「はぁ〜……ただいま……」
「おかえり、お兄ちゃん!」
バイトを終えて、家に着いたのはすでに日が落ちてからだった。
「どうだった、バイト?」
「うん……悪くはないけど……」
「悪くはないけど?」
「疲れる」
仕事をやっているうちに、テンションがぶっ壊れて、『ハイテンション↑↑↑』になっていた。普段の自分とはまったく違う態度で、何時間も働いていたのだ。体は疲れないし、やっている間は楽しいのだが、終わってテンションが元に戻ってくると、精神的にどっと疲れが押し寄せてくる。
「そっか……お疲れさま」
「どうも」
まあ、これでなんとか食い繋いでいけるはずだ。この状況に早く慣れないと。
本当なら帰ってすぐにベッドにダイビングしたい気分だが、そうもいかない。俺にはまだまだやることが残っているのだ。荷物を部屋に置くと、もう一度リビングに戻る。
「さて、夕食の準備をしなくちゃね……」
「あ、お兄ちゃん。夕食は食べてきたから大丈夫だよ」
「なにっ……⁉︎ それならメールし」
「メールしたよ」
「マジか」
慌ててスマホを確認すると、確かにみやびからその旨がメッセージアプリで送られてきていた。帰りの電車ではスマホを確認する心の余裕もなくグテッとしていたから、全然気づかなかった……。
「ついでに食器も洗っておいたし、洗濯物も畳んで、しまっておいたよ」
「おお……ありがとう!」
我が妹ながらやるな……! 俺が家に帰ったらやろうと思っていた家事をほとんどを終わらせてくれたのか!
普段みやびは家事なんてせずに、すべて俺に頼りっきりだ。しかし、俺が働くことになり、自分から手伝うと宣言して家事をしてくれた。みやびの成長が見られて、お兄ちゃん、とっても嬉しいぞ!
もし俺がバイトを辞めても、この調子で家事を手伝ってくれないかなぁ〜。
やるべきことが全部先回りされて済まされているとわかったからか、急に気が抜けて俺はソファーにだらっと腰掛ける。そのままズリズリ姿勢が崩れて、お尻から床に転落しそうになるけど、力を入れて踏ん張った。
「そういえば、お兄ちゃん」
「ん?」
「これなんだけどね」
みやびが俺の前でしゃがんで、薄いハガキのようなものを見せてくる。俺は姿勢を正すと、それを受け取って顔に近づけてじっと見る。
宛先は父親の名前になっている。もちろん、住所はうちのものだ。どうやら、いつも購読している新聞の会社から送られてきたようだ。
「新聞社からハガキが来るなんて珍しいね」
「うん。それより、見てほしいのは裏面だよ」
「裏面?」
言われるがままにハガキを裏に返す。すると、俺の目にデカデカと書かれた文字が飛び込んできた。
「『ご当選おめでとうございます!』」
「そう、当選したんだよ!」
ということは、これは親が出した、新聞の懸賞の当選通知ハガキ、ということか!
それにしても、みかんだの空気清浄機だの、いろんなものを当ててくるなぁ。家にあるものの半分くらいは懸賞で当てたものだと思えるくらいだ。
今回も小さな家電か、それとも何かの商品券かその類かと思って内容を追っていく。しかし、その下に書かれていたのは思いもよらぬワードだった。
「……旅行?」
「うん。旅館の無料宿泊券だね。しかも五枚」
「五枚⁉︎」
みやびがニヤリと笑いながら、扇を広げるように券を持って取り出した。その券一枚一枚に『無料宿泊券』と書いてある。
やはり両親は幸運の女神をペットにしているに違いない。
「スゲーな……父さんや母さんには伝えたの?」
「もちろん!」
旅行好きの人種なのだ。旅館の無料宿泊券が当たって嬉しくないはずがない。
しかし、俺の予想に反して、みやびはちょっと困ったような表情をする。
「これさ、期限が八月末までなんだよね」
「五枚とも?」
「五枚とも」
ここでふと思い至る。
「今、父さんと母さんって、世界一周旅行中だよね?」
「うん」
「……八月中には帰ってこないよね?」
「そうなんだよね」
つまり、せっかく懸賞で当たったとしても、期限切れで使えなくなってしまうのか。世界一周旅行を中断してまで、こちらに戻ってくるわけにもいかない。
「じゃあどうするの?」
「このままだともったいないいから……お兄ちゃん、旅行行ってきてよ」
「えぇぇえ⁉︎」
