チャイムが鳴り、四時間目の授業が終了すると、昼休みの時間になる。
授業が終わるなり、『俺』は机の上の勉強道具をしまうと、水筒から一口、水分補給をする。毎回授業終わりには必ず水分補給をしなければならないほど、体温が上がってしまうのだ。
水分補給に関しては、水筒の中身がなくなっても校内にウォーターサーバーが設置してあるから心配は要らない。それにしても、こんなに水を飲まなきゃやっていけないなんて……。AIを運用し続けるのはなかなかハードだ。
そして、それよりも心配なことが一つある。
こんなに水をがぶがぶ飲んでいたら、すぐにトイレに行きたくなるんじゃないのか⁉︎
今の時点では大丈夫そうだが、飲んだ水の量はすでにかなりの量になっている。このままのペースで飲み続けてしまったら、五時間目終わりくらいにトイレに行く羽目になるだろう。
問題は、俺が行きたくなったときに『俺』がちゃんとそこに行ってくれるかどうかだ。まだ容量の限界までは余裕があるからといってトイレに行かずに、尿意を感じながら耐え続けるなんて俺は嫌だぞ! AIには限界まで溜めないで八割くらいになったらさっさと行ってほしいものだ。
水分補給を終え、『俺』はバッグの中に水筒をしまう。
次の授業が始まるまでは五十分。時間は有り余るほどある。この時間は、いつもならいつもの場所でみなととランチタイムを過ごしている。さて、この時間をAIはどうやって使うのか……⁉︎
俺は少しドキドキしながらAIの次の行動を待つ。
だが、体はまったく動かない。
「お弁当食べよー」
「いいよー」
「購買行こうぜ〜」
「おう! 今日でスタンプカードが貯まるんだ」
「お! 何買うんだ?」
クラスメイトたちが俺の前を横切って、教室内を移動したり、購買に向かったりする。スクリーンを通して教室の日常を見させられている気分だ。
あまりにも動かないので、まさか……と思って、体の状態を確認する。
『俺』は、椅子に腰掛けた体勢のまま、スリープモードに入っていた。
おいいいい! 寝るなよ! いくらエネルギーを節約したいからといって、次の授業までの五十分間ずっと固まっているつもりなのかよ! 五十分間このままだなんて、暇すぎて耐えられる自信がない。
それよりも、この時間、俺はみなとと一緒にランチタイムを過ごす予定なんだけど。いや、俺自身は何も食べないしそもそも何も食べられないし、みなとが食べている現場に居合わせているだけなんだけどさ。それを無断でブッチする気か! いや、もしかしたらAIが俺たちの仲を嫉妬しているのかも……?
なんて馬鹿な方向へ思考が向かっていると、俺の右側、視界の外からその本人の声がした。
「まだ教室にいたのね」
どうやら教室のドア付近にいるようだ。今すぐにでもそっちに振り向きたかったが、『俺』はピクリとも動かない。名前を呼ばれていないので、自分のことだと気づかずに、ずっとスリープモードのままでいるのだ。
足音が大きくなって、座っている俺の目の前に誰かが立つ。視界が動かないので、首の下からスカートの上端までしか見えない。でもわかる、これはみなとだ。
「お昼行くわよ」
ドスン! と俺の机の上に弁当箱が置かれる。毎度のことながらめっちゃデカい。そこら辺の男子の弁当のサイズに匹敵するんじゃないか?
それを見ても、あくまで自分に話しかけられているとは判断していないらしく、完全にガン無視して固まっている。おい! 早く反応しろよ! みなとが怒っちゃうじゃないか! というかすでにちょっとイライラしてるよ!
「ねぇ、聞いてるの? 無視しないでよ」
みなとの口調に明確にイライラが篭り始める。あーあ、怒り始めちゃったよ! もうこうなったら、あのワードを念じて、試運転を強引に停止するしか方法はないのか……?
そもそも、みなとは俺が今AIの試運転中だということを知っているのか? この反応を見る限りだと知らなさそうだけど……。いや、でも今朝の時点でクラスメイトに知らされたから、どこかの情報網を経由して伝わっていそうだ。もしかしたら、みなとはAIがこんなに反応しないものだとは思っていない、ということなのか?
すると、みなとは弁当箱から手を離すと、両手で俺の頬をペチンと挟んだ。そして、そのまま強引に顔を上げさせる。
昼休みが始まってから一度も動かなかった視線がグイっと上がる。そして、俺の視界にみなとの顔が映る。言うまでもなく、ちょっと怒っているのがわかる。
顔が上がったことで、AIがスリープモードを解除する。ようやく、みなとがさっきから自分に声をかけていたことに気づいたようだ。おせぇよ!
「……まさか、壊れているの⁉︎」
スリープモードを解除してから、反応するまで若干のタイムラグがある。その間に、みなとがその考えに至ったようで、グイッと顔を近づけてくる。
ちょっ、近い近い近いって! みなとさん! いくら『俺』が反応しないからといって、文字どおり目と鼻の先に顔を近づけないでよ! キスできるくらいの至近距離だから、めっちゃドキドキしちゃうじゃん!
