俺は、メイド喫茶で働くことになった。
面接の前に、飯山からもう少し詳しく聞いておくべきだったな……。そうしておけば、もうちょっといろんなことを考えられたり、心の準備ができたりしたのにな。まあ、今更こんなことを考えても後の祭りだが。
ただ、別に後悔はしていない。確かに俺の知らないうちにメイドのコスプレをした写真が流出したのは恥ずかしかったし、それは後でみなとに言っておかなきゃいけないけど、そのおかげで働き口が見つかったので結果オーライだ。
それに、もともと生活費を稼ぐためならどんなバイトでもやるつもりだった。体が機械で充電がなくならない限りずっと動けるので、肉体労働ならどんなバイトでも稼げるはずだ。
週明けの月曜日。バイトが決まったという安心感、そしてメイドとして働くことへの若干の羞恥心が混ざった、奇妙な気分のまま学校生活を過ごしていく。
そして、昼休みが終わる頃、みなととの昼食を終えて教室に着いた途端に、スマホにメールが届いた。
「ついに来たか……」
送り主は店長さん。件名は『バイトのシフト』。面接の時に、後で連絡すると言っていたけど、ようやく決まったようだ。
下にスクロールすると、何人かの名前が時間付きで書き込まれた今月のカレンダーの写真が出てくる。
「あっ、ほまれちゃん!」
飯山がこちらに来る。手にはスマホ。そこにはまったく同じ内容のメールが表示されている。
「メール来た?」
「うん。今から見るところ」
俺は改めてシフト表に視線を落とす。ざっと見た感じ、カレンダーのそこかしこに『ほまれ』と書き込まれている。やっぱり、平日四時半以降ならどこでも大丈夫、って言ったからだろう。
「ほまれちゃん、わたしよりシフトたくさん入っているけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ。俺の体は疲れを知らないからね」
「なんかカッコいい!」
ふっふっふ……そこんじょの人間よりも、持久力だけは負けないぞ!
働く時間が長くなるのは大歓迎だ。あまりにも長すぎてその他の必要なことに割く時間が脅かされるのはさすがに嫌だが、これくらいなら他のことに影響は出ないだろう。
それに、今俺に必要なのは、金! かね! カネ! マネー‼︎ とにかく、お金なのだ。シフトについてあれこれ言っている場合ではない! とにかく稼がなければ!
シフト表を見て、頭の中に予定をたたき込んでいると、今日のところにも俺の名前が書き込まれていることに気づいた。『ほまれ 四時半』と思いっきり書いてある。上の日付を見る。スマホの日付を見る。間違いなく一致している。
「きょ、今日からやるのか……?」
さっき威勢よく気合いを入れたのに、急に怖気ついてしまう。マジかよ、まだ何も接客の仕方を教わっていないのに、あと三時間くらいしたらもう本番なのか⁉︎ そう考えると、なんだか急に不安になって緊張してくる。
「大丈夫だよ、わたしも一緒だから」
飯山にそう言われてもう一度シフト表に目を落とすと、俺の名前の下、同じ時間に飯山の名前があった。
「わからないことがあったらなんでも教えるよ。店長さんも、ほまれちゃんのフォローのために、今日はわたしと同じシフトにしたんじゃないかな?」
「な、なるほど……!」
言われてみればそんな気がする! 確かに、新人をいきなり一人で業務に当たらせるなんて普通はしないだろう。先輩と組ませて、やり方を教えるのが普通だよね!
俺の場合、その先輩というのが飯山というよく知っている人物だから、なおさら安心感が持てる。
その時、教室にチャイムが流れる。もう五時間目が始まる時刻だ。飯山は慌てた様子で話を切り上げる。
「それじゃ、今日の放課後よろしくね!」
「うん。こちらこそ」
いきなり入った初バイトだが、意外となんとかなりそうだ。
そう思いながら、俺は自分の席に着くのだった。
午後の二時間の授業はあっという間に過ぎた。バイトのことを意識していた今日は、いつもよりも時間の流れがますます速く感じた。
これはバイトを楽しみにしている気持ちがある、っていうことなのか……? それとも、緊張することが迫ると、時間が速く感じられる現象でも起こっているのか……?