突然だな! あまりにも突飛な提案に俺の思考が一時停止するが、すぐに復活して一瞬のうちにいろんな考えが頭の中を巡る。
「そもそも旅行なんて……今、家の財政状態ヤバいでしょ⁉︎」
「別に今じゃなくてもいいんだよ。八月になるまでには生活費が振り込まれるはずから、それから行けばいいじゃん」
「まあそうだけどさ……それに俺が旅行なんて大丈夫なの? 現地でもし何かあったら、大変なことになると思うんだけど」
「そこは大丈夫。研究所のチームを派遣するし、旅行中はお兄ちゃんの邪魔にならないように全面的にバックアップするから」
「そ、そうなのか……でも、そもそも一人で五枚なんて……五連泊もするつもりないよ」
「なにも、お兄ちゃん一人で行け、なんて私は言ってないよ」
「え?」
「友達を誘って行けばいいんだよ」
「まあそうだけど……みやびは行かないの?」
「私は研究所に引きこもる予定だから」
みやびは旅行があまり好きではない。無理に連れ出すのはよくないことだ。
これ以上の心配事が見つからずに黙っていると、みやびが俺の手に五枚の無料宿泊券を押しつけた。
「ま、というわけで決まったら教えてね〜」
俺は手元の五枚のチケットを見る。
俺自身は旅行が嫌いだ、というわけではない。ただし、無料宿泊券が五枚もあるとなると話は別だ。一人で使う場合、五泊六日なんていう長旅、俺だけだったら絶対途中で飽き飽きしてしまう。やはり、みやびの言うとおり、友達と行くのがいいだろうな。友達と一緒なら楽しく過ごせそうだ。
それにしても、五枚って中途半端だな……。素数だから、平等に使うならば五人で一泊ずつか、一人で五泊のどっちかしかない。友達をあと四人誘うのが筋というものだろう。
とりあえず、明日学校で適当な人を誘ってみようかな……。
俺は誘う人の目星をつけながら、ソファーの上にゴロッと寝転がった。
※
「旅行?」
「うん、旅行。一緒に行かない?」
翌日の昼休み。俺が真っ先に誘ったのはみなとだった。
彼女は、昼食を食べる手を止める。
「どうしたのよ、急に?」
「実はさ……」
俺は事情を説明する。新聞の懸賞で旅館の宿泊券が五枚当選したが、現在両親は旅行中で、宿泊券の期限である八月中は帰ってこない。だから自分たちで使わないともったいない。だいたいそんな感じのことを彼女に言った。
「へぇ……ちなみに、旅館っていうのはどこにあるのよ?」
「え? うーん、どこだろう?」
「ちょっと見せて」
俺はみなとに宿泊券を一枚手渡した。彼女はそれを裏表どちらもじっくりと穴が開きそうなほど見つめる。
「……南紀白浜温泉なのね」
「知ってるの?」
「知ってるもなにも、私のおばあちゃんの家があるところなんだけど」
「え⁉ そうなの⁉」
なんという偶然か、どうやらみなとは、旅館の周辺地域にゆかりがあるようだった。
「この辺なら、何回か行ったことがあるわよ」
「へぇ~」
だったら、ぜひこの周辺の観光地を案内してもらいたいところだ。
「それに、時期を合わせてくれたら、もしかしたら旅館に泊まった後、連続しておばあちゃんの家に泊めさせてもらえるかもしれないわ」
「え⁉ マジで⁉」
「後で聞いてみるわ」
もし泊めさせてくれるんだったら、とてもありがたいことだ。何日かに日程が延びれば、たっぷり観光できるだろう。なんだか急に旅行が楽しみになってきたぞ。
「……これで、あとは二人、かな?」
みなとを誘ったから、きっと妹のなぎさちゃんもついてくるだろうから、数に入れておく。
「そうね、みやびちゃんも来るでしょうから……」
「え、なぎさちゃんが来るんじゃないの?」
「え?」
「え?」
「みやびは、『私は研究所に引きこもる予定だから』って言ってたから、この旅行には来ないよ」
「あら、そうなの? なぎさも、夏休みに塾の合宿に行くから旅行には来られないわよ」
「そっか……」
てっきり、俺たちは二人とも、お互いの妹だけがついてくるものとばかり思っていたようだ。実際は、みやびは研究所にこもるため、なぎさちゃんは受験勉強のため、来られないようだった。
「じゃあ、あと三人だね……」
「誰を誘おうかしら……」
誰でも気軽に誘えるわけではない。一緒にお泊りしてもいいくらい仲が良くて、それで俺ともみなととも知り合いであることが望ましい。できれば男子よりも女子の方がいいかも……。
