澄んだ空にゆったりと雲が流れていき、新緑が青空に照り映える。
俺とみやびは朝日を浴びながら、人の少ない街並みを歩いていく。
「まったく、ビックリしたよ……ついてくるなら最初からそう言ってよね、おに……ほまれちゃん」
「ごめんごめん、言い忘れてたよ」
みやびが呆れたようにため息をついた。
「それにしても、なんで私についてこようと思ったの?」
「なんとなく暇だったから」
「暇……ホントにそれだけ?」
「……強いて言うなら、みやびが心配だったから、かな?」
「私はそんな子供じゃないって! もう中学三年生だよ!」
「わかってるよ。まあ、つまりは気分だよ、気分」
もちろん、みやびのことは信頼している。自分で自分のことをこなせることくらいは百も承知だ、家事以外は。一人で通学することができないはずがない。
こうして、登校についていっているのは、気が向いたから。本当にそれだけだ。
「それにしても、ほまれちゃんがこの道を通るのって、スゴく久しぶりじゃない?」
「そうだね。結構いろんなところが変わっていて、正直ビックリしてる」
中学生までは、この道を毎日のように往復していたが、高校に入ってからは自宅と駅の間しか往復しなくなった。この辺には特に目ぼしいものはないので、ここに来る用事が生まれないのだ。
大半の建物の様子は、変わっていないように見える。しかしよく見ると、ところどころ店が潰れたり、新しくできたり、テナントが変わっていたりしている。時の流れを感じるなぁ……。
「それに、みやびと二人でこうして歩くのも、久しぶりだな」
「そうだね」
前回一緒に出かけたのは、確か俺の登校に付き合ってもらった時だっけ。それ以来だから、約一カ月ぶりだ。
そもそも、この頃みやびは滅多に外出しないし、外出したとしても、それに俺がついていくことは滅多にない。これからも、こういう機会はあまりないだろう。だからこそ、大切にしていきたいものだ。
「そういえばさ、みやび」
「どうしたの?」
「前に一緒に買い物に行った時、覚えてる?」
「うん」
「あの時にさ、みやびの友達に偶然会ったじゃん。ほら、誰だっけ……。な……ななみちゃんだっけ?」
「……なぎさのこと?」
「そうそう、確かそんな名前の」
いきなり声をかけてきた彼女だ。あの時、確か俺は親戚の子だと紹介されたんだっけな。小学六年生と紹介されて焦ったけど、なぜかごまかせたんだった。今でもなぜごまかせたのかスゴく不思議だ。
「その子とは、連絡を取ってるの?」
「いや、取ってないよ」
「え、そうなの?」
「中学校はスマホの持ち込み禁止だよ。それに、学校にあんまり行ってないから、私は誰ともSNSで繋がっていないんだよ」
「マジか」
普通そのくらいの年だったら、クラスのSNSグループができていて、それに入っていてもおかしくない、と思っていたけど……。みやびは、状況が特殊なのでクラスメイトたちとは繋がっていないらしい。
すると、そういうSNSを通じて、授業のノートなどを送ってもらっているわけではないようだ。そもそも、みやびは頭がいいからそんなもの必要ないのかもしれないけど。
歩行者用の信号機が赤になり、俺たちは立ち止まる。すぐ目の前の大きな幹線道路を、車がビュンビュンと横切り始めた。この大きな交差点を越えて少し歩くと、目的地の中学校が見えてくるはずだ。
「ほまれちゃん、学校は楽しい?」
何の脈絡もなく、みやびが突然そんなことを聞いてくる。
俺は即答する。
「楽しいよ」
そう答えてから、少し考えて補足する。
「学校に行けば、いろんなことがあるよ。もちろん、テストとか勉強とか、俺にとってはあまり楽しくないこともやらなきゃいけないけど……でも、それ以上に、楽しいことがたくさんあるんだ」
この体になって、一時はクラスに受け入れられないんじゃないか、排斥されるんじゃないかと酷く心配になったこともあった。だけど、クラスの皆は、俺を暖かく受け入れてくれた。
見た目が変わって部活もゴタゴタするかと思ったが、部員の皆が柔軟に対応してくれたおかげで、転部することなく続けられている。
なによりも、みなとは以前と変わらず、見た目ではなく俺の内面を見て、接してくれている。いろいろ大変なこともあったが、俺のことをいつも気にかけてくれているし、助けてくれる。
