「なあ、ほまれ」
「どうした佐田」
昼休みが終わり、五時間目が始まる直前。オープンスペースから教室に帰ってきた俺に、佐田が突然尋ねてきた。
「体育祭、お前は何の種目をやるんだ?」
「体育祭?」
そういえば、もうそんな季節か……。この学校では、中間テストが終わった二週間後くらいに体育祭が開催される。雨などで延期されなければ、今週末に行われる予定だ。
「体育祭って……そりゃ、大縄跳びとかリレーとかなんじゃないの?」
「違う違う、個人種目の話だ」
「ああー」
体育祭には大きく分けて二種類の種目がある。クラス全員が強制参加のクラス種目とクラスで選ばれた人だけが参加する個人種目だ。前者にはクラス対抗リレーや大縄跳び、後者には選抜リレーや百メートル走などの種目がある。種目によっては、一つ上の学年のクラス種目に、個人種目として参加しなければならないことがある。
去年、俺はクラス種目にしか参加しなかった。そんな俺が、個人種目に出ると思われているのだろうか?
「なんで俺が個人種目に出るんだ? 言っておくけど、この体になってから運動能力は結構落ちたんだよ?」
「そうなのか? てっきりロボットになったから、パワーアップしたものだと思っていたんだが」
正確に言うと、一部の運動能力は上がったけど、一部の運動能力は下がった状態になった。まあ、下がったものに関しては、この体に移った直後よりかはだいぶマシになっているけど。それでも、全体的に見れば元の体より運動能力は低くなっていると思う。
「話を戻すけど、なんで俺が個人種目に出ると思われているの?」
「個人種目が男女で分かれているのは知っているよな」
「うん」
「男バスの元男子生徒で女子になった、しかもその体がロボットだとくれば、これに頼らない手はないだろ?」
「単純だな!」
単純で安直な考えだ。さっきの俺の発言を聞けば、俺があまり戦力にならなさそうなのはすぐにわかるはずだ。まあ、俺が皆に話していないのが悪いのだけれど。
「言っておくが、ほまれがロボットっていうだけで、クラスの女子の大半は、体育祭でC組は勝ち確だと思っているらしいぞ」
「えぇ……」
「ま、ほまれは絶対に推薦されると思うから、何の個人種目に出るか、考えておいた方がいいと思うぞ」
「お、おう……わかった。ありがとう」
皆、俺に過剰に期待しすぎなんだよ! あー、どうしよう。これだと絶対個人種目をやらされるな……。俺は個人種目に何があったか思い出す。この中で自分がやれそうなものに目星をつけておかなくては!
佐田が自分の席に座った直後にチャイムが鳴り、五時間目が始まる。火曜日の午後は、二時間ぶっ続けでLHRなのだが、今日はこの時間を使って体育祭の選手決め、つまりどの個人種目に誰が出るかを決める。
「それじゃ、体育祭の選手決めを始めます」
早速、体育祭実行委員の二人が前に出てくる。男子の方は黒板に書き始め、女子の方──檜山が話し始める。
「とりあえず、クラス種目は全員参加で。皆知っているからいいよね?」
クラス全体から無言の肯定。彼女はそのまま話を続ける。
「それで個人種目なんだけど、それは今書き出しているとおりになります。この中から、男子と女子をここに書いた人数ずつ選ばなきゃいけません」
去年は出場することはなかったものの、今年は推薦される可能性が高い。俺は真剣に話を聞く。
「それじゃ、早速決めていきます。まず男子から。百メートル走に出たい男子、挙手」
檜山の呼びかけに対して、何人かの手が挙がる。俺のクラスは運動部の割合が高い。そのせいか、このクラスは体育祭で有利だと考えている人が多い。このクラスの人も、他のクラスの人も。
それが自信を高めているようで、皆やる気に満ち溢れているのだ。
男子はトントン拍子に選手が決まっていく。あっという間に黒板の男子の欄が名前でいっぱいになった。ちなみに、佐田の名前は棒倒しの欄にあった。円満スピード解決である。
さて、ここからが本番だ。充電を食うし、種目によっては全然活躍できないこともあるので、できれば個人種目には出たくはない。しかし、出ないとなるとそれはそれでクラスに軋轢を残しそうなので、出るとなれば自分が活躍できるような種目を、なんとしてでも勝ち取らなければならない。
「女子の個人種目は、百メートル走、選抜対抗リレー、棒引きの三つです」
走る種目が二つ、力のいる種目が一つだ。
俺の動く系の運動能力はかなり落ちた。その一方で、静かに力を込めて行う系の運動能力は飛躍的に上昇した。
どうせやるなら、走る種目ではなく、力を競う種目に参加した方がいい。その方が、俺は活躍できて皆の期待に応えられるだろうし、クラスにも貢献できる。
つまり俺が狙うのは、棒引き。それ一択だ。
「それでは、百メートル走をやりたい人~」
誰も手を挙げない。教室中がシーンと静まり返る。
「誰もいない? じゃあ次、選抜対抗リレー」
また誰も手を挙げない。檜山が少し不機嫌になったように見える。
「じゃあ次! 棒引き!」
周りを見るが、誰も手を挙げない。挙げる気配がない。
おいおい、男子はあんなに積極的だったのに……女子は誰も挙げないのかよ!
