「お疲れさま」
「おお、みやびか」
振り返るとそこには妹の姿。体育祭に来てくれたのか。
「お兄ちゃん大活躍だったね! リレーも速かったし、棒引きも一人で持ちこたえていたし」
「まあね」
なんだか照れくさいな……。それに、この体を作って調節したのはみやびなのだから、今回俺が活躍できたのは彼女のおかげでもある。
「でも、結局、棒引き負けちゃったのは悔しいなぁ」
「それは……残念だったよ」
棒引きは、一回戦、二回戦と順調に勝ち上がっていった。だが、残念ながら決勝戦である三回戦には敗れてしまった。それでも、これまでの競技で稼いできた貯金があるおかげで、C組は現在得点トップだ。一回くらいならやらかしても持ちこたえられるほど、二位とも差がついている。
慢心してはいられないが、とりあえず安心してもいいだろう。
棒引きが終わるとお昼休みだ。その時間で生徒や保護者が昼食をとる。
昼休みに入ってから少し時間が経っているので、グラウンドには生徒はほとんど残っていない。今頃は皆、自分の教室でお昼ご飯を食べているだろう。
俺はご飯を食べる必要がないので、日陰で涼んでボーっとしていた。だが、遅まきながら、教室の中に入った方がきっとクーラーが効いていて涼しいはずだ、ということに気づいて移動しようとしていたところ、みやびに声をかけられたのだ。
「それにしても、みやびはいったいどこにいたんだ? まったくわからなかったんだけど……」
「私はずっと観客席にいたよ?」
「ホントか?」
みやびに疑いの目を向ける。入場する時とか、競技の途中とかに、何度か観客席にみやびの姿がないか探したんだけど、見つけられなかった。俺の目は以前に比べて格段によくなっているはず。だから、来ていたらすぐに見つけられると思ったんだが……。
「ホントだよ! ほら、ここに証拠動画だってあるよ!」
みやびは自分のスマホの画面を見せてくる。そこに映っていたのは、この学校のグラウンド。どうやらリレーを映した動画のようだ。見知った顔が、目の前のコーナーを猛スピードで駆け抜けていく。俺が出場した二年生のクラス対抗リレーだ。
『C組頑張れー!』
みやびの大きな声援が入り込んで、画面が少し揺れる。よく見ると、奥のテイクオーバーゾーンで、赤いバトンを持った生徒と、白いバトンを持った生徒がトップ争いを演じていた。今走っているのは、俺の一つ前の順番の人だろうか?
「そろそろお兄ちゃんが出てくるよ」
みやびがそう言うと同時に、カメラがズームし始めて、先ほどとは反対側のテイクオーバーゾーンを映し出す。何人か並んでいる人の中に、色の薄い特徴的な髪がいる。そいつは、隣のちょっと背の高い人と並んで、何かを話しているようだった。間違いない。俺とみなとだ。
それからすぐに、俺とみなとはバトンを受け取る。みなとが先行するものの、俺はその後ろにピッタリとついていく。改めて見ると、五十メートル八秒台にしてはめちゃくちゃよく頑張ったと思う。本当に彼女との差はまったく広がっていない。
コーナーに突入する。ただでさえ大きかった歓声が余計に大きくなり、再び画面が揺れる。
『頑張れー!』
みやびの声だ。だが、その歓声にはまったく反応せず、画面の中の俺は必死の形相でみなとを追いかけ、一瞬で通り過ぎていく。
この時応援してくれていたのか! ただ食らいついていくのに必死でまったく気づかなかった……。
そして、結局差がつかないままバトンはアンカーに渡り、逆転したC組はトップでゴールした。そこで動画は終わる。
「ね? ちゃんといたんだってば」
「ごめん……全然気づかなかった」
後でこの動画、俺のスマホにも送ってもらおう。
「それじゃ、そろそろ本題に入ろうか」
「本題?」
「うん。お兄ちゃん、服まくって」
突然何を言い出すんだ、この妹は。こんな公の場で、服をまくったらおへそが丸見えになってしまうではないか! 恥ずかしい!
