定期テストもテスト返しも終わり、一気に暇になった週末。珍しく天気が悪く、外は雨が降っているので、俺は洗濯物をハンガーに引っ掛けて、リビングに干していく。
そんな俺を尻目に、みやびはポテトチップスを食べながら、ソファーで横になってテレビを見ていた。
なんだろう、この不平等感。言葉にならないモヤモヤを感じる。
なんか俺ばっかり物事をやっていて、みやびは全然何もやっていないように思える。
いったい、何が原因なのか。みやびが、家事を俺に任せっきりにしているからなのか? いや、違う。俺は家事を自分の役割だと割りきっているから、そこに不満も苦痛も感じていない。原因はもっと別のところにある。
俺ばっかりやっていて、みやびがまったくやっていないもの……。
考えていくうちに、俺はようやくその正体にぶち当たった。
「ねぇ、みやび」
「ん~どしたの~?」
「そろそろ学校に行ったら?」
「えー」
面倒くさそうな返事が返ってきた。
俺がたくさんやっていて、みやびがまったくやっていないもの。それは、ズバリ登校だ。
俺がこの体になってしまう前も、みやびは学校に行っておらず、ずっと不登校だった。しかし、あの研究所には毎日のように出かけていたし、そのまま泊まることさえあった。あの頃は、毎日頑張っているなぁと感じていた。
つまり、学校に通っている俺と同じくらいの頻度でみやびは外出していたため、違和感を抱くことはなかったのだ。
しかし、最近は研究所には行かず、かといって学校にも行かず、ずーっと家でゴロゴロしている。昼間に外出をしている様子もないし、かといって家で何かを熱心に研究している様子もない。完全にだらけきっている。
「何もしていないなら、中学校に行きなよ」
「やってるよ~ちゃんと~」
「何を?」
「お兄ちゃんの体のメンテ~」
「やってないだろ」
地球儀が頭に当たってバグった事件以来ずっと、俺の体は快調そのものだ。どこも壊れていないので、どこもいじられていない。
「……そもそも、みやびはなんで研究所に行かなくなったんだっけ?」
「私の研究対象は、お兄ちゃんが今使っている体について、だよ。お兄ちゃんが使っている今こそ、実証実験の最中なんだよ。だったら、研究所にわざわざ行くよりも、お兄ちゃんの近くにいた方が、データとか取りやすいでしょ?」
「……なるほどね」
つまり、俺が平和な生活を送っている限り、みやびは研究所に行かなくていいのか。だから、家でずっとゴロゴロしているわけだ。
「最近、お兄ちゃんの体の故障が少ないから、やることがなくてどうしても暇になっちゃうの」
「だったら学校行きなよ」
「やだ」
ヤバいぞ、妹がニート化してきている。アルバイトをさせようにも、みやびはまだ義務教育課程だからできないし、家事もやらないし、昼間からゴロゴロしているなんて……。
「みやび、このままだと確実に運動不足になるぞ」
家に籠ってばかりいては、体力もどんどんなくなっていく。そうなると余計に外出できなくなり、さらに体力がなくなるという負のスパイラルに……。
てかこんな話、普通は七十とか八十になってから考えるものなんじゃないの⁉ なんで俺がうら若き十四歳の妹についてこんなことを考えなければならんのだ。
そこまで思慮が及んでいたのかは知らないが、みやびも同じような憂慮は抱いていたらしい。少々不貞腐れたように言う。
「わかってるよ……」
「このままだと確実に太るよ」
「へーへー」
「わかってないだろ……」
バリバリと見せつけるようにポテトチップスを食べるみやびに、俺は呆れて閉口した。
「でもさ、学校に行ったところで授業つまらないよ。わかっていることの繰り返しになっちゃうし」
「まあ、そうかもしれないね」
みやびは理系に特化しているが、一応、高校レベルくらいなら文系科目の内容も理解している。彼女にとって、中学校の授業なんて、今更聞くようなものではないだろう。
「でも、他の人間との付き合い方とか、学校でしか学べないこともあるとは思うよ」
「まあ、確かにそうだけど」
学校は勉強をするところだ。それは間違いない。だが、多くの人間がその場所に集まる以上、そこでは必然的に人間関係が生まれてくる。いわば、社会の縮図。そんな環境の中に身を置くことによって、副次的な効果として、対人コミュニケーション能力が磨かれるのだと思う。
「それに、みやびの中学校はそろそろ定期テストじゃなかった?」
「あっ!」
俺の言葉にみやびは立ち上がると、階段をドタドタと駆け上がる。
そして、数十秒後、一枚のプリントを持って戻ってきた。『年間行事予定表』と書いてあるのが見える。
みやびはそれをテーブルの上に置くと、今月の欄を指でなぞる。俺はそれを後ろから覗く。
「テスト……テスト……あった!」
「明日じゃねぇか!」
中学校は高校とは違い、単位という概念が存在しない。そのため、欠時によるペナルティーはなく、理論上は学校をいくら休んでも退学にはならない。義務教育だからだ。
しかし、それでも将来のことを考えれば、通知表で好成績を残しておくことが望ましい。
中学校で成績に関係してくるのは、授業へのやる気、態度、提出物、そして一番比重が大きいのが、テストの点数。不登校でも、せめてテストだけは受けた方がいいに決まっている。
「それだったらなおさら行かないとダメじゃん!」
「……んまあ、そうだね」
もちろん、みやびもそのことを重々承知しているはずだ。事実、研究所に足しげく通っていた頃でさえ、どんなに忙しくても定期試験の時だけは欠かさず出席して試験を受けていたのだから。
「だったら、定期試験をきっかけに、学校に通うのを再開したらどう? 友達がいないわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
みやびは不登校だがコミュ障ではない。この前みたいに、出先でみやびのことを心配してくれている友達に出会ったのがその証拠だ。学校ではどんなふうに振る舞っているのかは知らないが、みやびはきちんと人と話すことができる人だ。やればできるはずなのだ。
というわけで、俺はみやびにもう一度言う。
「それだったら行きなよ。ときどき休んでもいいからさ」
「……わかったよ」
みやびはようやく重い腰を上げたみたいだった。
まあ、そもそも行かざるをえない状況だったのだが。
一度始めてしまえば半分終わったも同じ、という西洋の格言がある。しかし、裏を返せば、始めるのがとても大変だ、ということでもある。
これをきっかけにして、このまま学校に通ってもらえれば、兄としてはこの上ない。問題は、はたしてそこまでいくかどうか……。
以前は俺が学校に復帰する番だったが、今度はみやびが学校に復帰する番になったのだった。