俺はほぼいつもどおりの時間に、学校に到着する。
どうやらこのAIは、俺の想像以上によくできているようだ。混雑している電車の中でも、スムーズに抜けることが求められる自動改札でも、問題は特に生じなかった。このまま任せても、安心して学校生活を送れるかもしれない。
ガラッと教室のドアを開けると、中にいるクラスメイトたちが一瞬こちらを見る。そして、何事もなかったかのように視線を逸らしかけて、もう一度こちらを凝視した。
「……あれ、天野だよね?」
「だと思うけど……めっちゃ髪型変わってるよ」
「なんか雰囲気も変わっているような」
ひそひそ声で話しているそこの女子たち、全部丸聞こえだよ。アンドロイドの聴力が聞き取れないはずがないだろう。言うなら堂々と俺に聞いてきてくれよ。
俺が認識しているのだから、もちろんAIもこの話を認識しているはずだ。しかしながら無反応。『俺』は何も聞こえていないかのごとく、堂々と机の間を進んでいき、教室の後方の自分の席に着席する。そして、黙々と一時間目の授業の準備を始める。
AIは勤勉だなぁ……。授業終了直後に次の授業の準備をすれば、教室を移動する授業であっても遅れることはない。当たり前の話だ。実は、人間はこういう当たり前のことを当たり前にできないことが多い。だが、当たり前のことを当たり前にできるのがAIなのだ。そこはぜひとも見習わなくては。
すると、教室の後方のドアから佐田が入ってきた。そして、真っ先に俺を見かけると声をかけてきた。
「おはよう、ほまれ!」
「おはようございます」
「ど、どうした⁉︎ なんかそっけないぞ!」
早速驚く佐田。そりゃそうだ、普段タメで話している友達から、急に丁寧な、どこか冷たささえ感じるような口調で挨拶を返されたら驚くに決まっている。
「私は正常ですが」
「いや、どう考えてもおかしいだろ……さてはお前、ほまれじゃないな?」
「……厳密にはこの体に搭載されているAIです」
「AI……? あぁ、そうだそうだ! 今日、AIの試運転をやっているんだっけ?」
佐田が納得したような声を出す。どうやら、佐田には話が伝わっているらしい。
「はい。そうです」
「マジか……本当にAIなのか?」
「はい」
「スゲぇ……普通に受け答えできてる」
今の時代、受け答えができるAIはスマホにさえ搭載されているのだ。これくらい受け答えができるのは、当たり前である。
ただ、俺のAIとスマホのAIの一番の違いは、実体を持っているかそうでないか。実体を動かして活動する方がはるかに難易度が高いのは考えるまでもないだろう。
佐田と会話をしていると、チャイムが鳴った。朝のSHRが始まるので、立ち上がっていた人も皆、席に座る。
朝のSHRでは、担任の斎藤先生から改めて俺がAIの試運転をしていることが告げられた。皆から視線が集中したが、『俺』は華麗にスルーする。それが終わると、五分間の休憩を挟んで授業が始まった。
正直に言うと、AIに授業をしても、あんまり教育的な意味はないと思う。まあ、この試運転の目的は授業を受けることじゃなくて、AIが学校という環境に対応できるか検証することなので、まったく意味がないわけではないけれども。
それに、AIはいいとしても、中で憑依状態になっている俺はちゃんと授業を受けなくてはならない。体が自分で動かせない今、声だけでもきちんと聞いておかなければ! 俺は真面目に先生の話に耳を傾ける。
その一方で、『俺』は何をしているかというと、板書をノートに写していた。
授業を聞くのに集中していた俺は、一瞬チラッと手元に意識を向け……そして、思わず聞く方から意識を逸らしてしまった。
コイツ……完璧に板書を写してやがる!
ノートには、黒板に書かれていたものがほぼ完璧にそのまま写されていた。今授業をしている先生は、板書を綺麗に書く人だから、それがそのままノートに反映されている格好だ。
しかも、字体は明朝体だし……。綺麗なのはいいけど、シャーペンで明朝体って書けるのかよ⁉︎ まるで印刷をしているみたいだ。めっちゃ読みやすいな。
アンドロイドになったとはいえ、字の癖はそのまま受け継がれているので、普段俺が体を操作しているときのノートの字は、人間だった頃と変わらない。それが、AIがやるとこんな綺麗な字でこんな綺麗なノート……ちょっとノートを取るときだけ、これからAIにやってもらおうかな。
『俺』は、どうやら先生の板書と同時に字や図をノートに書き写しているようだ。だから、先生が板書をやめて説明を始めると、同時に俺の手も動きを止める。というかスリープモードになっているようだ。こまめに節電するなぁ……。
「それでは天野さん、百十ページの問三は何ですか?」
おおっと、突然当たったぞ! きょ、教科書の百十ページの問三⁉︎ ヤバい、さっきまでずっと考え事をしていたから、パッと思考の切り替えができない……!
