期末テストまでの日々はあっという間だった。
そして、一度過ぎてみれば、期末テストの四日間もあっという間だった。
チャイムが鳴ると同時に、教壇から先生が、解答やめ! と指示する。
ピンとした空気が張り詰めていた反動からか、教室の中には一気に弛緩した空気が流れた。
解答用紙が回収され、先生がその枚数を確認する。
そして、先生が立ち去ると、教室にはテストが終わったことに対する歓喜の声が溢れた。
今回は、前回ほどヤバくはなかったな……。たぶん、平均点くらいだろう。
「終わったー……」
七月に入り、数日が経った。白南風(しろはえ)が黒い雲を連れ去り、窓の外は晴れている。はるか彼方には入道雲。アブラゼミが遠くで鳴き始め、気温もこれまでよりも一段と高くなっていた。
あぁ、夏が来たんだな。誰もがそう思っていることだろう。たぶん、もうじきニュースで、平年よりもだいぶ早い梅雨明けの発表があるはずだ。
テストが終わったので、この日はもう解散だ。教室には、さっさと帰るクラスメイトもいれば、今日から解禁になった部活に参加するために、弁当を広げるクラスメイトもいた。
「ほまれー、今日部活行くよな?」
「あー、ごめん。今日は用事があるから」
「そっか。わかった」
佐田が声をかけてくるが、俺はそれを断らなくてはならなかった。
今日は部活のある日なのだが、あいにく、用事があるので参加できない。本当は部活に行きたいのだが仕方がない。それほど重要な用事なのだ。
俺は荷物をまとめると、さっさと教室を出て帰宅した。
家に着くと、みやびは冷凍チャーハンを解凍してダイニングで食べているところだった。
「おふぁえりおにぃひゃん」
「口からものがなくなってから喋りなさい」
「ふぁい」
みやびも、今日は定期テストの日だったのだが、俺よりも早く帰ってきていた。
「お兄ちゃん、今日はわかってるよね?」
「もちろん」
「トイレ、済ませておいてね」
「うん」
トイレを済ませて待つこと数分。みやびがチャーハンを食べ終わってリビングから出てくる。準備はすでに済ませてあるようで、そのまま玄関に向かう。
「それじゃ、行くよ」
「うん」
俺たちは最寄り駅まで歩くと、駅前のロータリーでタクシーを拾う。そして、研究所へ向かった。
数十分後、車から降りると、目の前には見覚えのある建物があった。ここに来るのはまだ三回目だ。だが、前回から二週間も空いていないので、懐かしい感じは全然しなかった。
確か、この前は雷に打たれて故障した目の修理がてら、AIを入れたりアップデートしたりしに来たんだよな……。それから今日に至るまでかなり長い時間が経ったように思える。その一番の原因は、やはりAIの試運転だろう。
今日俺たちがここに来たのは、『定期メンテナンス』をするためだ。
「ねぇ、定期メンテナンスって何をするの?」
「体に異常がないかチェックするだけ。健康診断みたいなものだよ」
「ふーん……」
それだったら、前回……二週間くらい前にここに運び込まれた時に、一緒にやってくれればよかったと思うんだが……。
施設内を歩いて行き、俺は一つの部屋に案内される。前回来た部屋や、この研究所で最初に目覚めた部屋とは違う、初めて入る別の部屋だ。この施設、いったい何部屋あるんだよ。
しかし、部屋の内装や設備は、前回と同じような感じだ。それならいくつも同じような部屋を作る意味はないような気がするんだけどなぁ……。
「それじゃ、早速メンテナンスを始めるよ!」
「はーい」
俺はベッドの上に横たわると、服をめくる。すかさず、みやびがパソコンから延びるケーブルをへそに接続した。
「電源切るね。おやすみー」
「おやすみー」
そして、俺の意識は途切れ、メンテナンスが始まったのだった。
※
「おはよう〜」
「……あぁ、おはよう」
目が覚めた。俺は上体を起こす。
辺りを見渡すと、ここに来た時とまったく変わらない景色が広がっていた。そばでは、みやびが俺のへそからブチンと片手でケーブルを引き抜きながら、もう片方の手でパソコンをカタカタ操作し続けていた。
「メンテナンスは無事に終わった?」
「うん。特に異常はなかったし、これまでより少し動きやすくなったと思うよ!」
「そっか。ありがとう、みやび」
「どういたしまして」
現在時刻は午後五時十八分。ここに入ったのが、午後一時三十分だったから、もう三時間近く経っているのか。そりゃそうだよな。なんたって、人間と同じように動けるようなアンドロイドのメンテナンスだもの。時間がかかるに決まっている。
