なぜかわからないけど、採用された……らしい。
いやいやいや、こんな採用の仕方ってアリかよ! なんだよ、質問の後にじっと見つめられて、それから採用告知されるって! 裏でいったいどういう論理が働いてこんな結果になったんだ⁉︎
「採用ですか?」
「うん。採用。嫌か?」
「いやいやいやそんなことないです採用してくださいお願いします!」
「じゃあ採用」
と、とりあえず採用は採用のようだ。
本当によかったぁ……。これで、夏休み中はもやし生活にならずに済むぞ!
ホッと一息つく。緊張が解けて、面接中ずっとピンと伸びていた背筋が緩み、俺はソファーの背もたれに寄りかかった。
すると、コンコンとドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼しま〜す」
現れたのは、飯山だった。
「面接終わりましたか?」
「ああ。即採用したよ」
「やった! よかったね、ほまれちゃん!」
「う、うん……」
本当に、最後の質問でやらかした、と思った……。
「実は……もともとあまり人手が足りなくてな。だから、ひなたから一人ちょうどいいのがいる、って聞いた時、いいタイミングで来た! と思ったんだ」
「ひなた……?」
「もう、ほまれちゃん! わたしの下の名前くらい覚えててよ〜」
飯山の下の名前って『ひなた』だったの⁉︎ 知らなかった……。飯山は『飯山』というイメージしかない。ちゃんと覚えておこう。
「ははっ、ひなた、名前覚えられていないのか」
「んも〜そうみたいですっ!」
「ごめんって……」
「ま、そういうわけだから、事前の情報はある程度ひなたから手に入れていたんだ。しかも、ウチにピッタリの人材ときた。だから今日はよほどの問題がない限りは採用しようと思っていたんだ」
「なるほど……じゃあ、この面接は」
「この面接は形式上、っていうのもあるが、ひなたの情報と照らし合わせる、というのが一番の目的だな」
……ということは、志望動機を下手にごまかさずに正直に答えて正解だったのか⁉ 初めて飯山にバイトの相談をした時に、俺は『夏休みに家庭の事情で働かなくちゃいけない』という主旨のことを言った。それをそのまま飯山が店長さんに伝えていたとしたら、もし面接の時に変な言い訳をしていたら矛盾が生じてしまうところだった。最悪、『嘘をつく人』として不採用になっていたかもしれない。あ、あぶねー。
「まあ、むしろこちらからスカウトしたいくらいだからな」
「す、スカウト⁉︎」
結局、俺はどっちにしろ採用される運命だったのか……? いや、そもそもスカウトってなんだよ。まさか芸能事務所じゃあるまいし……。
いや、待てよ。ここはもしかしたら、芸能事務所兼喫茶店なのかもしれない! 自分で思いついておいてなんだそれは、って思うけど、これなら飯山がスカウトされた、という話にも説明がつくぞ! ついに芸能界デビューなのか⁉︎
「それでは、めでたく採用が決まったことだし、いろいろ相談しながら重要な書類を処理していこうか」
「は、はい」
変な妄想を繰り広げていると、店長さんが机の上に封筒を置いて、その中からいろんな書類を取り出す。
もちろん、バイトをするのは初めてのことなので、こういう書類を目にするのも初めてだ。その中のいくつかは自分で記入しなければならないものだったので、俺は店長さんや飯山に教えてもらいながら、どうにかこうにか書き上げる。
「これで終わり……!」
「お疲れさま。うん、大丈夫そうだ。それじゃ、これは持ち帰ってくれ」
「わかりました」
店長さんは、そのうちの何枚かを封筒に入れて俺へ渡す。これは俺が持っていなくてはいけない書類のようだ。
ちなみに、さっき机の上に広げられていた書類の中には、雇用契約書もあった。それにはきちんと目を通して、本当に大丈夫か確認してある。みやびから散々、『ブラックバイトに就職しないように、雇用契約書が労働基準法に則っているかどうか確認するんだよ!』と言われたからな。それに、図書館から借りてきたらしきブラックバイトの本や労働基準法の本を散々読んだおかげで、それについてめちゃくちゃ詳しくなった。
ブラックバイトに就職することだけは、いくら生活苦だとはいえ嫌だ。まあ、ここで四月から働いている飯山が高校生活を両立させているから、大丈夫だとは思うけれど。
俺は手渡された書類を、慎重にバッグの中にしまう。絶対に失くさないようにしなければならない。
「それでは、早速だがシフトの話に移ろうか」
「はい!」
俺は自分のスマホを取り出して予定を確認する。
本当なら、学校以外の時間すべてをバイトに捧げたいくらいだが、残念ながらそうはいかない。部活もあるし、家に帰ったら家事をしなくてはならないし、学校の宿題だってこなさなくてはならない。そうなると、意外とバイトができる時間は短くなってしまう。いつもならそう思うだろう。
……だが、今は夏休み前。宿題もほとんどない! それに、部活にはすでに事情を話していて、しばらく休みをくれることになっている。みやびも、『お兄ちゃんが働くから頑張らなきゃ!』と家事に協力してくれるらしい。つまり、これからの時期、俺はバイトに専念できる環境にある、ということだ!