突然の行動に慌てる俺にかかわらず、『俺』はいつもの調子で淡々と反応した。
「壊れていません」
「喋った!」
喋ったらダメなのかよ。というかAIはそんな喋れないキャラではないんだが。
『俺』が反応したことで安心したのか、みなとは顔を離した。
「さっきからどうしたのよほまれ。ずっと無視してたじゃない」
「スリープモードに入っていました」
「すりーぷ……ああ、そういえばAIの試運転をするとかなんとか言っていたわね」
やはり、AIの試運転中であることはみなとの耳に入っていたようだ。
そして、みなとは机に置いた弁当箱を再び手にすると、俺の手を引っ張って立ち上がらせる。
「それじゃ、行くわよ」
向かうのは、いつも昼飯を食べているオープンスペース。みなとは俺をいつもの位置に座らせると、その向かいに腰掛けて、早速弁当箱を開けて食べ始める。腹が普段よりも減っていたのか、食べるスピードはいつもよりも速い。
「…………」
一方の『俺』はというと、みなとがしばらく食べるのに夢中で話しかけて来ないと判断するや否や、さっさとスリープモードに入った。どんだけ休みたいんだこのAI! そこまで省エネ主義を徹底しなくてもいいだろ……。
「ほまれ? また寝てるのかしら?」
さっきから『俺』がずっと黙っているのに気づいたのか、みなとが身を乗り出して俺の目の前で手を振る。
俺には見えてるよ! 見えてるけども! AIがすぐには反応しないんだよ!
「……起きました」
「……寝てたのね」
てっきりみなとは怒るんじゃないかと思っていたのだが、返ってきたのはその言葉と呆れたようなため息だけだった。どうやらAIに対して怒る気力は失せてしまったらしい。
「AIってなんかそっけないわね」
「そうですか」
「そういうところよ」
「そうですか」
「はぁ……」
会話に関しては、このAIはからっきしのようだ。思い返してもれば、今日一日自分から言葉を発した記憶がない。全部誰かに何か言われたことに反応して、受動的に会話している。
処理が重すぎるから、ってダウングレードした時に、会話機能まで一緒に削ぎ落としてしまったのかな……。これは少しくらいは残しておいてもよかったと思う。
「こうしていると、ほまれが懐かしくなるわね」
「そうですか」
「……」
「……」
「……いつも話を合わせてくれるし、聞き上手だし、優しいし……ときどきおっちょこちょいなところもあるけど……」
みなとは突然そんなことを言いながら、俺を褒める言葉を列挙していく。気のせいか、顔がちょっと赤い。
ちょ、やめろやめろやめろー! 『俺』が何も反応しないからと言って、相手の好きなところを暴露するなぁぁああ! 『俺』は無表情だけど、中で俺と感覚を共有しているから丸聞こえなんだよぉぉおお! みなとが俺のことを好いてくれているのはとても嬉しいけど、めっちゃ恥ずかしい! 自分たちの惚気話だけど恥ずかしい!
「それを全部含めて私はほまれのことが好きなのよ」
みなとは、にっこり笑った。
「そうですか」
そうですかじゃねぇよ! もし俺だったら、絶対顔を赤くしていると思う。もはや裏で引っ込んでおいてよかったなとさえ思えてくる。今俺に聞こえているということは、もう墓場まで黙って持っていくしかないな……。
「あ、今のことはほまれには秘密にしておいて。知られたら恥ずかしいから」
「それはできません」
「え……どういうことよ?」
「現在、この体はAIの管理下にありますが、天野ほまれの意識はバックグラウンドで活動し、感覚も共有しています」
「……つまり?」
「今の会話は、本人に聞かれています」
おいいいいいいいい! 余計なことを言うなぁぁああああああ‼︎
なんで正直に答えちゃうんだよ! ここはさっきまでのように、黙っときゃいいんだよ!
そして、『俺』の言葉を聞いたみなとは、数秒後にようやく何を言っているのか理解したみたいで、顔を真っ赤にしていた。
不意に、ガタンと椅子を鳴らして彼女は立ち上がる。そして、ずんずんと俺の方へ歩み寄ると、ガシッと俺の両肩を掴んだ。そのままガクガクと揺らす。
「ほまれ! あなた今のを全部聞いていたの⁉︎」
ばっちり聞いていました。スイマセン。
「ううぅぅううぅぅ……」
みなとは恥ずかしそうに顔を背けると、何秒か逡巡した後、俺に言い放った。
「と、とにかく、そ、そういうことだから! わかったわね! 私はあなたのことが、好・き! だから!」
みなとは開き直ってそう宣言した。
昼休みの残り時間、気まずくなって会話が途絶えたのは、言うまでもない。