「そういえば、いよいよ明日だね。体育祭」
「そうだね」
夕食を終えて食器を洗っていると、リビングからそんなみやびの声が聞こえる。
「明日は、私も高校に入れるんだっけ?」
「ああ。大丈夫だと思うよ。生徒の保護者は入れるはずだから」
「私、保護者じゃないんだけどね……」
「細かいことはいいんだよ」
学校の規定では、体育祭は生徒とその保護者しか見に来ることができない。外部の人も自由に来れるイベントは、俺の高校には文化祭しか存在しないのだ。
「お弁当は、学校の校庭で食べるの?」
小学校でよく見る光景だ。校庭の端っこでブルーシートを広げて、その上で家族皆で手作り弁当を食べる。実際、俺は幼稚園のときも小学校のときも中学校のときもそうだった。みやびは中学生なので、その形式しか体験したことがない。
しかし、高校はそうではない。
「いや、昼食時だけ校舎が開放されるから、皆教室で食べる」
「へ~、なんか味気ないね……」
「仕方ないさ。グラウンドが狭いし、暑いし」
だから、『家族皆でお昼ご飯』みたいなことはできないのだ。残念だが。
「せっかくお兄ちゃんのために、お弁当を持っていってあげようと思ってたのに」
「弁当?」
弁当とはまたおかしな話だ。俺は充電式アンドロイドなのだから、ご飯なんか食べられるはずがない。そのことは、みやびが最もよくわかっているはずなのだが。
「あ、弁当ってこれのことね」
みやびの方を見ると、彼女は黒く平べったい長方形の物体を二つ、両手で掴んでいる。それらはリビングの照明を受けて怪しく光っている。……なんか怖いな。これが俺の弁当、なのか? まったく意味がわからない。
「どういうこと?」
「これ、何だと思う?」
質問を質問で返される。何だろう? 今までテレビや新聞やネットで見た覚えはない。人生で初めて見るものだ。だけど、それが俺の『弁当』であるならば、これはきっと電子機器の類……なのか?
「わからん」
降参だ。そこまで推理はできたが、そこから結論を導き出すには、俺の頭脳では足りないみたいだ。
「バッテリーだよ。お兄ちゃんの動力源」
「あぁ……なるほどね」
だから『弁当』なのか。ということは、今も俺の体のどこかに、これみたいなバッテリーが入っている、ということなのか……?
「しかも、ただのバッテリーじゃないんだよ」
みやびがTVショッピングの司会者のように、カッコつけた言い方をする。
「当日たくさん動くから、電力もたくさん使うかな~って思ったので、パワーアップしておきました! なんと、稼働時間が従来より五十パーセントも長くなります‼」
「おぉ~!」
ということは……? 今の時点では普通に過ごしていて最大二週間くらい持つから……三週間も充電なしで過ごせるのか! 普通にスゴい。
「ところで、俺のバッテリーってどの辺にあるんだ? へその辺り?」
「背中側だよ。背骨に当たるフレームを挟んで二つあるよ。腎臓と同じ位置、って言えばわかりやすいかな」
「そんなところにあるんだ」
なるほど、もともとバッテリーは二つ一組だから、みやびは両手に同じものを持っているのか。
「というわけで、後でお兄ちゃんのバッテリーを替えるよ。あと、予備のバッテリーも持っていくから安心してね」
「ありがとう」
これで、体育祭で電池切れを心配する必要はなくなりそうだ。明日は思いっきり動けるぞ!
ちょうど洗い物が終わり、タオルで濡れた手を拭く。その時、ふと心の中に疑問が思い浮かんだ。すぐそばにみやびがいるので、そのまま口に出す。
「ねぇ、みやび。俺って、アンドロイドになったんだよね?」
「うん」
「だったらさ、俺が参加したら体育祭でいろいろ不平等にならないか?」
例えば握力。今の俺は百キロくらいまで出せる。人間だった頃の俺は精々五十キロが限界だった。この点では、俺がアンドロイドになったことで、自クラスは有利になって、他クラスは不利になっている。
逆も然りだ。例えば五十メートル走。今は違うかもしれないが、この体は八秒七八しか出せなかった。人間だった頃の俺は六秒台だったのに。この点では、俺がアンドロイドになったことで、自クラスは不利になって、他クラスは有利になっている。
そもそも人間の中に、アンドロイドが交じっていていいのだろうか?
だが、俺の懸念に反して、みやびはあっさりと答えた。
「確かに不平等ではあるね」
「でしょ?」
「でも、別に不公平ではないと思うよ」
「え?」
意味がわからず、俺はポカーンとする。みやびはソファーにドサッと腰掛けると、言葉を続ける。
「だってさ、そんなことを言っていたらキリがないじゃん。お兄ちゃんの学年には足が遅い人も速い人もいるし、握力がない人もある人もいるじゃん」
「まあ、そりゃそうだけど……」
「それと同じだよ。もし足が速い人が偶然どこかのクラスに集中していたとして、文句を言っても仕方がないでしょ? クラス分けはランダムに行われるんだから」
確かに、今更メンバーの編成に文句を言っても仕方がない。これでクラスのメンバーが変わるわけではないからだ。そんなことを言うのなら、戦術を練るなり練習するなりして、勝利を引き寄せる努力をする。
それを考えてみれば、俺がアンドロイドになったことによる影響を、仕方のないものだと割りきるのも必要なのかもしれない。
「そもそも、お兄ちゃんは、お兄ちゃんが思っているほど、身体能力が人間とかけ離れているわけじゃないから、そんな一方的に勝利する展開は起こらないと思うよ」
「そうなの?」
「うん」
確かに、足にロケットがついているわけではないし、手からビームを出して他者の妨害をできるわけでもない。そんな劇的な展開は起こらないだろう。
みやびは説明を続ける。
「お兄ちゃんの体自体の限界は、もちろん普通の人間よりもはるかに高いよ。例えば五十メートル走なら、理論上は四秒台が出せる。それに、握力だって、自壊していいなら二百キロくらいは余裕だと思うよ」
そんなにいくのか……。というか握力で自壊って、どれだけのパワーが出せるんだよ。恐ろしいな。
「でも、それは人間の能力の範疇を逸脱しない。人間という形である以上、物理的な限界が存在するんだよ」
「……なるほど。で、つまり?」
「つまり、お兄ちゃんは『ちょっと運動神経のいい人間』みたいなもので、人外の運動能力を持っているわけじゃないから、そんなに心配する必要はないってことだよ!」
「……そっか。それならいいんだ」
その言葉を聞いて、俺の中の罪悪感みたいなものが、少し薄まったような気がした。
「それじゃ、早速お兄ちゃんのバッテリーを取り換えるから、そこにうつ伏せになって」
「うん」
みやびが、パソコンやケーブルを手に持って立ち上がる。少し離れたところには、マットが床の上に敷かれていた。体育祭当日にできないからか、今から行うようだ。
「あ、その前にシャツ上げて」
「ほいほい」
俺がシャツを上げるなり、みやびはケーブルをへそに差し込んでくる。カチッと接続音がして、何かが通じていく感じがする。
「それじゃ、うつ伏せになって」
言われるがままにうつ伏せになる。胸がつかえてちょっと苦しい。
そして、みやびは俺の頭の横で、パソコンをいじり始める。
「それじゃ、一回電源を落とすよ」
「うん」
ターン、とエンターキーを押す音。それと同時に、俺の意識はブツリと切れた。