二年生のクラス対抗リレーで一位という好スタートを切ったC組。そのおかげで勢いに乗れたのか、その後の種目でもなかなかの好成績を取り続けていた。それに呼応するように、競技が行われるグラウンド中央に向かって、トラックの外縁に沿って応援や観戦の生徒が壁をなしている。
一方俺は、熱気に包まれるグラウンドから距離を取って、はるか後方のブルーシートの上で、クラスメイトの荷物に交じってその様子を眺めていた。
体に熱が溜まらないように、暑苦しそうな人混みを避けているのだが、応援がスゴすぎて、応援方向とは反対側のこちらまで熱が押し寄せているような錯覚さえする。
次に俺が出場する競技は、午前の最後のプログラムである『棒引き』だ。
昨日、みやびが大容量のバッテリーに替えてくれたとはいえ、油断は禁物。なるべく電力消費を少なくするために、じっとしているのが賢明だ。
「まだ十時三十分か……」
棒引きの開始時刻は、プログラム予定表では十二時十分頃。ただ、その二つ前の種目の開始時には集合しなくてはならないので、実質あと一時間十分くらい待たなくてはならないだろう。その間にやることも特に思いつかず、非常に手持無沙汰だ。
「それにしてもあちーなー……」
まだお昼にもなっていないのに、すでに気温は三十度を超えている。おかしいなぁ……大暑どころか、まだ小満のはずなんだけど。それに、日陰にいるはずなのに、ちっとも涼しくない。それどころか、グラウンドの方から暑い風が吹いてくるせいで暑い。
あぁ……このままだとマジで機能停止するかもなぁ……。微妙に命の危機を感じる。いっそのこと、いったんスリープして活動を停止してしまおうかな……。
そんなことを考えながら、ぼんやりと応援している人の背中を見つめていると、不意に声がかかる。
「こんなところにいたのね、ほまれ」
首を動かすと、左の方からみなとが歩いてきているのが見えた。A組の待機場所からわざわざ訪ねてきたようだ。
「おー、みなとかー……」
「どうしたのよ。だるそうだけど……具合でも悪いのかしら?」
「別にそんなんじゃないよ……ただ暑いからあまり動く気にならないだけ」
「そう。確かに今日は猛暑日寸前まで行く、って天気予報で言っていたわ」
「うへぇ……」
誰か、北極の空気とここの空気を一瞬で交換する装置を発明してくれないかな……。みやびならすぐに開発してくれるかなぁ……いや、さすがに無理か。こういう現実的でない願望を抱いてしまうくらい、どうやら俺はこの暑さに萎えてしまっているようだ。
「ここ、木陰になっていて涼しいわね」
「そうだね」
「私たちのクラスの荷物置き場は、直射日光が当たるのよね……」
それは大変だ。せっかく水筒に冷たい飲み物を入れても日光に当たって温まってしまうじゃないか。俺、C組でよかった……。
「それにしても、リレーは悔しかったわ……全然引き離せなかったから」
「ふふん、頑張ったからね」
「みやびちゃんが、ほまれが五十メートル八秒七になったって言ってたから、チャンスだと思ったのに……」
「みやびが漏らしていたのか!」
ちくしょう、裏切り者め……。まあ、結局勝てたから結果オーライなんだけど。
「ほまれ、まさか今日のために体を改造なんてしてきていないわよね?」
「うん、して……ないよ」
「怪しいわね」
「してないよ、してない!」
否定しようと思ったけど、昨日バッテリーを入れ替えたことを思いだしたので、少し言い淀んでしまった。でも、あれは改造には当たらないよね! バッテリーを入れ替えただけだし! ね! ね! ね‼
自分にそう言い訳して平静を保つと、俺は水を飲む。こんなに飲むとトイレが近くなりそうだが、みやび曰く、水筒二つ分まではがぶ飲みしても大丈夫らしい。
「それにしても、C組は結構優勢ね」
「そうなの?」
「見てないの? 校舎の屋上の得点板、さっき見たらC組が二番目くらいになっていたわよ」
「おお~」
俺はこの位置でずっと座っているから、得点板など全然見えていないのだ。そんなにC組は得点を重ねてきたのか。いい感じだ。
その後も、みなとと俺は木陰でひたすら雑談をして時間を潰す。
そして、そろそろ話題も尽きてきた頃、スピーカーから流れる放送が耳に入って来た。
『プログラム十四番、棒引きに出場する生徒は、指定の場所に集合してください。繰り返します……』
「俺の出番だな」
「私も出るわよ」
「そうなんだ。じゃあ一緒に行こう」
「ええ」
俺とみなとは立ち上がると、集合場所に向かって、グラウンドの裏口からいったん外に出て、集合場所へ向かう。
