試合当日。午前七時半。部員の誰よりも早く、俺は市民体育館に到着した。
天気は相変わらずの雨。ただし、昨日までのような、ずっと小雨が降っているような天気ではない。煤の色に近くなり昨日よりさらに分厚くなった雲から、大粒の水滴が降りしきるような天気だった。たまに雷鳴までもが聞こえる。一瞬空が白紫色に明るくなるのがその証拠だ。
幸いにも、今の時点では交通機関は止まっても遅延してもないようだ。しかし、路面が濡れていることで事故が起きて運休したり、速度を落として運転することで遅延が生じたりするかもしれない。皆、時間どおりに来られるか心配だ。
ちなみに、俺の家から市民体育館までの移動手段は徒歩である。体育館は家から歩いて約三分のところにあるのだ。だから、交通機関が止まっても、家を出る時間が遅くても確実に間に合う。だからといって本当に遅くに出発していたらマネージャーなんか務まらないので、こうして集合時刻の一時間前に来ているのだ。
「それにしても広いな……」
俺は、まだ誰もいないバスケコートの真ん中に立つと、ぐるりと周囲を見渡す。
この市民体育館は、つい最近までは屋外サッカー場だった。それを潰して新たに建てられたので、設備は最新だしとても綺麗だ。俺は今までこの建物の中に入ったことがなかったので、こうして目に入れるのは初めてである。
観客席は、予想以上に広い。かなりの人数を収容できそうだ。上の方には液晶モニターもついている。冷暖房もついているので、外が雷雨だろうが酷暑だろうが関係なく快適にプレーできるだろう。こんなところで試合ができるなんて、恵まれているなぁ。
「……そろそろ準備するか!」
いつまでもボーっと眺めているわけにもいかないので、俺は早速試合に向けた準備を始める。
休憩時間に使うためのタオルや飲み物を出したり、自分たちのチームの控え場所を確認したりする。そこまでやってから、俺は一つ重要なことをやり忘れていたことを思い出し、コートに戻る。
「カメラカメラ……」
邪魔にならないところに三脚を立ててカメラを設置する。試合をこれで録画することで、試合後の反省に使ったり相手チームのデータを集めたりするのだ。試合では必須のアイテムといえる。
こうして準備している間に、部員たちが続々と到着する。集合時刻の八時半には、ちゃんと全員が集合していた。
試合が開始するまでの三十分間で、部員たちは各自でアップをする。
「よし、それじゃ、いつものやるぞ」
試合直前、俺たちは集まって円陣を組む。
これは試合があるたびに行う、儀式のような恒例行事だ。これで、皆、気合とやる気のスイッチを入れるのだ。
「絶対勝つぞー!」
「「「「「おう!」」」」」
部長の叫びに合わせて、短く声をあげて、バンと右足を踏み出す。この一体感も、またたまらない。
その後、試合に出る部員は続々とコートに出る。一方で補欠の部員はコートの外の指定された場所で待機だ。マネージャーである俺も、今回はそこで控えることになる。
観客席を見ると、埋まっている座席は二割……いや、三割といったところか。大人と生徒が半分ずつくらいだ。たぶん大人はバスケ部の保護者で、生徒は応援団か部員の友人のどちらかだ。その中には、俺の知っている生徒の顔も何人かある。引退試合だからなのか、いつもよりも観客は多いような気がする。
相手チームと俺たちのスタメンが全員配置についたところで、審判がバスケットボールを手に、真ん中の白線上に立つ。いっさい動かずに、ボールを見つめるコート上の十人。
審判がバスケットボールを、高く、真っ直ぐ上げる。
それに手を伸ばし、ジャンプボールを取ろうと競り合う選手たち。
三年生にとって、最後の公式戦が始まった。
先にボールを手にしたのはこちら側だ。すぐに敵陣のゴールに向かって、連携しながら進撃していく。