かく言う俺も、手を挙げていない。個人種目に推薦される可能性が高いのだから、本当だったらここで先手を打って手を挙げるべきだろう。しかし、個人種目に参加しなくてもよくなるかもしれない、という可能性を捨てきれず、躊躇してしまっているのだ。それに、周りについつい合わせてしまう日本人の血が、俺に手を挙げさせまい、としているのもある! この体に血は流れていないけどね!
「む……もう決まんないなら勝手に決めるけどいい?」
や、ヤバい、ついに檜山の独断と偏見によるドミナートゥスが始まろうとしていた。
勇気を出すんだ、俺! ここで覚悟を決めないと大変なことになってしまう!
そして、俺が手を挙げようとしたその寸前に、ビシッと檜山が俺を指した。
「天野、あんたリレーやって」
「ムリムリムリ」
すぐに拒否した。やっぱり、何かあった時は俺をアテにするつもりだったようだ。佐田の言うとおりだったな……。あらかじめ知らされていてよかった。何も知らずに突然こんなことを言われていたら、勢いに押されて『うん』と言ってしまいそうだった。
俺の返答を聞き、檜山は眉を顰める。
「なんで?」
「だって俺、皆が思っているほど足速くないもん! この前計ったら、五十メートル八秒後半だったんだよ?」
「……それは」
これでは女子の中では速い方とは言えない。檜山は俺の足の遅さを聞いて、俺を強引に推すのを止めたようで言い淀む。
よし、あと一押しだ。俺はここで今までのネガティブな態度を逆転させる。
「でも、パワーだけなら自信はあるから、棒引きなら出るよ」
「じゃあ棒引きで」
即決だった。結果的に狙いどおり、棒引きに出られることになった。黒板の『棒引き』の女子の欄に、『天野』とでっかく書かれる。
そして、俺が棒引きに決まったことが影響したのか、今まで誰も挙げなかった立候補の手が、クラス内からバラバラと挙がり始める。少し時間はかかったものの、女子の個人種目の出場者も全員決定した。
「それじゃ、あとはクラス対抗リレーの順番と、騎馬戦の組み合わせだけど……こちらで案を用意してきたので、この時間の間、ここに貼っておきます。また、クラスのSNSグループに回しておきます。何か不都合があったら言ってください。くれぐれも他のクラスにはバラさないように」
予想よりもかなり早く、体育祭の話し合いは終わった。空き時間は基本的には自習となるが、今はそれどころではない。皆、リレーの順番や、騎馬戦のグループ分けが気になるのだ。
檜山が黒板にその紙を貼り付けると、わらわらと人がその前に集まって来る。
しかし、俺はわざわざ混雑の中に飛び込むことはしない。なぜなら、俺の視力がよくなったからだ。俺は立ち上がると、取り巻きの外から自分の名前を探していく。
「ほまれ、その位置から見えるのか?」
佐田が隣に並ぶ。席が後ろの方なので、群衆の中に入りそびれたようだ。
「うん。あ、俺の名前あった」
「マジか」
リレーの順番は……三十九番⁉ 最終ランナーの一つ前だ。ここら辺の順番になると、足の速い人も多く、白熱した戦いが繰り広げられるだろう。そんな中に俺を入れるなんて……きっと檜山は、俺の足が速いことを見込んでここに俺を入れたのだろう。
一方、騎馬戦で俺と組む人は、檜山と飯山、そして越智だ。越智は、確か陸上部の女子だったはずだが、話したことはほとんどない。それにしても、グループに身長が小さい人がおらず、皆同じくらいの身長なのだが、大丈夫だろうか……。
「俺の名前はどこだ、ほまれ?」
「えーっとね……リレーは四十番だね」
「アンカーじゃねーか!」
俺の直後じゃねーか! ということは、本番は俺→佐田という順番でバトンが渡るのか……。
佐田はクラスで一番の俊足だ。陸上部ではないのに、陸上部に匹敵する速さなのだ。佐田なら、アンカーを立派に務めてくれるだろう。俺が多少遅れてもきっと大丈夫! そう考えると少し気が楽になる。
「俺と一緒に騎馬を組む人は?」
「えっと、佐藤と高橋と鈴木……だな」
「おっけー、サンキューほまれ」
体育祭は不安であるが、それよりも楽しみにしている気持ちが勝る。複雑な気持ちを抱えたまま、俺は席に座り直した。
体育祭当日まで、あと四日。