ブザーが会場に鳴り響く。
その瞬間、俺の横に控えていた部員たちが、一斉に大声をあげながら立ち上がった。
「「「「「うおおおおぉぉっっ!」」」」」
両手を天に突き出す人。ガッツポーズを何回も繰り返す人。涙を流してそれを拭いている人。反応は人それぞれだが、皆に共通しているのは、『試合に勝って嬉しい』という気持ちだった。
こんなベンチ側とは対照的に、試合に出ていた部員たちは静かだ。ただ流れている汗を拭ったり、ウロウロと歩いてクールダウンしたりと、騒ぐだけの体力も残っていないようだ。それだけ、この試合では本気で、全力を出しきって臨んだのだろう。
審判の号令で、両チームの選手向かい合って礼をする。
試合終了。結果は、僅差でこちら側の勝利。ギリギリで逃げきったのだ。
コートから戻ってきた選手たちを、ベンチの部員は早速取り囲んで次々と声をかける。
「お前ら、よく頑張ったな……!」
「勝ったぞ!」
「お疲れさま」
中には、引退試合ということで、大泣きしている三年生もいる。
何がともあれ、勝てて本当によかった……。もし負けてしまったら、俺たち二年生以下は三年生に顔を向けられない。これでバスケに触れる機会がなくなってしまう先輩もいるかもしれない、と思うと余計にだ。
安心感が俺の身を包んで、緊張感を取り去っていく。それとともに、俺の体に何かむず痒いような感覚が迫り上がってきた。
内心で舌打ちする。こんな感動的な場面でも容赦ない。
俺は辺りを見回すと、皆と距離を置き、タオルで汗を拭いている佐田を見つける。そして、素早く彼に近づくと背中をつついた。
「佐田……」
「どうしたほまれ?」
「ちょっとトイレに行ってくる」
「おう、いってら」
そう言い残して、俺はダッシュでトイレに向かう。
くそぅ! 蒸し暑いからといって水をガブガブ飲み過ぎたのが裏目に出た! 早くしないと漏れる!
試合会場を出て、俺は通路を駆け抜ける。幸いトイレの場所は、試合前に施設をぶらぶらしたおかげでわかっている。俺は急いで女子トイレに駆け込んだ。
……ギリギリセーフ。
危なかった。次からはもう少し水を飲む量に気をつけよう。じゃないと大変なことになる。
「ふぅ……」
無事にトイレを済ませると、俺は会場の方向へと足を向けた。
大雨で天気が悪いせいなのか、通路にはまったく人の気配がない。施設の中にいるのは、こんな天気で公式試合をしている俺たちとその観客くらいなものだろう。
急いでいたから佐田にしかトイレに行くことを伝えてこなかったが、大丈夫だろうか。佐田ならうまく他のメンバーに伝えてくれそうだが、なるべく早く戻った方がいいな。
そんなことを考えながら、閑散とした通路を早足で進んでいると、前に人の姿が見えた。
高校生くらいの男子三人組だ。たぶん、俺たちがさっきまで戦っていた相手チームの人だろう、見たことのある部活着を三人とも着ている。
俺が気づくのとほぼ同時に彼らも俺に気づいたようだ。そして、三人で何やら言葉を交わし始める。遠いのと話し声が小さいのとで、何を話しているのかはアンドロイドの俺の聴力をもってしても聞き取れない。そのうち、両脇の二人が真ん中の一人の背中をバシバシと叩き始めた。
……なんだかものすごく嫌な予感がする。これからロクでもないことが俺の身に起きようとしているのか、本能に備わっている危機管理センサー的な何かがビンビン反応している。
残念なことに、ここを通る以外に元の会場に戻るルートを、俺は知らない。仲間を待たせている以上、ここを通らなければならないのだ。仕方がない、ここは事を荒立てぬように穏便にいこう。
俺はスススと通路の壁際に寄ると、ピッチを上げて廊下を突き進んでいく。
頼む……! 俺に構わずすれ違ってくれ……!