「④です」
「はい、そうですね。④が正解です」
裏で慌てている俺に対して、『俺』はスリープモードから起動すると間髪入れずに答える。さすがAI。なんでもわかっていらっしゃる。
もしかして、俺が授業中に寝ていても大丈夫なんじゃね? 全部答えてくれそうだ。
『俺』は答え終わると、再び動きを止めてスリープモードに入る。
これがもし人間だったら、板書と質問されたときだけ起きて、あとは全部寝ている、みたいな天才のような挙動になっているんだろうな……。
こうしてあっという間に五十分の授業が終わる。対応は完璧で、俺が口を挟む余地はない。座学の授業に関していえば、このままで大丈夫そうだ。
チャイムが鳴ると同時に、『俺』は教科書をしまう。それからすぐに次の授業の準備をする……かと思うきや、バッグから取り出したのは水筒だった。
中には冷えたただの水が入っている。『俺』は水筒を開けると、ゴクゴクと水分補給を始めた。
まだ一時間目が終わったばかりなのに、もう水分補給をするのか? 普段の俺なら、昼休みに一回するだけなのだが。
俺は自分の体温を確認する。今回のアップグレードで、これまで得られなかった各種センサーのいろんなデータがリアルタイムで得られるようになった。例えば体温とか、電池残量とか。
今の体温は……げ、普段よりもだいぶ高い。俺は気づかなかったが、AIはそのことにきちんと気づいていたようだ。こんなに上がっていた体温を下げるために、AIは水分補給をしたのだ。
まだ早い時間帯で体を動かしてもいないのにこんなに体温が上がっているなんて……どうやら、AIを使用すると普段より温度が上がりやすいのは、ある程度ダウングレードしても変わらないようだ。あんなに電力を節約していたのにもかかわらず、だ。
今、この体の中には俺という存在とAIという存在が共存している。となると、単純計算で俺の頭脳部分には二倍の負荷がかかっているわけだ。それなら、温度が普段より上がるのは必然で、仕方がないことだ。
水分補給を終えると、また少し休憩する。次の授業は何だったかな……?
そんなことを考えていると、クラスメイトたちがガヤガヤと立ち上がって移動を始める。そうか、次は体育だったっけ。
すると、俺の席へ近づいてくる女子生徒が二人。飯山と檜山だ。
「天野ー、行くよー」
「はい」
檜山のその声に反応して、俺はバッグから体育着を取り出し、二人についていく。俺は、てっきりAIは、非効率的なことはしないユニラテラリズム的な行動パターンを取るかと思っていたのだが、どうやらある程度の協調性は持ち合わせているようだ。
「それにしても、天野、本当にあんたロボットみたいな口調だね」
「今はAIが制御しています」
「ほまれちゃんの体はロボットだから、ロボットらしさが戻ったのかも」
飯山の当たりともハズレとも言い難い言葉には、『俺』は何も答えなかった。
更衣室に移動すると、俺は真っ先に入り口近くのロッカーに陣取る。そして、周りに目もくれず、さっさと制服を脱ぎ始めた。
ワイシャツを脱いで下着になったところで、檜山が横からポツリと言ってくる。
「天野……あんた、なんか胸おっきくなってない?」
よくわかったな! なんで見ただけでわかるんだよ! 本当に微妙にデカくなっただけで、見ただけじゃ絶対にわからないと思うんだけど。檜山にはおっぱい判別スキルLv.100でもあるのかな?
「前よりも二パーセント大きくなっています」
「どれどれ……あ、ホントだ」
そして、サラッとあたかも当然かのように、檜山が俺の胸を鷲掴みにした。そのままゆっくり揉みしだいていく。
お゛い゛い゛い゛や゛め゛ろ゛お゛お゛お゛!
その感覚がダイレクトに伝わってきて、俺は悶絶する。やめろ! 頼むからやめてくれ!
だが、AIに体の支配権を渡しているこの状況では、俺がいくら願っても体には反映されないので抵抗できない。しかも、『俺』は特に羞恥心もくすぐったさも何も感じないのか、揉まれるがままにされている。ちょっとは抵抗しろよ!
ヤバい、このままだと俺の気がどうにかなってしまいそうだ。もう、最終手段として、あのワードを念じて体の支配権を取り戻すしかないのか……⁉︎
ついに決意して、そのワードを念じようとしたその時、ようやく檜山は手を離した。
「ふーん……何も反応しないのか……。つまんないのー」
つまんないのー、ってなんだよ! 『俺』に反応してほしかったのかよ! 迷惑だな!
揉まれた後も、『俺』は無表情を崩すことなく着替えを続行する。体育着が若干きつくなったくらいで、特に動きに問題はなさそうだ。
そして、俺たちは更衣室を出て、校庭へ向かうのだった。