ついに一学期が終了し、夏休みに入った。
大幅に暇な時間ができた俺は、メイド喫茶でのアルバイトに精を出していた。
「~♪」
「ほまれちゃん、上機嫌だね〜」
「そうかな?」
「そうだよ~」
店に人がほとんどいない時間帯、特にやることもなく、お冷の補充などをしていると、飯山が話しかけてきた。
俺としては普段どおりに過ごしているつもりなんだけど、もしかしたら無意識の間に俺の心の中が表に出てしまっていたのかもしれない。今だって、気づいたら鼻歌を歌っていた。
「店長さんも言ってたよ〜。『なんかほまれ、上機嫌だな。何か嬉しいことでもあったのか?』ってね」
「ええ~」
どうやら店長さんも俺の様子がちょっと変だと感じているらしい。こりゃだいぶ表に出てしまっているな。接客時に悪い影響が及んでいないかちょっと心配になる。
「やっぱり、旅行が楽しみなの?」
「もちろん!」
その原因は間違いなく、今度の旅行だろう。
あれからメッセージアプリでグループを作り、そこで話し合った結果、正式に旅行に行くことが決定した。メンバーは俺、みなと、檜山、飯山、越智の五人。行き先は南紀白浜。そして、みなとによると、現地にあるおばあちゃんの家に泊めてもらえることになったので、俺の持っている旅館の宿泊券と合わせて、二泊三日、つまり旅館で一泊、みなとのおばあちゃんの家で一泊の旅行になったのだった。
今まで家族だけで旅行に行く、というのは何回かあったが、友達だけで行くのは初めてだ。しかも、旅行に行くのは中学生以来。これが楽しみにしないわけがない。そう考えると、俺の顔に出てしまうのはある意味仕方のないことかもしれない。
「やっぱり、楽しみなことがあると仕事は頑張れるよ」
「なんだか社会人みたいなことを言い始めたな、ほまれ」
「「店長さん⁉」」
すると、キッチンから店長さんが顔を出した。普段はずっと料理を作っていてあまりこういう雑談には加わらないのだが、手が空いたのか、店長さんが話に入ってくる。
「ほまれ、旅行に行くのか?」
「はい! いい……ひなたと、あと他に友達三人と一緒に、和歌山まで行くんですよ」
「へぇー、それは羨ましいな」
店長さんはそう言うと遠い目をする。
「私が最後に旅行に行ったのはいつだったかな……」
「「……」」
「そんなかわいそうなものを見る目で私を見ないでくれ……」
店長さん、大変なんだなぁ……。お疲れさまです。少しは時間を作ってのんびりした方がいいですよ。
「それじゃあ、ほまれとひなたは海に行くのか?」
「はい!」
「楽しみです~」
「そうか。だったら一つアドバイスだ」
店長さんは、いつになく真剣な口調で俺たちに言う。
「海水浴場で男に声をかけられても、絶対についていくなよ。きっぱり断るんだ」
店長さんは、俺と飯山をジロジロと見ると。
「二人は可愛いからな。絶対男が寄ってくる」
「可愛いなんて、そんなことないですよ~」
「そうですよ」
「はぁ……とにかく男には気をつけるんだぞ。奴らは全員オオカミだから、何してくるかわからない。油断するなよ」
「は~い」
「……」
俺としてはそう言われると複雑な気持ちだ。全員オオカミというわけではないと思うが、世の中には変態がいるのも確かだからだ。男を警戒する女の人の気持ちもわかる。もちろん、俺は絶対そんなことはしないけどね!
