「はぁ〜」
すべての授業が終わり、放課後になった。なんとか今日一日を乗りきった……。
黒板の字が見えない問題も、前の席に移動したのとメガネをかけたので解決した。かれもこれも、越智のおかげだ。彼女には感謝しかない。
それに、運がいいことに今日は部活の日ではない。決して部活が嫌なわけではないのだが、もし部活に参加することになったら、いろいろと新しい問題とリスクが生じるおそれがある。
例えば、放課後もメガネを借りなければならなくなったり、バスケットボールが当たってメガネが壊れてしまうかもしれなかったり……そもそも、このまま借り続けるのも越智に申し訳ないし、メガネを壊してしまった、なんてことがあったら許してくれるまで謝り倒すしかない。
とにかく、この近眼状態を脱出するために、一刻も早く俺専用のメガネを作る必要がある。
俺は荷物をまとめると、俺の席に座っている越智のもとに向かう。
「越智、今日はありがとう。メガネ返すよ」
「……しかし、帰るときにメガネがないと困るのでは?」
「まあそうかもしれないけど……完全に見えなくなったわけじゃないから大丈夫だよ。今日だってメガネなしで学校まで来られたわけだし」
「確かにそうですけど……ほまれさん、なるべく早くメガネを作った方がいいですよ」
「もちろん、そのつもりだよ。今日、部活がないから作りに行く予定」
「それならよかったです」
もし自分に合ったメガネを作れたのなら、席を交換してもらう必要もなくなる。明日からはきっと元の学校生活に戻ることができるだろう。
そのためのメガネ作りだが……。よく考えればメガネ屋に行くのは初めてだ。実際、自分の家の周りのどこにメガネ屋があるのかすら知らない。
そもそも、近視とか乱視とか遠視とかとは無縁の生活を送ってきたから、メガネにお世話になったことがない。家族にもそういう人がいないから、メガネ屋に行く機会もない。みやびでさえ、あれだけ研究熱心で勉強したりバソコンを延々といじったりしているが、目が悪くなる気配がないのだ。もしかしたら、何か遺伝的なものなのかもしれない。
とにかく、俺はメガネ屋に関して、家族の中に頼れる人がいないのだ。そんな中、メガネ屋に初めて行くのは、少し不安だ。
「なぁ、越智。メガネ屋に行ったら、どうやってメガネを作ってもらえばいいの?」
「えっと……まずは視力測定ですね。眼科の処方箋でも代替できます。それからフレームを選んでレンズを選んでオプションをつけて」
「タイムタイム!」
マジかよ、そんなにやることがあるのかよ! 初めて行くのにたくさんやることがあるなんて、少しどころかめちゃくちゃ不安になるんだけど!
「……一人で行けるかなぁ」
「もしかして、ほまれさんはメガネ屋に行くのは」
「初めてだよ」
「……わたしがついていきましょうか?」
「いいの⁉︎」
その申し出は非常にありがたい。だが、俺のメガネ購入に付き合うことになって、越智の予定が狂うなんてことがあったら申し訳ないのだが……。
「はい。今日は陸上部の練習がないので、放課後は時間があるんですよ」
どうやら部活がないのは俺だけではなさそうだ。俺の心配は杞憂だったようだ。
それなら、俺にはこの提案を断る理由はどこにも無い。
「それだったら、お言葉に甘えてお願いしようかな」
「わかりました。ほまれさんが住んでいるのは……」
「市民体育館の方だよ」
「ちょうどその辺りはメガネ屋がないですね。以前あった店はつい最近潰れてしまいましたし……」
「おぅふ……」
なんてこった! バッドタイミング、運が悪い。
越智は少し考えると、改めて俺に問いかける。
「ほまれさんの手持ちのお金は……?」
「んーと、確か三千円くらいかな。それで足りる?」
「いえ、ほぼ百パーセント足りないと思います」
「えぇ⁉︎」
メガネってそんなにお金がかかるのか……。最近のテレビCMを見ていると、軽量化だの、オーダーメイドだけど安いだの、そんな言葉ばかり聞くからてっきり安いものだと思っていたのだが。
「メガネ一つで大体どのくらい……?」
「それはピンキリですね。安いものだと五千円ちょっとくらいですが、高いと三、四万円します」
「四万⁉︎」
予想よりもはるかに高い金額に、俺は驚きの声をあげてしまう。予想以上に大きな出費になりそうだ。
「それでは、学校の最寄り駅集合にしましょう。時間は……四時くらいでいいですか?」
「うん。わざわざありがとう」
「いえいえ」
約束の時間と場所が決まれば、あとは俺が急いで家に帰ってお金を取って戻ってくるだけだ。俺は学校を駆け足で出て、駅まで急ぐ。越智は約束の時間になるまで学校で自習をして時間を潰しているという。
越智から借りたメガネは結局つけたままだ。越智に返そうと思ったが、結局この後も会うことになるし、帰り道が危険だからと押しきられてしまった。
でも、やっぱりメガネをかけた方がかけていないときよりもマシだ。朝とは違って周りがある程度はっきり見えるから、余計な神経を使う必要がなく、いくらか気が楽だった。
家に戻ると、みやびはまだ帰ってきていないようだった。俺は急いで自分の小遣い箱から財布へお札を詰め込む。電車は十分に一本間隔で、少し時間に余裕があったので、ついでに制服から適当な私服に着替える。
滞在時間数分で、再び家を出て駆け足で駅へ向かう。電車に乗ってからやっと余裕ができたので、携帯を取り出してみやびにメガネを買う旨を伝える。
まさにとんぼ返りを体現したような行動で、俺は四時ジャストに学校の最寄り駅の改札口に到着した。辺りを見回すと、柱に寄りかかって待っている越智がいた。俺は急いで彼女のもとへ向かう。