「ほまれちゃん、行くよ!」
「あ、うん!」
飯山が声をかけてきたので、俺は思考を中断して、荷物をまとめて立ち上がった。そのまま並んで歩いて下校する。
「飯山は一回家に帰るの?」
「ううん、直接行くよ。ほまれちゃんは?」
「俺も直接行くよ。家がバイト先とは逆方向だから、いちいち帰るのは時間のロスなんだ」
そもそも、今から四時半までの約一時間では、一度家に帰ってからバイト先に行く、なんてことは時間不足でできない。少しでも長くバイトをするために、シフトの希望を答えるときに、学校から直接向かう想定で『四時半』と言ったのだ。
俺たちは学校の最寄り駅から特急列車に乗ると、いつもの乗り換え駅で降りずにそのまま通り越す。そして終点で降りると、人混みに揉まれながら、二日前に通った道を辿って店の裏口から入る。
「こんにちは〜」
「こ、こんにちは……」
挨拶をするが、誰も返事をしない。そもそも薄暗い廊下には誰もいなかった。俺たち二人が立てる音以外、何もない。
「なんか人の気配を感じないけど……」
「心配しなくても大丈夫、今日は営業日だよ。それに、この建物何気に防音性能スゴいから」
「そ、そうなんだ……」
「それじゃ、まずはロッカールームに行こっか」
「うん」
飯山の後ろについていくと、先日入った面接室の隣の部屋に着いた。ドアを開けて中に入ると、壁際にズラッと並ぶロッカーが目に入る。
「えーっと……あったあった。ここがほまれちゃんのロッカーね」
「おお……!」
部屋の隅っこの方に、『ほまれ』というネームプレートの入ったロッカーがあった。ダイヤル式の鍵もついているのでセキュリティーは万全だ。
最初はゼロ四つの初期状態でロッカーが開くようだ。そして、ロッカーを開いて中を見た俺は、思わず飯山の方を見た。
「いいや……ま」
「ん? どうしたの?」
こちらを向いた飯山は、ワイシャツのボタンを外して、羽織っている状態になっていた。ちょっと下着が見えている。
反射的に俺はサッと目を逸らした。やっぱり、まだこういうのには慣れない。自分の下着姿や裸は大丈夫なんだけどなぁ……。
「ほまれちゃん?」
「ああ、えっと……これ、なんか他の人のロッカーみたい……」
「えぇホント⁉︎ ちょっと見せて!」
飯山は慌てて俺のロッカーを覗き見る。だが、数秒後に安堵したような声音でこちらに告げる。
「……大丈夫だよ、ほまれちゃんのロッカーで合ってるよ〜」
「でも、中にもう何か入っているけど……」
「違う違う! ほまれちゃんは、今からこれを着るんだよ!」
そう言って、飯山がロッカーの中から取り出したのはメイド服だった。
「こ、これを着るの〜⁉︎」
「だってここメイド喫茶だよ〜⁉︎」
「確かに〜⁉︎」
俺は飯山から自分のメイド服を受け取る。
ここでようやく納得がいく。だから、この前、面接が終わった後、店長さんにSNSで服のサイズとか身長とかを聞かれたのか……。まだ雇ってもらってから二日しか経っていないのに、自分専用のロッカーは用意してあるし、もう自分専用のメイド服ができているなんて……対応が早すぎる!
俺はじっくりとメイド服を見つめる。
基本的にみなとが以前くれたものと同じ構造になっているようだけど、なんというか……その……際どい。面接の日に、他の人が着ているのを見たときはそんな感じはしなかったけど、今見るとそんな感じしかしない。
「手伝おうか?」
「あ、ううん。大丈夫。というか、早く着替えてほしい……」
「あ、ごめんね〜」
飯山は察してくれたようで、こちらに背を向けて急いで着替える。
メイド服の構造が同じなら、自分で着るのも余裕だ。俺は手早く制服からメイド服への着替えを終わらせる。
「ほまれ、いるか?」
「あ、はい」
ここで、ガチャリと部屋のドアが開いて、店長さんがひょっこり顔を出した。そして、俺の姿を見ると、こちらに歩いてきて一言。
「似合っているじゃないか、メイド服」
「ほまれちゃん、可愛いよ!」
「ど、どうも」
ニヤニヤしながらこちらを見る二人。『やはり審美眼は間違っていなかった……』と心の中でアテレコしておく。絶対にこんなふうに思っているだろうな。しかも、なんか着替え終わった飯山は、スマホでぱしゃぱしゃこっちを撮ってるし。チェキ代取るぞ。
「サイズはばっちりか?」
「ばっちりです!」
「そうか。ならよかった」
新しい服だし、普段着ないような服だからか、なんだか落ち着かないな……。これから慣れていかないといけないな。
ここで、店長さんがパンと手を打ち鳴らす。
「それでは、四時半になったことだし、早速始めるか」
「「よろしくお願いします!」」
俺の人生初バイトが始まった。