試合後のミーティングが終わり、解散すると俺たちはぞろぞろと体育館の外に出る。
相変わらず天気は雨。しかも、朝よりも激しくなっている気がする。水が入ったバケツをひっくり返したかのような雨音がしていた。出入り口から道路に至るまでの道には、まるで川のように雨水が流れを形作っている。
これには全員が苦い顔をする。
だが、行くしかない。体育館に泊まるわけにはいかない。また、最寄り駅との間にバスがあるわけでもない。ほとんどの部員はここまで電車で来ているので、ここから最寄り駅までは歩いていかなければならないのだ。
部員たちは次々と傘を差して、早足で雨の中を進んでいく。
俺はその様子を集団の後方から見送っていった。
最後に、俺の隣にいた佐田が、ビニール傘を開いて準備を整えると俺の方を向く。
「それじゃ行くわ」
「うん、気をつけてね」
佐田は雨の中を駆け出していく。だが、十メートルくらい走った直後、突然彼がバランスを崩した。見えない力で傘が引っ張られたかのように、体が傾く。そして、次の瞬間、佐田のビニール傘は、あっけなく骨の部分がひっくり返った。
なんとか転ばずに済んだ彼は、即座にこちらに引き返して来る。
「ちょっ、大丈夫⁉︎ 怪我はない?」
「ああ。だけど、突風に煽られて傘が……」
佐田のビニール傘はもうメチャメチャになっていた。ただ傘の生地がひっくり返っただけではなく、骨が五、六本ダメになっている。これでは、ひっくり返ったのを元に戻しても、使い物にはならないだろう。
「困ったな……」
「佐田は今日、電車で来たの?」
「おう。もちろん」
「それじゃ、俺の傘使ってよ」
佐田が何かを言う前に、俺は自分の傘を彼の手に押し付けた。
「普通の傘より骨が二倍の数あるから丈夫だよ。明日学校で返してくれればいいし」
「ちょ、ちょっと待てってほまれ。それだと俺が帰れてもほまれが帰れないだろ?」
「俺んち、ここから近いから」
「そういう問題じゃなくてな……。これだとびしょ濡れになるだろ。ほまれは精密機械の塊なんだし、濡れたらヤバいんじゃないのか?」
「そこは心配無用! 俺の皮膚は防水防火防塵対衝撃素材でできているから!」
「なんかスゲぇ!」
俺が親指を立ててそう言うと、佐田はようやく俺に傘を戻そうとするのをやめた。そして、傘を差す。
「そこまで言うのなら……ありがたく借りていくぞ」
「うん。濡れて風邪でもひいたら大変だからね。俺は風邪ひかないからさ」
「じゃあ、また明日」
「じゃあね」
そう言うと、今度こそ佐田は駆け出して行った。俺はその後ろ姿を見送ると呟いた。
「俺も行くかな……」
本当ならみやびに連絡して傘を持ってきてもらうのが一番なのだが、あいにく今日は研究所に出かけていてすぐには戻ってこない。だからといって、いつまでもここで待っているわけにもいかない。
俺は覚悟を決めて、雨の中に飛び出していく。
足元を流れる雨水が、バシャバシャとステップのたびに飛び散って脚を濡らしていく。横殴りになりつつある雨が俺の全身にもろに当たる。
外に出て数十秒もすると、俺の体はすっかりビショビショになってしまっていた。靴の中も、靴下が水を吸ってしまったようでぐっしょりだ。この感じだと、たぶん服を貫通して下着まで濡れているだろう。幸いにも、服は濡れても透けない素材でできているようで、下着が見えるなんてことはなさそうだった。
雨で体温が奪われる。やはりアンドロイドになっても、人間だった頃と変わらす、この感触は不快だ。
見慣れた住宅地へ入る。あともう少しで我が家だ。帰ったらそのまま熱々の風呂桶にダイビングしたい。そんな欲求が頭の中の八割を占めていた。
「雷は収まったのかな……?」
そういえば、さっきから雷の音が一度も聞こえてこない。朝来る時は結構ゴロゴロと鳴っていたのだが……。
そんなことが気になって、俺は一瞬上を向く。
濃い灰色の雲が分厚く垂れ込めているのが見える。まるで、灰色と黒の絵の具で空を塗りたくったようだ。
その中に、チカっと青白い光が見えた、その瞬間だった。
俺の周囲の世界が、一瞬にして真っ白に染め上げられる。最後に俺が認識できたのは、そんな光景だった。
そのまま、俺の意識は断絶した。
※
スイッチが切り替わったかのように、俺は再び意識を取り戻す。
いつの間にか、俺の体は横たわっていた。さっきまで俺は家に向かって走っていたはずだ。どうしてこんな体勢になっているんだ? というかそもそも、ここはどこなんだ?