もちろん、技術面でサポートしてくれているみやびの存在も大きい。みやびがいなければ、『地球儀事件』で配線が二本外れた時、どうなっていたことか……。
「俺がこうして、学校生活を送れているのは、皆が支えてくれているからなんだ。とても感謝してる。もちろん、みやびにも、だよ」
「やめてよ……なんか照れる」
みやびが顔を赤くする。でも、本当にそう思っているのだ。
車が停まり、交差点が静かになる。そして、対面する歩行者用信号が青になった。
一歩を踏み出しながら、つまり、と俺はまとめる。
「俺は今の学校生活に満足している、ってことだよ」
「……それならよかった」
俺に少し遅れて、みやびが足を動かす。
「学校でいじめられていないか心配だったもん」
「ああ、なるほどね」
確かに学校に復帰した当初、俺もいじめが心配だった。結果としてなかったからよかったものの、もし起こっていたらと思うとゾッとする。
無言のまま少しの間歩くと、みやびがボソッと言った。
「これから学校に通い続けようかな……」
「それがいいよ。行かないよりも、何十倍も楽しくなると思うよ。毎日が変わる」
みやびの対人コミュニケーションスキルなら、きっとうまいことやっていけるはずだ。テストが終わっても、学校に通って損はないはず。
そしてついに、目的地の中学校が見えてきた。ここを訪れるのは中学卒業以来だが、校舎の外観は何も変わっておらず、懐かしい気持ちになる。みやびと同じ服装の中学生が、続々と校門の中へ入っていく。
「懐かしいな……全然変わってない」
なんだか俺も中学生に戻りたくなってきた。あの頃も、今と同じくらい楽しかったな……。もしかしたら、テストの赤点という概念がなかったからかもしれない。
「あれ、みやびじゃん!」
俺たちが校門のそばで佇んでいると、みやびを呼ぶ声。
「なぎさ……」
「久しぶり! 学校来るなんて珍しいじゃん! 明日、世界が滅亡する予兆かな?」
「いや、普通に定期テストだよ……」
「そっかそっか、テストは出ないとマズいもんねー」
なぎさちゃんは、みやびに積極的に話しかける。一カ月ぶりくらいの再会のはずだが、毎日会っているかのようなテンションだ。みやびはそのテンションに引きずられて、主導権を相手に握られているように見える。
きっと、この子はクラスの中でもムードメーカー的な存在なんだろうな。佐田と同じ感じで。
「あれ、今日は親戚の子も一緒?」
「う、うん……そうだよ」
なぎさちゃんの視線がこちらを向いて、『親戚の子』が俺のことを指しているのだと気づく。みやびがかつてそうやって説明したのだ。兄だから、親戚という説明はあながち間違っているわけではないけど。
それにしても、一カ月くらい前のことを覚えているなんて、やはりなぎさちゃんは記憶力がいいのだろう。
俺は、みやびの紹介どおり、『小学六年生のみやびの親戚』という設定で演技を始める。
「ど、どうも……お久しぶりです」
「久しぶりー、今日、学校は?」
「えっと、創立記念日でお休み、です」
「そっかー、お見送りなんて偉いね!」
「ど、どうも……」
ふー、危ない危ない。つい正直に創立記念日で休み、ということを口走ってしまったが、大丈夫だった。お姉さんが俺と同じ高校なら、今日がその日であることは知っているはずだから、そこから俺の嘘がバレるかもしれないと思ったが、どうやら杞憂だったらしい。
それにしても、小学六年生という設定なので、ずいぶんと子供っぽい扱いを受けている。俺も小学六年生っぽく答えるようにしているが……小学六年生ってどんな感じなのか、いまいちわからない。もっと子供びていた方がよかったのかな? それとももう少し精神年齢を上にした方がよかったのかな? 加減が全然わからない。
てか、そもそもこんなところで立ち話していてもいいのかな? 確か、もうすぐ始業時間のはずなんだが……。
すると、なぎさちゃんも同じことに気づいたようで、腕時計を見るとみやびの腕を掴んだ。
「あ、もうすぐ朝学活始まっちゃう! ほら、行くよ、みやび!」
「うん……じゃあ行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい。テスト、頑張ってね!」
「頑張るよ~」
なぎさちゃんに引きずられるようにして、みやびは校舎の中へと消えていった。