「ほまれ、一応聞いておくが」
「はい」
「接客は本当に大丈夫なんだな?」
「はい! もちろんです!」
対人コミュニケーションを取るくらいなら問題はない。それに、もしコミュ障だったとしても、口が裂けても『いいえ』なんて言えない。なにがなんでもやるしかないのだ!
「それでは、ついてきてくれ」
俺は店長さんの後ろをついていく。飯山はニコニコしながら俺の隣を歩いていた。
「飯山」
「あ、ほまれちゃん。仕事中は名字呼び禁止ね」
「え?」
「名札に書かれている名前で呼んで」
「ああ、そっか……ごめん」
名札と違う名前で呼んでしまったら、不必要な個人情報の漏洩だったり、メイド喫茶という非日常空間に異物を持ち込んだりすることになりかねない。いつもの癖でうっかり普通に名字で呼んでしまいそうだ。気をつけよう。
「じゃあ、ひなたって呼べばいい?」
「うん。それで呼んで」
「わかった……ひなた」
「うん、それでよし!」
俺はあまり女子を名前呼びしない。これまで名前呼びをしていた女子は、みやびとみなととなぎさちゃんの三人だけだ。飯山のことはまだ呼び慣れないが、そのうち慣れていく……はずだ。
「それでは、簡単に業務を説明するぞ」
「はい」
いよいよ具体的な業務内容だ。ある程度予想はついているけど、どんなものだろうか……。
「今日、ほまれはホール担当だ。簡単に言うと、客の前に出て、接客する役割だ」
「はい」
本当に俺は飲食店で働くことになったんだなぁ……。ホール担当という言葉で、俺はヒシヒシとそれを実感する。
「やることは、客にメニューを出して、注文を聞いて、キッチンに伝えて、できあがったのをテーブルに持っていくことだ」
「はい」
なるほど……聞く限りだと一般的な飲食店のホールそのものだ。普通のファミレスでも同じようなことをやっていそうだ。もっとメイド喫茶らしい、何か他に特殊なことはやっていないのかな?
「まあ、他にもいろいろやることはあるが……それについては、ひなたがフォローするから、彼女の指示に従ってくれ。わからないことがあったら、遠慮なく聞いてくれ」
「どんどん聞いてね」
「不束者ですがよろしくお願いします」
近くに飯山がいるのなら安心だ! これなら初めてでもなんとかなりそうだ。
「それと、一番重要なのは接客態度だ」
「態度……」
「まず、常に笑顔をキープしろ」
「笑顔ですか?」
「そう、こんな感じだ」
店長さんは、自分の指で口角を押し上げて、ニッと笑いを作り出す。俺も真似をして笑顔を作り出す。
「それで、こんな感じに接客する」
そして、店長さんは一度咳払いをすると、今度は顔から指を外したまま、満面の笑顔を浮かべ……。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡ こちらの席へどうぞ〜♡」
「…………ふぇ」
おいおいおいおいマジかよこれをやるのかよ……。さっきまで意外と普通の喫茶店なのか? と思っていたけど撤回する。俺が想像していたメイド喫茶で間違いない。お客様を『ご主人様』と呼んで接客するあの感じの店だ。
というか店長さんがスゴくキャラ崩壊しているんだけど。さっきまでのクールさはいったいどこにすっ飛んでいったんだ⁉︎ この口調でこの表情でこんなことを言われていたら、俺、キュンキュンしちゃうよ……?
あまりの変貌ぶりに思考停止して固まっていると、店長さんの表情がスッと元のキリッとした表情に戻った。落差が激しすぎる……。
「こんな感じだ。できるか?」
「…………」
「…………そんなに見つめられると恥ずかしいんだが」
「はっ、すみません!」
店長さんがちょっと赤くなったのを見て、ようやく現実世界に意識が回帰した。
「店長さん、なかなかホールに出てこないから、これを見るのは久しぶりですね〜」
飯山がニコニコしながら言う。
「店長さんはホール担当じゃないんですか?」
「私は主にキッチン担当だ。手が空けばたまにホールにも出るが」
なるほど。だから、店長さんは今メイド服を着ていないわけだ。
「で、ほまれ。こういうふうに接客できるか?」
「や、やります……!」
「では、やってみてくれ。練習だ」
ここは絶対に引き下がれない。ちょっと恥ずかしいけど、ここまで来た以上、やるしかないんだ。
恥を捨てろ、天野ほまれ! メイドになりきるんだ!
