックを受けつつ、俺たちは改札をくぐり抜けて、若干迷いそうになりながらも、特急くろしおに乗り込んだ。
十一時十五分、新大阪駅を出発。この特急の終点である白浜駅が、今回の旅の目的地だ。所要時間は約二時間半。新幹線以上の長丁場になる。
そして、その間にお昼ご飯タイムだ。十二時十五分を回り、和歌山駅を出発した頃、新幹線の中で買ったお弁当を広げて食べ始める。
そんな中、一人だけ弁当を食べずに水を飲んでいる俺を見て、檜山が聞いてくる。
「それにしても、天野は本当に食べないんだね」
「まあ、ね」
俺にも某猫型ロボットみたいな『原子胃ぶくろ』が備えつけられていればなぁ……。充電式なので、お腹が減ることを心配しなくてよくなったり、ご飯に時間を使わなくて済むようになったのはよかったけど、食べられないのはそれに勝る悲しみだ。
「……見てるだけで食べられないのは、わたしだったらとてもつらいです」
「ふぉうね」
越智の言葉に、隣でもっしゃもっしゃとカツサンドを食べながらみなとが同意する。たぶん、俺みたいにものが食べられなくなったら、間違いなくみなとが一番ショックを受けるだろうな。
特急はところどころで停車しながら、青と緑の狭間を縫うように走っていく。右手には太陽の光を反射して煌めく太平洋が見える。いよいよ、目的地が近づいてきた感じがする。
午後一時四十七分。特急は終点の白浜駅に到着した。電車での移動はこれで終わりだ。ここからはバスを乗り継いで、まずは旅館を目指す。
「眠い……」
「もう、起きてよ~」
檜山はさっきまで電車の中で寝ていたので、まだ眠そうだった。飯山に寄りかかってまた寝そうになっている。
白浜駅からはちょうど路線バスが出ていた。俺たちは窓口で乗車券を購入すると、十四時ちょうど発のバスに乗り込む。
「旅館はどこにあるのかしら?」
「砂浜の目の前らしいよ」
「そう。なら、荷物を置いたらすぐに海に遊びに行けるわね」
「うん」
今回貰った宿泊券で泊まれる旅館だが、なんとビーチの目の前にあるのだ。景色もいいし、海辺へのアクセスもよい。こんなものが当たる懸賞をした新聞社はいい仕事をするなぁ!
バスに揺られること二十分。旅館の最寄りのバス停に停車すると、俺たちは次々とバスを降りる。
そして、バスが通り過ぎると、俺たちの目の前に広がっていたのは。
輝く太陽。真っ白な砂浜。その向こうに広がるマリンブルーの澄んだ海。
「海だー!」
俺たちは、ついに南国の海に到着したのだった。