「ご、ごめん……時間ギリギリになっちゃった」
「いえ、間に合っているので大丈夫ですよ。それでは行きましょうか」
颯爽と歩いていく越智に俺はついていく。
駅を出て数分。学校に近い、大通りに面した建物の中にメガネ屋はあった。よくCMで目にする大手チェーン店だ。
「こんなところにメガネ屋あったんだ……」
「そのメガネはここで作ったんですよ」
「そうなんだ」
学校のある市の中心部は、通学路以外の場所へ滅多に足を向けることがないため、どこに何の店があるのかいまいち把握できていないのだ。
俺たちは自動ドアをくぐり抜けて店内へ入っていく。
「いらっしゃいませ〜」
平日の午後四時すぎ、店内は人が疎らだ。
テーブルの上にはメガネのフレームがダーッと並んでいる。ざっと千以上はあるだろう。初めて見る光景に、俺はちょっと圧倒されていた。
「えっと……俺はどうすれば?」
「まずは視力検査ですね」
そう言うと、越智は真っ直ぐにカウンターへ歩いていく。そして、そのまま店員に話しかけた。
「すみません、メガネを作りたいのですが」
「はい。視力検査は……」
「お願いします」
「それでは早速ご案内し……」
「ああ、いえ。メガネを作りに来たのはわたしではなくこの人です」
「うえぇ⁉︎」
ガシッと肩を掴まれて、店員の真正面にカウンター越しに立たされる。
いきなり話の中心に据えられて、俺は少し戸惑う。確かに、本来なら俺がやるべきことなんだが……店員さんも若干困惑しているし。
「は、はぁ……。それではご案内いたします」
というわけで、俺は早速奥のコーナーに案内される。
仕切りの向こう側には、椅子が一つあり、その向かいの壁にはランドルト環や平仮名が大きい順に上から下へズラッと並べられている、お馴染みのアレがあった。
「それではメガネを外してください。まずは裸眼で測りますね」
メガネを外した瞬間、一気に視界がぼやける。目を細めても一番上の環のどこが開いているのかわからない。そうこうしている内に、ボードの一部が点灯し、一つの環が浮かび上がる。
「環の開いている方向を教えてください。これは?」
「……わからないです」
「これは?」
「……わからないです」
すると、店員さんは大きなカードを手に持って、ボードと俺の間に立つ。さっきよりも若干見えやすい。
「これは?」
「右」
「これは?」
「……わからないです」
「これは?」
「上……?」
「……はい、0.06ですね」
マジかよ。0.1はないって言われていたけど、そんなに悪かったのか……。そりゃ前の方の席に座っていても、メガネなしじゃ何も見えなくて当然だ。
続いていくつか検査を受けた後、視力検査の結果が出た。俺はメガネをかけ直して、元のカウンターに戻る。
次に選ぶのはレンズだ。ブルーライトカットだったり、レンズを薄く加工したやつだったり、いろいろなオプションがある。だが、俺の目はこれ以上悪くなりようがないし、それに部品が調達できるまでの一時的なものなので、一番安い、何もオプションがついていないやつを迷わずに選ぶ。
その後にフレーム選びだ。俺は店員さんに促されて立ち上がると、店内を見て回る。
そういえば、さっきから越智の姿が見えないな……。どこに行ったんだ?
「視力検査は終わりましたか?」
「うわっ⁉︎ びびびび、ビックリした……」
越智はいつの間にか背後に来ていた。めっちゃステルス性能高いな、おい……。俺のアンドロイドの能力をしても検知できなかったぞ……。
「とりあえず終わったよ。今はフレーム選び中」
「そうでしたか。わたしも暇だったのでフレームを見ていたところです。最近の技術の進歩は恐ろしいですね」
「何かオススメのフレームってある?」
俺は質問する。有識者である越智なら何か知っているかもしれない。
「そうですね……まず、フレームには大きく分けて二種類あります」
「二種類?」
「一つはつるの後ろの出っ張りで耳に引っ掛けて止めるタイプで、もう一つはフレームで頭を挟み込むタイプですね。前者の方が安定性は高いと思いますよ」
「な、なるほど……」
メガネについてスゲぇ詳しいじゃねぇか! 今の話を聞く限りじゃ、前者の方がいいな。よし、ここは素直にアドバイスに従おう。
数分間店内をウロウロした後、俺が手に取ったのは赤いフレームのメガネ。
試しにそれをかけてみる。うん、悪くない。値段も安いし、これにしよう。
「これでお願いします」
「かしこまりました」
カウンターに持っていくと、お支払いだ。オプションも何もつけなかったため、持ってきた金額の半分で済んだ。
「それでは三十分ほどお待ちください」
「さんじゅ……わかりました」
マジか、三十分でできるのか⁉︎ 速くね⁉︎ 早めに手に入れられるに越したことはないが……メガネってそんなに早くできるものなのか⁉︎
少々ビックリしつつも越智と話して時間を潰すこと三十分。カウンターから声がかかった。
「こちらでよろしかったでしょうか?」
「はい!」
「それでは、メガネの取扱説明書と、保証書です。お受け取りください」
「はい」
「ありがとうございました〜」
早速メガネをかけてみる。スゴい、確かによく見える。落雷前と同じように見えるぞ!
俺は早速越智のところへ向かう。
「どうかな?」
「似合ってますよ!」
続いて俺は鏡を見る。最初からかけていたかのように、このメガネは俺の顔にばっちり似合っていた。俺のセンスに間違いはなかったようだ……。
ともあれ、こうして、マイメガネが完成したのだった。