「ねぇ、そこの君」
ナニモキコエナーイナニモキコエナーイナニモ
「無視なんて、酷いなぁ」
「っ!」
肩を掴まれた。反射的に足が止まる。この瞬間、俺は自らの敗北を悟った。
面倒ごとに関わらないようにするためには、まずそれに反応しないこと、つまり、スルーすることが最も重要だ。それに反応してしまった以上、相手は、こちらが自分たちを認識している、という認識を持つ。
これで、『聞こえなかった』という言い訳でスルーすることはできなくなった。
一瞬、このまま振り切ってしまおうか、と考える。しかし、そう思って一歩を踏み出すと、残りの二人が俺の行く手を塞ぐように移動してきた。あくまで話を聞いてもらうつもりらしい。
俺はめっちゃ嫌そうな顔を全面に押し出して、声をかけてきた相手に問いかけた。
「……ナンデスカ」
「君、バスケ部のマネージャーだよね? ちょっとバスケの話で聞きたいことがあるんだけど、この後時間ある? オレたちと一緒にどこかでお茶しない?」
この言葉で、コイツらがいったい何の目的で俺に声をかけてきたのか、察した。
……さては、俺をナンパしているな⁉︎
あまりにもわかりやすいナンパだ。漫画やアニメでよく見るチャラい男がやりがちなテンプレを、まさかここで見られるとは……。
いやいや、なんでナンパの方法について冷静に分析しているんだ俺! 今しなければいけないのは、この状況から抜け出して皆のところに戻ることだろ!
コイツらからしてみれば、俺はおっぱいの大きな可愛い女の子かもしれないけど、実際の中身はただの男子高校生。そんな俺をお茶に誘ってもおいしいことは何もないぞ! しかもお茶に誘ったところで俺は水しか飲めない。
ってコイツらに言い訳できればいいのになぁ……。こうするには、俺がアンドロイドであることを証明しなくてはならない。こんな見ず知らずの人に向かって『実は私、アンドロイドなんです』なんて言っても信じてもらえるとは到底思えない。そもそもどうやってそれを証明するんだ。
とにかく、他の方法を考えなくては……! しかし、咄嗟のことでテンパってしまい、説明がまったく思いつかない。
周囲を見回すと、声をかけていた一人と残りの二人が、俺を取り囲むように陣取っていた。俺は、ちょうど男性に囲まれて逃げ道を失い、完全に包囲網された状況だ。三人とも薄ら笑いを浮かべてこちらを見ている。
おいおい、完全に舐められているじゃないか……。しかも、ここから穏便に抜けるのも至難の業だ。くっ、絶体絶命だ……!
「おい、そこで何をしている」
包囲網の外から聞き覚えのある声がしたのは、その時だった。
俺を含め、男子三人が一斉に声のした方を振り返る。
そこには、こちらに向かって大股で一直線に歩いてくる一人の男子生徒の姿。
「さ、佐田……」
俺はその男子生徒の名前を呼ぶ。男子三人組は、コソコソと言葉を交わし始めた。
「おい、人来ちゃったじゃねぇか……」
「マジかよ……」
「どーする」
「テメェら、ウチのマネージャーに何をしている」
佐田が強い口調で、俺に声をかけた男子生徒に迫る。その声音はあくまで静かだが、大地の下で胎動しているマグマのような怒りを含んでいるように感じた。
その迫力に押されたのか、俺に声をかけていた男子生徒が一歩下がる。
その瞬間、包囲網が一瞬だけ崩れる。その隙を俺は逃さなかった。サッと移動して、佐田の背中の後ろに隠れた。彼がいないと、また囲まれてしまいそうで怖い。服を掴む手に、思わず力がこもる。
「や、やだなぁ……ちょっとバスケのことについて教えてもらいたくて……」
「おう、それなら俺に聞けや。さっきの試合で三クォーター分出ていた者だ。俺ならもっと詳しく話せるぞ」
「け、結構です……行くぞ」
とうとう、話を切り上げると、三人はそそくさと会場へと戻っていった。
佐田は、彼らが視界からいなくなるまで見つめると一息つき、俺の方を見た。
「ほまれ、大丈夫か?」
「佐田ぁ……! ありがとううぅぅうう!」
こ、怖かったぁ……。本当に佐田がいてくれてよかった……! もし来ていなければ、力づくで連れ去られていたかもしれない!
「ちょっ、ほまれ、抱きつくなって! 当たってる当たってる!」
「当たっててもいいだろ!」
「よくねぇ!」
俺は佐田に強引に引き離される。
「まったく……帰りが遅かったから心配したんだ」
「ごめん」
俺たちは会場に向かって歩き始める。
それにしても、あんなに佐田が怒る姿は見たことがない。普段怒ることは滅多になく、おちゃらけているのに。
「さっき、怒ってたでしょ」
「当たり前だ。親友がナンパされて嫌がっているのに怒らない奴がどこにいるんだよ」
「佐田……!」
心のイケメン! 見た目もイケメン! 俺の親友、こんなにイケメンなのかよ! 俺が女だったらとっくに惚れてるな。いや、もしかしたらもう惚れてしまっているかも……。
「さ、急ごうぜ。皆ほまれを待ってる」
「うん」
俺は改めて、佐田のイケメンさを実感したのだった。