世界中の青空を全部ここに持ってきてしまったような、素晴らしい日和……とまではいかないかもしれないが、見渡す限りスッキリとした青空が広がっていた。
体育祭当日。準備万端の状態で、俺は臨んでいた。
梅雨前の、真夏に匹敵する暑さになることもあるこの時期。気象予報によると、今日は一日中晴天ということも相まって、結構暑くなるらしい。念のため、水筒には大量の冷水を入れているが、体を動かしすぎて白熱しすぎないように気をつける必要がある。
開会式直前、俺たちC組は、グラウンドの一角に割り当てられた荷物置き場に集合する。早速水分補給をしていると、向こうから佐田が来ているのが見えた。
「おはようほまれ」
「おう、おはよう。気合い入ってるね」
佐田は頭に白い鉢巻をしていた。正面には、『必勝』という荒々しい筆遣いで書かれた赤文字。これだけでも気合い十分なのがわかるが、それに加えて、半袖の体育着をさらに腕まくりしている。体育祭にいかに熱意を傾けているか、見ているだけで伝わってくる。
「ああ……前回は一点差で負けてしまったからな……今年こそ雪辱を晴らす! それに、今日は思いっきり体を動かせるからな!」
「佐田らしいな」
「ほまれも、棒引き、期待してるぞ」
「お、おう!」
やっぱり自分から立候補した棒引きは、かなり期待されているようだ。言い出しっぺなのに全然ダメでした~なんていう結果は絶対に避けなければならない。うっ、そう考えると緊張してきた……。
「おっ、あっちで円陣組むらしいから行こうぜ」
佐田が指した先では、クラスメイトたちがどんどん集まっていた。皆、佐田までとはいかないが、ずいぶん気合いが入っているようで、ウズウズしているのがわかる。
俺と佐田がクラスメイトの集団に合流すると、すぐに檜山が声を張り上げる。
「それじゃ、円陣組むよー!」
バラバラだったクラスメイトたちが、号令で一斉に輪の形に集まる。俺はちょうど男子と女子の間に挟まれる格好になる。そして、全員が肩を組んで円陣を作りだした。
誰が発破をかけるのか、顔を上げて見守る。もちろん、体育祭実行委員の檜山が音頭を取るようだった。
「じゃあ行くよ!」
一拍置くと、ほとんど叫びに近い声を出す。
「C組ー! ファイトー!」
「「「「「オー‼」」」」」
全員で右足を一歩踏み出して、心を一つにする。
気合いに飲み込まれたおかげか、俺も勝てるような気がしてきた。
そんな気分のまま、開会式を迎える。
体育祭は、縦割りクラス対抗である。よって、我がクラス二年C組は、一年C組と三年C組と合同チームを組むことになる。この学校には各学年八クラスあるので、八チームが優勝を目指して争う。毎年優勝争いは熾烈で、一点差で勝敗が決まる、なんてこともよくある。去年がまさにそうだった。
開会式が終わると、次は二年生のクラス対抗リレー。早速出番だ。
確か、今年は陸上部が比較的集まっているA組が、リレーは有利だと言われていたな。
しかし、どうなるのかわからないのがクラス対抗リレー。確かに陸上部が多いと有利っちゃ有利なのだが、クラス全員が走るので、走るのが苦手な人もフォローしなければならないのだ。その上、バトンの受け渡し方や走順も大きく関わってくる。
その点で言えば、俺のクラスは檜山が独断で決めていたけど……大丈夫だったのか? 今更どうこう言っても変えられないから、采配が適切であることを祈るしかない。
「位置について! よーい!」
乾いた空砲とともに、バトンを持った第一走者が、一斉に地面を蹴る。
急き立てるようなBGMと、放送委員のノリノリな実況がスピーカーから流れ始めた。
『さぁ、第一走者がスタートしました! おっとぉ、早速一人滑ってコケたぁ!』
「何やってんだー! 立ち上がれー!」
「走れー!」
一斉に怒号が飛び交う。コケたのは……おいおいC組じゃないか! ヤバいぞ、初っ端からコケるなんて! 序盤からビリとか幸先悪いから絶対に避けないと!