「シフトの希望はあるか?」
「えっと……基本、平日の四時半からならいつでも大丈夫です」
「それは心強いな。じゃあ、シフトはまた追って伝えることにしよう」
「わかりました」
まあ、そこまですぐに決まるとは思っていない。ただ、できるだけ早く働き始めたい。
「それでは、今日はこれで終わりにしよう」
そう言って、店長さんは席を立とうとする。
「あの、一ついいですか?」
「ん? どうした?」
俺はさっきからずっと気になっていたことを質問する。
「さっき、スカウトしたいくらいだ、っておっしゃってましたけど……。そんなスカウトされるような魅力ってありますか?」
先ほどの店長さんの言葉が、俺の中でずっと引っかかっていた。そんなに俺をこの店に引き入れようとしている理由は何なのか。俺のどこにそんな魅力があるのか。それだけがどうしてもわからなかった。
すると、店長さんはちょっと呆れた顔をする。
「なんだ、あんな写真を撮っておいて魅力がないと思っているのか?」
「へ?」
写真? 魅力? いったい何のことなんだ……?
わけがわからずポカーンとしていると、店長さんは自分のスマホを取り出して操作し始める。
「なにがなんでも採用しようとした理由はこれだ」
そう言って、店長さんがスマホの画面を見せてくる。
そこに映っていたもので、俺は一瞬思考停止に陥った。それから数秒後、猛烈に恥ずかしいという感情が湧き上がってくる。
「なななな……」
「これを見せられて、魅力がないなんていうのはありえないな」
そこに映っていたのは……あろうことか、メイド服姿の俺の写真だった。
そこに映っていた俺は、自宅の玄関先で、顔を若干逸らして写真を撮るのをやめさせようとしている。けど、本気で止めようとしているわけではなく、むしろ撮ってもいいよ、と中途半端な感じを醸し出している。
ハッキリとその時の記憶が脳裏に浮かぶ。これは……俺がみなとの誕生日に、彼女から貰ったメイド服を着ていた時の写真じゃないか!
「なぜそれを店長さんが⁉︎」
「なぜって、ひなたからもらったんだ」
「飯山!」
バッと飯山の方を向くと、そっぽを向いて知らんぷりを装っていた。
「おい、この写真どっから手に入れた⁉︎」
「みなとちゃんに、メイドの写真ない? って聞いたら送ってくれたんだよ〜」
「あいつ……」
まさかここでこの写真が使われようとは、いったい誰が予想できただろうか。まったく、羞恥心で俺は顔から火が出そうだ……。
ここで俺ははたと気づく。
なぜ飯山はメイドの写真を必要としていたのか。なぜ店長さんがこれを見て、俺を採用……スカウトしようと思ったのか。そしてなぜ、飯山が普通に面接で採用されたのではなく、『スカウト』されたのか。
「まさか……この店って」
「……ひなた、ここが何の店か説明していなかったのか?」
「え? 説明しましたよ? 『喫茶店』だって」
「はぁ……確かに喫茶店っちゃ喫茶店だが……。もうちょっと言い方というものがあるだろう」
店長さんは飯山に呆れながら立ち上がる。そして、俺についてくるように言うと、部屋の外に出る。そこから廊下を通り、突き当たりのドアを開く。
「説明するより、実際に見た方が早いだろう」
「……ここは」
ドアの向こう、俺の目の前に広がっていたのは、確かに喫茶店の内装だった。店内のそこかしこに設置してある椅子にテーブル、その上に立てかけてあるメニュー、キッチンとホールを区切る無地の小さいカーテン……。
だが、それよりも目を引くものがあった。
「あっ、店長さんお疲れさまで〜す」
「お疲れで〜す」
フリルのついたカチューシャ。大きなエプロン。その目立つ白色が、その下の真っ黒なワンピースと綺麗なコントラストを織り成している。
そんな服を着た若い女の人が、二、三人で店内を掃除していた。そして、こちらに気づくと店長さんに挨拶をする。
こんな喫茶店なんて、俺はこの世界で一種類しか知らない。
「あれ、店長さん、この娘がウワサの?」
「ああ。天野ほまれだ」
「ほまれちゃんね〜おっけー!」
「これからよろしく〜!」
「あ……はい……」
店長さんが、俺の肩にポンと手を置いた。
「というわけで、これからよろしく、ほまれ」
俺は、メイド喫茶でバイトをすることになったのだった。