「えぇ……」
「もう! 何を躊躇しているの、お兄ちゃん! 今のところ体に異常がないか調べるだけだから!」
みやびはケーブルを取り出して見せてきた。
俺は周りを見回して、誰もこっちを見ていないのを確認すると、少しだけ服をまくってへそを出す。みやびはそこに素早くケーブルを繋げると、シュバババとスマホを操作し始める。
「電池の残りは……六十八パーセントだから、まあ大丈夫そうだね」
みやびはそう言っているが、俺にとっては少々意外だった。バッテリーを新しくしたからそう簡単には減らないだろうと思っていたのだが、もうそこまで減ってしまったらしい。しかし、もし昨日替えなかったらこれ以上に減ってしまっていただろう。この減少ペースなら、電力不足で競技中に動けなくなる、なんていう事態にはならなさそうだ。
「システムも大丈夫そうだし、どこにも異常はない……ね。お兄ちゃん、どこかおかしいと感じる部分はない?」
「ああ。特にないよ」
棒引きの時にはミシミシといっていたが、この体は案外丈夫なようで、今は特にどこにも違和感はない。
「ならよかった」
みやびはケーブルを引っこ抜くと、畳んでバッグの中にしまう。
すると、後ろからみやびの名前を呼ぶ女の子の声が聞こえた。
「みやび〜、どこ〜?」
「今行くよー!」
「……友達?」
「うん」
この声は……えっと、誰だっけ? 咄嗟に名前が出てこないけど、みやびの友達だということはわかる! とてももどかしい。
そんな声に、みやびは振り返って元気よく返事をする。そして、すぐにこちらに向き直った。
「というわけで、私はそろそろお昼を食べてくるね」
「うん。いってらっしゃい」
そう言って走り出すみやび。と、途中で俺の方へと振り返ると、言葉を付け足してくる。
「あ、水! 水はちゃんと飲んでね! 熱が溜まっちゃうから!」
「わかった!」
俺が返事をすると、今度こそみやびは走って行ってしまった。そして、彼女の姿が見えなくなると同時に、俺はようやくその友達の名前を思い出した。
「そういえば、なぎさちゃん、だったな……」
買い物に行った時にも、みやびの久しぶりの登校についていった時にも会ったあの子だ。最近よくエンカウントするなぁ……。ここがみやびの中学校ならまだわかるけど、どうしてこんなところに来ているんだろう。みやびが誘ったのかな……?
いや、確かお姉さんがこの学校にいる、って言っていたな。俺のことをお姉さん経由で知っていたんだった。それならば、お姉さんの活躍を見るために今日ここに来たのだろう。
それにしても、お姉さんって誰なんだろう。俺が学校に復帰する前から知っていたのだから、俺もその人を知っているはずだ。なぎさちゃんの名字って何だっけな……前に言っていたような気がするけど、何だったか忘れてしまった。
「まだ残っていたの?」
なんとか思い出そうと奮闘していると、突然後ろから声をかけられる。
振り返ると、そこにはみなとが立っていた。
「みなと……」
「お昼休みももうあと半分よ……って、そういえばほまれには食事は必要ないのよね」
「そうだよ。みなとはもうご飯を食べたの?」
「ええ。もちろんよ」
速いな! きっとみなとのことだから、量も相当多いはずだ。
みなとは俺の隣に腰を下ろす。
無言でいるのもなんだか悪い。かと言って、気の利いたトピックがあるわけではない。さっき起こったことが自然と俺の口から出る。
「実はさっきまでみやびと話していたんだ」
「みやびちゃんと? 体育祭に来ていたのね」
「うん。友達と一緒にね」
ここで、みなとはちょっと残念そうな顔をする。
「そういえば、私の妹も体育祭に来るとか来ないとか言っていたわね……結局まだ見ていないけど」
「そうなの?」
「ええ。来るなら連絡くらいよこしてほしいわね」
みなとはそう言うとスマホを取り出してポチポチといじり始める。
「まあ、今はお昼休みだから、どこかへ食べに行っているんじゃない?」
「……そうかもしれないわね」
みなとは小さくため息をつくと、スマホをしまった。
ここからだと校舎全体がよく見える。屋上の柵には、各チームの午前の部終了時点での、点数のボードが掲げられていた。みなとは、どうやらそれに視線を向けているようだった。俺もそれを眺める。
「A組はまあまあっていうところかしらね。真ん中くらいだし」
「……そうだね」
A組は現在四位につけている。これからの競技の結果次第では、十分逆転もありうる点数だ。
「午後からもお互い頑張りましょう」
「そうだね」
体育祭の本番はここからだ。どんな展開になってもおかしくない。
気合いを入れながら、俺はしばらくの間、みなとと並んで座ってお喋りを楽しんでいた。