ちなみに、店長さんには俺が本当は男であることも、体がアンドロイドであることもまったく言っていない。本当はマズいのかもしれないが、面接の時に言いそびれてしまってそのままなのだ。いつかは明かさないといけないんだけど、言う機会と勇気がない。
「ほまれちゃん、すいませ~ん」
「ほまれちゃん、呼んでるよ!」
「は~い☆ 今行きま~す☆」
お客さんに呼ばれて、俺は注文を取りに行く。
俺が仕事を頑張っている理由は、旅行が楽しみだから、だけではなく、もう一つある。
それは、お金だ。
前から心配していたお金の問題だが、バイトを始めてから週払いで給料を貰えるようになったことで、一応解決した。みやびの学校が終わってからも、これまでの生活を維持できている。
さらに、つい先日、両親からやっと生活費の振り込みがあったのだ! これで、俺たちの財政危機は完全に終結したのだった。
すると、今度は別の欲求が出てきた。両親から貰う生活費を使ってもいいのだが、せっかく働き始めたのだから、自分で自分の遊興費くらいは稼ぎたい。そんなわけで、今は、今度の旅行に必要な費用を賄うという目標のもと、一生懸命バイトをしているのだ。
オーダーを取ってくると、店長さんにそれを伝える。すると、店長さんはすぐにキッチンへ引っ込んで料理を作り始めた。
「それにしても、ほまれちゃん、かなり人気が出てきたね」
「そうかな?」
「そうだよ~。お客さんからの指名も増えているよ?」
飯山が示したのは、壁に貼ってある今月の指名回数一覧の表。名前の欄の横の丸いシールの数で、指名回数を示している。まだ八月に入ってすぐなので、全員そんなにシールは貼られていないが、だいたい他の店員と同じくらい……いや、それよりちょっと多いくらいだ。
他の人と比べて指名回数を競争しているわけではないし、そもそも自分の指名回数自体全然気にしていなかったのだが、こうして見てみると、俺って意外と指名されているんだな……。
「ほまれちゃん、入ってからまだ二週間くらいなのに、ここまで指名するお客さんが増えるのはスゴいことだと思うよ~」
「そりゃどうも」
漫然と見ていると、俺はあることに気づいた。
「……ってか、ひなた、指名回数一位じゃん!」
「えへへ~」
『ひなた』の欄だけなんか異常にシールが貼りまくられている! すでに二位の人の二倍、いや、三倍くらいシールが貼られているんじゃないか……?
「え、ということはひなたはこの店のナンバーワンメイド……?」
「どうも、ナンバーワンやらせてもらってます~」
実は飯山は、俺よりもはるかにスゴいメイドなのであった。
そんなことを話していると、チリンチリンとドアベルが新しく客が来たことを知らせた。俺は急いで入口へ向かう。
そこに立っていたのは、一言で表せば不審者だった。
外はクソ暑いのに、なぜか長袖の上着を着ていて、手袋をはめていた。頭には、セレブが好みそうな素材のよさげなアイボリー色の帽子を被っている。サングラスにマスクをかけたその姿からは、絶対に顔を見せないぞ! という強い意志を感じる。背格好から推察するに、どうやら女性のようだった。
だが、そんな不審者でも、ナイフを取り出したり、突然暴力を振るいだしたりしない限り、接客するのが基本だ。この店に来た時点で、お客様はお客様だからだ。
俺は湧き出てきたいろんな思いを心の中に押しとどめ、笑顔とハイテンションを作り出す。
「お帰りなさいませ、お嬢様☆ 一名様ですか?」
「…………」
その人は、何も言わずにただ頷く。声も出さないほどの徹底ぶりだ。俺は、このひたすら個人情報を明かさないことを徹底している様子に、逆に少し感心を覚えた。
「了解しました☆ メイドのご指名などはございますか?」
「……」
彼女は無言で俺を指差した。
俺⁉ よりにもよって俺かよ! いやまあ、不気味だけどこちらに危害を加えてこないなら別にいいんだけどさ……。
「それではわたしがご案内いたしますね☆ こちらの席にどうぞ☆」
俺は席に案内すると、メニューとお冷を手渡して、決まったらお呼びください、と普通の対応をする。その人は、迷う間もなくメニューを指差して、注文をしてきたので、俺はそれを承った。案内している最中、後ろから刺されたりしないかと少し心配になったが、さすがにそれは杞憂だった。
それにしても、あの格好、いったい何なんだろうか? 何の理由もなく、そんな格好をするわけがない。真夏にこんな暑苦しい格好をする意味とはいったい何なんだ? 俺には全然想像できなかった。
オーダーを店長さんに伝えた後、遠くからその人のことをこっそり注視していると、不意に飯山が近づいてきて小さな声で話しかけてきた。
「スゴい格好だね」
「うん。外は三十度以上あるのに、暑くないのかな?」
「絶対暑いと思うよ~」
「そうだよね……なんであんな格好をしているんだろう? 言い方悪いけど、不審者と思っちゃうよね」