だが、相手はそう簡単には通してくれない。マークにブロック……相手だって、俺たちと同じくらい必死なのだ。攻略に手間取ってパスを回している内に、相手チームの一人にカットされ、一瞬で攻守が入れ替わった。
そこからは相手のカウンター。今度はこちら側が、さっきの相手と同じように必死にマークやブロックをする。
今回の対戦相手は、俺たちと実力が伯仲している高校だった。よって、攻守が激しく入れ替わる展開になる。もし、どちらかが実力で圧倒していたら、ゲームの展開も一方的なものになるが……今回はそんなことにはならなさそうだ。
両チームとも、攻められたら守備をきちんとこなしているが、それでもすべての攻撃をいなせているわけではない。相手チームの隙を突くことで、どちらも同じくらいのペースで得点を重ねていく。
どっちに転ぶのか、コートの中にいたとしたらもちろんだが、はたから見ている今でもまったく予想できない。
このゲームに、俺はいつの間にか夢中になっていた。
「頑張れ! そこだ! いけ!」
思わず立ち上がって、コートで戦っている自チームの選手たちに、人目も憚らず声援を送る。
自チームがシュートを放つ。それをブロックしようとした相手選手の手の間をくぐり抜けて、ボールはスポッとリングの中に入り、リングネットを揺らした。
「よっしゃ!」
思わずガッツポーズ。そんな俺の肩を、誰かの手が叩いた。
振り返るとそこには佐田の姿。次の交代でコートに入る予定になっていて、今は俺と一緒に控えている。その佐田が、真面目な顔……をしようとして、半分くらい苦笑いが入ってしまったような顔をしていた。
「ほまれ……興奮しすぎだ。もうちょっとボリュームを落とそうな」
「え、あ、ごめん……」
そ、そんなに周りに迷惑になっていたのか……。確かに、大声を出したり、めっちゃヤジを飛ばしていたな。少しエキサイトしすぎていたかもしれない。さっきまでの熱が冷めて、冷静に周りを見渡せるようになる。
「それにしても、結構注目されていたぞ」
「え?」
打って変わって、佐田はニヤニヤしながら俺の隣に並ぶ。
「ほら、相手チームのベンチ、見てみろよ」
言われるがままに俺は、佐田の指差す方を見る。
相手側のベンチにも選手が控えている。彼らは、俺のことを見ながら何やらヒソヒソと話していた。そして、俺が視線を向けたことに気づくと、バッと一斉に視線を逸らした。
「……なんだあれ」
「たぶん、ほまれが可愛いなぁ、みたいなことを話しているんだよ」
「なっ……⁉︎」
だから佐田はニヤニヤしていたのか! うぅ……嬉しいような恥ずかしいような。可愛いとか言われても、俺は本当は男なんだけどな……。
俺がベンチの奥に戻ろうとしたその時、ちょうど第一クォーターが終了した。これから二分間の休憩に入る。すると、部員の一人が佐田に声をかけた。
「佐田! キャプテンが呼んでるぞ」
「お、出番かな……じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい!」
俺は佐田の背中を見送った。
彼は二年生の中でも、実力のある部員の一人だ。だから、この公式試合にも呼ばれている。この試合に出場しないことはないだろうとは思っていたけど、早くもその出番が回ってきたらしい。たぶん、第二クォーターから出場するのだろう。
二分間の休憩時間が終わり、試合が再開される。俺の予想どおり、佐田の姿はコートの中にあった。三年生にも負けない動きで、試合中は何度もチャンスを作っていく。
そのおかげか、拮抗していた状況は、徐々にこちら側に傾きつつあった。それは点数にも現れ始め、微妙な差となってじわじわと相手を引き離しにかかる。
この調子で点数を重ねて、逃げきれるか……⁉︎
白熱する戦いを目の前にして、俺の気持ちは抑えられない。
さっきの冷静さはどこにいってしまったのか、俺はもう一度コートとその外を区切る柵に近づく。
そして、そこから思いっきり声援を送った。
「ファイトー!」
試合は続く。