俺は一度深呼吸をする。そして、覚悟を決めて、満面の笑みを作り、声も少し高くして店長さんの真似をする。
「お帰りなさいませ、ご主人様☆ こちらの席へどうぞ〜☆」
「「うっ……」」
二人とも同時に胸の辺りを押さえてまったく同じよろめき方をした。なんだなんだ⁉︎ 俺のやり方がどこか悪かったのか⁉︎
「どこか変でしたか⁉」
「い、いや……全然そんなことはない」
「完璧だよ、ほまれちゃん!」
「どうやら私の目は狂っていなかったようだ……」
「可愛すぎだよ!」
二人とも興奮した様子で、口々にそんなことを伝えてくる。恥ずかしかったけど、今のは悪くなかったらしい。むしろ大絶賛されている。
「これなら大丈夫そうだな。そうだ、最後に一つ。いいか、我々は客に夢を届ける存在だ。それを忘れるなよ」
「はい!」
「頑張れよ」
「頑張ります!」
いよいよ接客のスタートだ。一昨日通った扉を通り抜けて、お客さんが食事を楽しんでいるところに入る。こちら側から見ると、ドアには『STAFF ONLY』と張り紙がされていた。しばらくこの扉の向こうには戻れないだろう。
平日の午後、昼食と夕食のちょうど真ん中くらいの時間帯だからか、店の中はあんまり混んでいないように見える。ホールにいるメイドは今のところは俺と飯山、そして、あと一人の三人だけのようだ。
と、カランコロンとドアベルが鳴った。どうやらお客さんが入ってきたようだ。
「ほまれちゃん、さあ、行っておいで!」
「ええ⁉︎」
「大丈夫、人数を聞いて空いているテーブルに案内するだけだよ!」
背中を押されて、俺はお客さんの前に立つ。落ち着け落ち着け……。当たり前の対応をするんだ。自分がファミレスとかに行ったときに、いつもどんな風に対応されているのかを思い出せ! 基本はそれと同じはずだ!
その基本に、ちょっとメイド喫茶らしいアレンジを付け加えて……。
「お帰りなさいませ、ご主人様☆ 二名様でよろしいですか?」
「は、はい」
よ、よし! 大丈夫そうだ! 俺はとりあえず近くの席に二人を案内する。
「こちらの席へどうぞ☆」
……さて、これからどうすればいいんだ。席に案内したはいいけど、そっから先ってどうすればいいんだ⁉︎
と思って顔を上げると、飯山は小さく手招きをしていた。俺はそちらの方へ向かう。
「ほまれちゃん、これ渡してきて。メニューとおしぼり。あと、メニューが決まったら呼んでください、って」
「うん。わかった」
俺はメニューとおしぼりを持って、さっきのお客さんのところに行く。
「おしぼりと、メニューです☆ ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください☆」
「どうも」
ふぅ……緊張したぁ〜……。これで大丈夫だったよね? 変な言葉遣いはしていないはずだし、対応もメイド喫茶っぽくしておいたけど……。
やっぱりあの口調でなんか言うのはまだ慣れないし、恥ずかしいなぁ……。
すると、飯山が俺の方へスススと近づいてくる。そして、耳元で小声で一言。
「ほまれちゃん、対応完璧だったよ!」
「そ、そっか……。よかったぁ〜」
ホッと一安心。飯山がそう言うのなら、大丈夫なのだろう。
「すいませ~ん」
すると、向こうの客席から声がする、俺が接客したお客さんがいる席とは別の方だ。
「ほまれちゃん、行っておいで!」
「う、うん」
俺はメモ帳を片手に早速対応に向かう。
「お待たせしました、ご主人様☆」
「すみません、注文をお願いしたいのですが」
「はい☆」
俺は注文を聞くとメモを取って、そっくりそのまま復唱する。これを間違えると大惨事になるから、慎重にならないと……。
最初は空いている席の方が多かったこの店も、時間が経つにつれてどんどん人が入ってきて、今度は逆にお客さんの座っていない席の方が少なくなっていた。
「すいませ〜ん」
「今お伺いしま〜す☆」
最近は恥ずかしかったこの口調も、だんだん慣れてきて……。
「飲み物のおかわりいいですか?」
「はい、今お持ちしますね、ご主人様☆」
逆に、この口調がどんどんデフォルトになっていき……。
「チェキいいですか?」
「はい☆ いいy……んっ、ひなた〜チェキよろしく〜☆」
「は〜い!」
チェキをお願いされても次第に抵抗感がなくなっていき……。
「ではいきますよ〜。は〜い、萌え萌えきゅ〜ん!」
「萌え萌えきゅ〜ん☆」
あっ、メイド喫茶の店員、超楽しい。
気づいた頃には、俺は吹っきれて心まで完全にメイドになっていた。