「お兄ちゃん!」
俺が目を開けようとすると、誰かが俺の肩を掴んで揺さぶってきた。
「み、みやび……?」
「よかった……気がついたんだね」
俺がうっすらと目を開けると、誰かが真上から俺を見下ろしているのが見えた。そこから聞こえるのは、間違いなくみやびの声だ。だが、なぜかその姿がとてもぼやけて見える。
とりあえず、俺はゆっくりと上体を起こす。体は正常に動いているようだ。ただ一点、視界を除いては。
俺は辺りを見渡すが、すべてがぼんやりと見える。まるで曇りガラスを通して見ているかのような視界だ。物体の輪郭がはっきりしない。ただ、なんとなくここがみやびの部屋であることはわかった。
こうなった原因は一つしか考えられない。意識を失うまでに感じた、白い光だ。そのせいで俺は意識を失った。その時に、俺の身に何か異常なことが起きたに違いない。
「みやび、説明してくれ……俺にいったい何があったんだ?」
「お兄ちゃんは、雷に打たれたんだよ」
その瞬間、俺の意識に雷に打たれたような衝撃が走る……ことはなかった。
「雷に打たれる……どういうことだ?」
「……お兄ちゃん馬鹿なの? それとも本当に雷に頭をやられておかしくなっちゃった?」
「いやいや、意味はわかるよ! 意味はわかるけど……本当に雷に打たれたの? 俺?」
「そう。雷に打たれたの」
「マジかよ」
どうやら本当のことらしい。雷に打たれる確率といったら、ジャンボ宝くじで一等の五億円が当たる確率と同じくらいじゃないか! ということは、雷に当たったということは実質宝くじの五億円を手にしたのと同じことだ……。
って何馬鹿なことを考えているんだ俺。本当に頭がおかしくなってしまったみたいじゃないか。
ともかく、意識を失う寸前に見たあの白い光の正体は雷だった。つまり、あの直後に俺には超高圧電流が流れたのだ。
「俺、よく無事でいられたな……。超高圧電流に晒されていたはずなのに」
「それだけじゃないよ。雷が通過するところは凄まじい温度になるんだよ。でも、お兄ちゃんの場合、電流のシャットアウトがうまくはたらいたのと、皮膚を伝って地面に逃げたからほとんど故障がなかったんだ」
「そうだったのか……」
やっぱりこの体、スゲぇな! 生身だったら絶対に死んでいたよ。
しかし、それにしても気になることが一つある。
「でもさ、俺の視力がなんか落ちているような気がするんだけど」
「そう、それなんだよ。実はね、電流のシャットアウト装置の不具合なのか、雷の直撃でお兄ちゃんの目のピント機能だけがバカになっちゃったみたいなんだ」
「えぇ……」
ピント機能がダメになった。つまり、俺は自由に目の焦点を合わせることができなくなったのだ。
「それで調べてみたんだけど、お兄ちゃんは今極度の近視状態になっているの」
「近視⁉︎ それはどのくらい……?」
「0.1はないよ」
「おぅ……」
そんなにド近眼になってしまったのか……。人間だった頃から、視力検査ではいつもAを獲得してきた俺がまさかこんなことになってしまうとは、誰が予想できただろうか。
「でもさ、これってすぐに直せるんじゃないの? 部品を取り替えたら元に戻ると思うんだけど」
「自分の体なのに、躊躇しないで言うようになったね……もちろん、部品を取り替えて直すつもりだけど」
「けど?」
「研究所に行かなきゃいけないんだ。いろいろとデリケートな部分だから、家じゃとてもできないよ。それに、今は目の部品の在庫がないから新しく作らなきゃいけないんだ」
そうなのか、てっきり今日中にでも直せると思っていたんだが……。
「だから、お兄ちゃん。ちょっと見えにくいかもしれないけど、部品ができるまでの間、このままで過ごしてもらうことになるけど、いいかな?」
「……わかった」
というわけで、思わぬ形で近眼生活がスタートしたのであった。
「あ、そうそう。お兄ちゃん、すぐにお風呂に入ってね。まだ体の大部分は濡れたままだから」
「お、おう」
風呂に入る時にも苦労しそうだな……。
そんなことを考えながら、俺はみやびの部屋を出て、風呂場に向かうのだった。