二人でうーん、と悩んでいると、突然後ろから聞き覚えのある声がかけられる。
「お~、天野とみなっちゃんじゃん!」
「檜山⁉」
「こんなところでなにしてるの?」
「ひなた……」
俺たちの目の前を通りかかったのは、檜山と飯山だった。
普段人通りがほとんどないこのオープンスペースだが、何の偶然か、今日は俺の知り合いが二人も通りかかった。
二人とも俺のクラスメイトで、みなと以外では面識のある女子だ。一方、檜山はみなとと同じテニス部。飯山は、この前のメイド服事件でわかったことだが、どうやら俺の知らないところでみなとと繋がりがあるみたいだ。
つまり、この場に俺とみなととどっちも知り合いの女子が二人も現れたことになる。これはちょうどいい機会かもしれない。
「そういや二人はカップルだっけ? ここで毎日逢引きしてたのか~」
「ラブラブだね~」
「からかわないでくれよ……」
「……ラブラブ、んまあ、そうね」
「ちょっ、みなと⁉」
「ひゅ~」
檜山がめっちゃからかってくる。飯山もそれに便乗してきた。こういうことになるから、こんな人の気配のない場所で会っているんだよ……。
閑話休題。本題に入ろう。俺は二人にチケットを見せる。
「実はさ……」
さっきみなとにしたのと同じような説明を二人にもする。旅館の無料宿泊券が五枚当たったから、夏休み中に旅行を計画していて、俺とみなと、そしてあと三人募集していること。もしかしたらみなとのおばあちゃんの家にお邪魔して、長く旅行ができるかもしれないこと。
この話を聞いた二人は、かなり乗り気だった。
「いいの? あたしたちが行っても」
「ぜひ」
「やった~! ありがと~ほまれちゃん、みなとちゃん!」
これで、四人分の枠が決まった。残るはあと一人。さて、誰を誘うか……。一枚だけ使わないのは非常にもったいない。
「あと一人誘いたいんだけど、誰かいるかな?」
できれば、この場にいる四人全員が知っていて仲が良い女子。そんな人物はいるのか?
「いおりはどう?」
「あー、いおりか」
「いおりちゃんなら大丈夫だよ」
すると、みなとを筆頭に口々に俺以外の皆が同じ名前を呼ぶ。
俺は、『いおり』が、越智の名前だということを思い出すのに数秒かかった。
なるほど、越智か。俺と檜山と飯山は同じクラスで騎馬戦も一緒に組んだことあるし、去年同じクラスだった、とみなとも言っていた。確かに彼女なら適格かもしれない。
「じゃあ、早速聞いてみるか」
すると、檜山がスマホを取り出してメッセージアプリで通話を始める。
越智の律義な性格がここにも反映されているのか、彼女は檜山からの電話にワンコールで出たようだった。
「もしもし、いおり?」
『どうしましたか?』
檜山がスマホをスピーカーモードにして、テーブルの上に置いた。
「天野、説明よろしく」
「え、俺⁉」
「だって発案者でしょ?」
「えぇ……」
丸投げされたので、俺が引き継ぐ。
「もしもし、越智? 天野だけど」
『ほまれさんですか、どうしましたか?』
「今、みなとと、檜山と飯山と一緒にいるんだけど、皆で旅行に行こうっていう話になっているんだ。それで、越智も誘いたくて」
『……詳しく話を聞いてもいいですか?』
「うん。実は……」
本日三回目の説明。みなとや、檜山と飯山にしたものとほとんど同じことを言う。さすがにスムーズに説明できるようになってきた。
「……というわけなんだけど、越智も一緒に行かない?」
『皆さんさえよければ、ぜひ参加したいです。ただ、陸上部の合宿の日程と被らないかは心配です』
「それは大丈夫だと思うわ」
みなとが隣から口を挟む。
「私たちが行くとしたら、バスケ部もテニス部も部活がない時期になるわね。その時期だったら、陸上部も部活がないんじゃないかしら?」
『それなら行けます』
ここで、昼休み終了のチャイムの音。みなとが慌てて弁当の残りを食べ始める。
「じゃあ、詳しいことは後でグループを作って話そうか」
『わかりました』
「皆もそれでいいよね?」
「もちろん」
「おっけ~」
「ん」
通話を終えると、檜山がスマホを回収する。
これにて、旅行に行くメンバーが決定したのだった。