俺が床に足をつけると同時に、パソコンでの処理も終了したようで、みやびはパタンとそれを閉じる。
「それじゃ、行こっか」
「うん」
俺たちは部屋を出て歩き始める。
その時、ふと俺の中に気になる疑問が湧き出てきた。同時に、俺の中の不安も急速に大きくなっていく。思わず俺は足を止めてみやびに尋ねる。
「そういえばさ、みやび」
「どうしたの、お兄ちゃん?」
「俺ってさ、いつ元の体に戻れるんだ?」
「……前に言わなかったっけ? お兄ちゃんの体の生命力次第だって」
「聞いたよそれは。その上で聞いているんだよ。あとどのくらいかって」
話を聞く限り、俺はとんでもない大怪我を負ったらしい。俺の体の生命力がどのくらいなのかは自分でもわからないが、それでも、どのくらいで回復するか、せめて目安だけでも教えてほしい。
このまま一生この体で過ごす……みやびの返答次第では、そうなることも考えておかなくてはならない。
今のうちに覚悟を決めるとまでは行かなくても、頭の隅っこには置いておかなくてはならない事案なのだ。
みやびは少し黙ると、こちらに振り返った。その表情は無。いや、感情を押し出したいけど、押し出さないように無理やり留めているような、無表情に見えた。
「……ついてきて」
「どこに行くの?」
「お兄ちゃんの体があるところ」
「──⁉︎」
この研究所で俺の体は治療されているのか⁉︎ マジかよ! てっきりここはロボットの研究をするだけのところかと思っていた。
でも、俺の意識がこの体に移っているのが治療の一環だと考えれば、この研究所に俺の体があってもおかしくはない。
俺とみやびは研究所の奥の方へと進んでいく。
しばらく進むと、明らかに雰囲気が変化した。照明が若干明るくなり、壁も、より清潔感を強調したようなものになっている。
すると、廊下の左側に突然窓が現れた。どうやら外を覗くものではなさそうだ。みやびはそこで立ち止まると、中を見つめる。
「あそこに寝ているのが、お兄ちゃんだよ」
「……マジか」
どうやらこそこは集中治療室のようだ。たくさんの、医療機器らしき機械が置いてある。医療ドラマでしか見かけないような世界が、目の前に広がっていた。
そんな機械に囲まれたベッドが一つ。そのベッドの上に横たわる男が一人。ここからは横顔しか見えないが、間違いない。みなとの部屋でも見た、その面影が残っている。
「あれが……俺か」
「そうだよ」
人工呼吸器をつけて、手術衣のような服を着て、目を閉じてじっとしている。生きているようにも、死んでいるようにも見える。頬は痩せこけ、体の至るところにチューブが繋がれていて見るからに痛々しい。
俺は本当に助かるのだろうか……。あの姿を見て、俺は疑い始めていた。
「あのね……ずっとあんな感じなの。お兄ちゃんは」
「…………」
「お医者さんが言うには、体が回復するのはいつになるかわからないんだって……」
「そっか……」
みやびは悲しそうに、悔しそうにそう告げた。
いつ元に戻るのか、それは誰にもわからないらしい。一ヶ月後か、半年後か、一年後か、はたまた十年後か……。それを考えると気が遠くなりそうになる。
今はとにかく祈るしかない。俺はそんな柔な人物ではないはずだ。自分の生命力を信じるしかない。
突然、ピロリロリン♪ とみやびのポケットからスマホが陽気なメロディーを流した。あまりにも場違いな音に、雰囲気は一瞬で破壊された。
「ごめんね、お兄ちゃん」
「うん」
慌ててみやびはスマホを取り出すと、応答する。
「もしもし……あ、お母さん? 久しぶり」
母さん⁉︎ 母さんが電話をかけてくるなんて久しぶりだ。少なくとも、俺には今年度になってから一度も電話がかかってきたことがない。なぜならば、母さんは現在、父さんと一緒に世界一周旅行に出かけていて、とても忙しいからだ。
「うん……うん……えっ⁉︎」
みやびが素っ頓狂な声をあげる。俺も思わず、ビクッと反応してしまう。いったい何を告げられたんだ⁉︎
「…………わ、わかった」
一言二言交わすと、みやびは震えた声で電話を切った。
「ど、どうしよう……お兄ちゃん」
「な、何があった?」
「生活費が……今月の生活費が、振り込めないんだって」
言っている意味がわからなかった。
否、わからないのではない。ただ理解するのを拒んでいるだけだ。
そして、数秒後、俺はその言葉の意味をようやく飲み込んだ。
「な、なんだってー⁉︎」
廊下に俺の叫び声がこだました。