「頑張れー!」
思わずしゃがんだ状態から中腰になって応援する。負けてほしくない、ただその一心だ。
『さて、バトンが二走目に渡っていきます!』
このくらいから、先頭と最後尾の差がどんどん開き始める。俺たちのクラスは……なんとかビリからは脱出したようだが、それでも最後から二番目くらいだ。
それからバトンは何人もの手を渡り歩きながら、ぐるぐるとグラウンドを周回していく。
途中でバトンを落としたり、選手どうしが接触したり、なんやかんや事件は起きる。その間、C組は着実に、どんどん順位を上げていった。
ドキドキしながら走者にくぎ付けになっていると、突然前から声がかけられる。
「次の人、レーンへ」
気づいたら、俺の番が来ていた。目の前を最後尾のクラスの生徒がバトンを受け取って走っていく。俺は慌てて立ち上がると、レーン上へ出る。
俺のリレーの順番は三十九番。四十番がアンカーなので、応援で夢中になっている間にリレーは終盤まで来てしまっていた。
先頭では今ちょうど、反対側で三十八番走者にバトンを受け渡しているところだ。二つのチームが熾烈に争っている。
……てか、片方はC組じゃないか! 最初は散々だったがそこから怒涛の巻き返しで、ついに先頭に追いついたのだ。それで、C組と先頭を争っているのはどこのチームだ……? 持っているバトンの色は……白だ。ということは、優勝候補と目されているA組だな。
「あら、ほまれじゃない」
「なっ、み、みなと⁉」
いつの間にか俺の横にはみなとが立っていた。何やら不敵な笑みを浮かべている。
みなとがここに立っている理由はただ一つしかない。次の走者だからだ。みなとの所属クラスはA組。A組は現在C組と先頭争い中。ということは、次に俺とほぼ同時にスタートを切ることになる。
A・C組と、その後続との間は若干開いている。つまり、俺とみなとの、事実上の一騎打ちになるのだ。
「ほまれがアンカーの一つ手前なんて……意外ね」
「ま、まぁね~」
俺はなりたくてなったわけじゃないからな……。それに、人間だった頃はまだしも、俺はアンカーにしては足が遅い方だと思う。
一方のみなとは、女子の中では足は速い方だし、アンカーに選ばれるのも頷ける。今の彼女と競走して勝てるかと聞かれれば、まったく自信がない。
「A組、C組、中へ」
実行委員の人が、俺たちのクラスを呼ぶ。A組の方が若干優勢なので、みなとがインコースだ。俺たちは、テイクオーバーゾーンに並んで入る。
「負けないわよ」
「こっちこそ」
いくらみなとが有利だからといって、俺がいくら遅いからといって、それが手を抜く理由にはなりえない。走るのが遅いなら遅いなりに、自分を信じてありったけの力を出して張り合うのみだ。
『さぁ、レースも終盤! 現在は第三十八番走者! 熾烈な先頭争いをA組とC組が演じています! 二組とも、ほとんど同時にテイクオーバーゾーンに入ったー!』
放送委員の実況が聞こえる中、俺とみなとは同時に走り出した。バトンが手に当たる感覚が訪れると、俺は後ろを見ずに、手を握り締めて走り出す。
スタートダッシュは若干こちらの方が早かったが、すぐにみなとが横に並んだ。そのまま彼女が前へ出る。
俺は必死に足を動かして、みなとのすぐ斜め後ろ辺りに食らいついていく。抜かせるほど足が速くない俺ができるのは、とにかくこの差を広げないことだ。アンカーの佐田ができるだけ有利になるように、バトンを繋げなければならない。
コーナーに突入する。円周の差で引き離されかけるが、すぐにインコースに入ったので、ほとんど差は変わらなかった。
放送が何かうるさく叫んでいて、右側からも来場者からの声援がスゴかったが、それを気にしている余裕は俺にはない。前を走るみなとに離されないようについていくことだけに、意識を集中させる。
コーナーを曲がりきり、短い直線に入る。俺はみなとの陰から出て、ピッチを上げて追い上げを図る。足が追いつかずにコケそうになるが、意地で踏ん張って走り続ける。
「ほまれ、こっちだ!」
ブレた視界の真ん中に、こちらへ体を半分向ける佐田の姿を捉えた。それに向かって、俺は一心不乱に走り続ける。
バトンを握った右手を伸ばし、それを佐田の左手に力強く押し付ける。
彼の手が完全に握った形になったのを見て、俺は突き放すように手を開いた。
そのまま倒れ込みそうになりながらコースアウトする。だが、視線だけは上げたまま、バトンの行く末を見守る。
A組のアンカーは陸上部。それに引けを取らないくらいの速さで、佐田は駆け抜けていく。陸上部ではないのに驚異的な速さだ。
一進一退のまま、二人がコーナーを曲がりきろうとした次の瞬間、突如として校庭に強い風が吹く。砂埃が舞い上がり、二人の姿が見えなくなる。
「ど、どうなった……⁉」
数秒後、砂埃から先に姿を現したのは……佐田だった。直後にA組のアンカーも出てくる。砂埃の中で一瞬リードを奪ったものの、さすがは陸上部、すぐに佐田と並ぶ。
そして、二人がほぼ並んだ状態で、白いゴールテープが切られた。
どっちだ? どっちが先だった⁉
後続の選手がどんどんゴールし、会場がざわめく中、スピーカーから放送が流れる。
『現在審議中です。少々お待ちください』
マジか! そんなに微妙な差だったのか……。裏返せば、そうなるほど白熱したいい勝負だった、ということだが。
俺の隣にはみなとがいるが、今は話しかけるよりも結果を静かに待ちたい。それは彼女も同じようで、こちらを見向きもせず、静かに結果発表を待っている。
そして数十秒後、判定が下された。
『ただいまのリレーは、審議の結果、一位C組、二位A組となりました』
「「「「「うおおおおぉぉああああああ‼」」」」」
「よっっっっし!」
C組から歓声。俺は小さく拳を握ってガッツポーズをした。
幸先のいいスタートだ。この流れで、これからの競技もうまくいくといいな……! と俺は願わずにはいられなかった。