棒引きは各クラスから選抜された女子のみが出場する種目だ。いわゆる、個人種目である。
ルールは簡単。一列に並んだ両チームのちょうど真ん中にズラッと並んでいる棒を、なるべく多くとった方が勝ちだ。
この種目で勝つためには、どの棒に何人くらい割り振るのかが大事になる。それに、勝ち目のない棒を見捨てて別の棒を手伝う、みたいな個人の状況判断能力も試される。意外に高度な種目なのだ。
男子はこの種目の代わりに、棒倒しというもっとヴァイオレントな種目に出る。あっちは攻守入り乱れてスゴいことになり、毎年怪我人が出るという恐ろしい種目だ。本当にこの体になってよかった……。
棒引きは八チームによるトーナメント戦だ。トーナメントの組み合わせは事前にクジで決まっている。奇しくも、最初の対戦相手はA組だった。
「そういえば、私たち初戦で戦うのね。次は負けないわよ」
「こっちこそ、負けないぞ」
さっきのリレー勝負では、圧倒的にこっちが不利だった。だが、今回は違う。なにせ、俺がこの競技の出場選手に立候補したのは、この競技が俺にとって圧倒的有利であるからだ。
この競技では勝てる。俺はそう確信していた。
『それでは、女子による棒引きです』
しばらく待っていると、そんなアナウンスが流れる。俺たちは入場すると早速配置についた。
校庭に引かれた白線に沿って、ズラッと一列に並ぶ。相手もまったく同じようにズラッと並び、俺たちと対峙する。
俺たちの中間には、塩ビ管の棒が同じようにズラッと並んでいる。今からこれを取り合うのだ。
うるさい観客席とは対照的に、競技に臨む俺たちは静寂を保っていた。
審判役の実行委員が声を張り上げる。
「これから、棒引き一回戦第一試合、A組vsC組を始めます!」
号令とともにすぐに駆け出せるような体勢になる。ピンと精神が張る。
「位置について! よーい!」
空砲が鳴り、両端から生徒たちが一斉にスタートする。相対的にどんどん距離が縮まっていく。
俺は目の前にある棒に狙いを定めて、一直線に走る。相手の方からは三人が同じ棒を目指して走って来た。俺の周りは、皆違う棒に行ってしまったようだ。ここは俺一人。孤立無援だ。
俺は棒に到達すると、掴んで引っ張る。相手もほとんど同時に棒に到達すると三人が引っ張ってくる。
「うぬぬぬぬぅ……」
棒を持った瞬間、一瞬だけ大きく向こうに引っ張られて、バランスを崩しそうになる。このままズルズル引っ張られて負けてしまうのか……一瞬だけそんな考えが頭を過ぎる。
いや、そんなことはない!
俺がこの競技にわざわざ立候補した理由。それは単純にパワーがあるからだ。時間をかけて発揮するパワーなら、誰にも負けないぞ!
俺は歯を食いしばると、腰を落とす。ズルズルと引きずられる足に力を込めて、足場を安定させる。そして、腕と手のひらに力を込めて、棒をしっかり掴むと体重を思いっきり後ろにかけて引っ張った。
その瞬間、力の平衡が一瞬だけ安定した。そして、今度はこちらの方に大きく傾く。
俺は足を動かしてどんどん後ろへ、後ろへと下がっていく。決してスピードは速くないが、一歩一歩確実に。
この様子を見たのか、相手の方に別のところからどんどん人が加わって来る。たくさんの棒が、簡単に相手の方に渡ってしまって手持ち無沙汰になってしまったのか……⁉ そんな考えが浮かぶが、それを確かめることに意識を割く余裕はない。
だが、人数が増えても、俺のやることは変わらない。ただ力を込めて引っ張るのみ。いつの間にか、相手の人数は七人にまで膨らんでいた。また力の平衡状態が生まれる。
俺の体のそこら中がギシギシと軋む。なにせ七人分の力と釣り合わせているのだ。ものすごい負担がかかっている。
『おっと! 一番向こう側で、C組がたった一人で、A組七人と張り合っているぞー⁉ いったい何者だー⁉』
なんか注目されとる……! 怪力女とか思われそうだなぁ……!
だが、この実況のおかげなのか、C組から応援がこちらに向かって来た。俺の後ろに次々と加わる。
「天野ごめんね……!」
「引っ張るよー!」
「せーの!」
こちら側の人員が増えたおかげで、再び平衡状態が崩れこちら側に傾く。そして、そのまま棒を自分の陣地に引き入れることができた。
パンパン! と空砲が鳴る。決着がついたのだ。どうやら最後の棒だったらしい。
俺は最後まで手放さなかった棒を、天高く立たせる。
相手の棒は四本。そしてこちら側の棒は……四本、じゃなかった、俺の持っている棒を含めて五本だ。
「ただいまの勝負、C組の勝利!」
棒引きの一回戦は、無事に俺たちC組の勝利に終わったのだった。