「そうだね~……」
飯山はしばらくその人をじっと見つめる。その人は、そんな飯山や、俺に気づくことなく、マスクを顎にかけてお冷を飲んだ。さすがに暑苦しさをずっと耐えることはできなかったようだ。というか、熱中症で店内で倒れられても困る。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「うーん、あの人、もしかして……」
「……まさか知り合い?」
「あんまり自信ないけど、たぶん知り合いじゃないかな~」
「マジで⁉」
あの人、飯山の知り合いなのか⁉ ヤバい人と知り合いなんだな……。
「ちょっとわたし、行ってくるね」
「え、ちょ、は⁉」
すると、突然飯山がつかつかとその人の方へ歩き始めた。俺が指名されているんだけど……いったい何をする気なんだ? 俺はどうしていいか思いつかず、俺は何も考えずに飯山の後ろを慌ててついて行くことしかできなかった。
そして、飯山はその人の横に立ち止まると、かがんでその人に話しかけた。
「ね、もしかして、みなとちゃんでしょ?」
「⁉」
「は⁉」
俺は思わず変な声をあげてしまった。いったい何を言い出すんだ飯山⁉ この不審者がみなとだって⁉ まさか、そんなことが……。
だが、この人物は俺以上に動揺していた。ガタガタと、座っていた椅子が音を立てる。そして、ブンブンと首を横に振り、手を振って否定していることをアピールするが、飯山はそんな様子には目もくれず、じっとその人の顔を見つめていただけだった。
「隠さなくてもいいんだよ、みなとちゃん」
「…………」
すると、その人は諦めたようで、否定するジェスチャーを止めた。
「……みなと、なのか?」
「……バレてしまったのなら仕方がないわね」
そう言うと、その人は室内でも決して取ろうとしなかった帽子、マスク、そしてサングラスを取った。
その下から現れた素顔は……間違いなく、古川みなと、その人だった。
「やっぱり~」
「……どうして私だとわかったの?」
「いや~、お冷を飲むときに見えた口元が、みなとちゃんだったから」
「スゴい……」
それだけで誰だかわかったのか飯山は⁉ スゴいな……。専門家もビックリの人物判別能力だ。
みなとは汗をハンカチで拭って、お冷を飲む。
「それにしても、どうしてわざわざ変装したの? 普通に来てくれればいいのに……」
「それだと、知り合いだからってほまれが私に対して何か違った対応をしてくるかもしれないでしょ? 私はきちんとほまれがメイドをしているか、見届ける義務があるのよ」
「なんじゃそりゃ……」
飯山に俺のメイド服姿を流した責任を感じて、心配して来てくれたのだろうか? ……いや、みなとのことだから、案外、ただ俺がメイド喫茶で働いている姿を見たくて来ただけかもしれない。うん、きっとそうだろう。
「それにしても、私の目に狂いはなかったようね」
「え?」
「ほまれには、メイド服がよく似合っているってことよ」
「そう? えへへ……」
「ホント、可愛いわね……家が金持ちだったら絶対に雇うわ」
「んもう、お世辞がすぎるよ」
でも、褒められるとやっぱり嬉しかった。
と、ここで、視界の端で店長さんが料理を完成させたことを捉える。俺はいったんその場から離れると、料理を受け取ってみなとのもとへ運ぶ。
「お待たせしました、お嬢様☆ オムライスでございます☆」
できたてのオムライス。とてもおいしそうだ。俺は食べられないけどね。
普通の飲食店では、出すだけで終わりだろう。しかし、メイド喫茶では、もうひと手間踏む必要がある。
「それでは、お絵描きさせていただきます☆ 何かご希望はございますか?」
「『みなと♡ほまれ』で」
「……マジで?」
「『みなと♡ほまれ』で」
「かしこまりました☆」
とんでもないリクエストきたー! 思わず素になっちゃったよ! 小声だったから周りには聞こえていないだろうけど!
実際、こういうリクエストがお客さんから来るのはよくあることだ。ただ、俺とみなとは本当のカップルなので、ちょっと動揺してしまったのだ。
しかし、今の俺はメイドだ。お嬢様のリクエストなのだから、ご奉仕しなければならない!
少々の恥ずかしさを伴いながらも、俺は手に持ったケチャップを出して、黄色の小さいキャンバスに、リクエストどおりに描いていく。
「これで大丈夫ですか?」
「完璧よ」
「それでは、おまじないをかけさせていただきますね☆」
俺は一拍置く。
「おいしくな〜れ、萌え萌えきゅ〜ん☆」
「ミ゜」
「だ、大丈夫⁉︎」
「……大丈夫よ、ちょっと尊すぎて、意識が飛んでしまったわ」
「そ、そうなんだ……」
「とにかく、これでおいしく食べられるわね、ありがとう」
「どういたしまして☆ ごゆっくりお楽しみくださいませ☆」
この後、みなとは俺とチェキを撮って、大満足して帰っていったのだった。