──十年後。
今日は仕事のない休日だ。しかも、天気もよく、そこそこ暖かく過ごしやすい絶好のお出かけ日和だ。
俺は今、遊園地に来ている。一人ではなく、妻と娘と一緒だ。昨日、久しぶりにどこかに出かけようかと言ったところ、娘が「ゆうえんちいきたい!」とリクエストしてきたのだ。
遊園地に来るのはかなり久しぶりだ。園内の雰囲気は、こういう場所でしか味わえない独特なものがある。
辺りを見回してみると、家族連れが多い。俺たちも周りの人からすれば、そのうちの一組だと見られているだろう。
「ねぇ、おとうさん」
「どうした、あまね?」
すると、俺の右手を小さい左手が引っ張る。
「あれみたいー」
あまねが指差したのは、道の脇に立っている『魔法少女ショー』ののぼりだった。毎週日曜日の朝には、そのテレビアニメが放送されている。そういえば、俺が子供の頃にも同じ名前のシリーズが放送されていた気がするな……。
「ねーおとうさん、みたいー!」
「わかったわかった、じゃあ行こうか」
「やったー! はやくいこー!」
そう言うと、あまねは俺たちの手を引っ張る。
「……いいよな?」
「ええ、もちろん」
俺は、あまねの右手が引っ張る左手の主、みなとに尋ねる。あまねの勢いに押されて勝手に決めてしまったが、みなとは反対することなく頷く。みなとは自分の娘が大好きなので、基本的には、あまねのしたいようにさせるのだ。
園内を進んでいくと、目の前に人だかりのできた広場が現れた。『魔法少女ショー』はここで行われるようだ。背伸びをすると、何重もの人の輪の内側にステージが見えた。
「おとうさん、かたぐるまー」
「はいはい。よいしょ」
「やったー! あ、みえた! みえたよ!」
あまねはきゃっきゃと喜ぶと、ステージの方を指差す。
見ると、ちょうどショーが始まったようで、ステージの脇からキャラクターが登場していた。子供たちが歓声をあげて拍手を始める。
そのままショーが始まる。俺もあまねが落っこちないように注意しながらショーを観覧する。もはや記憶には残っていないが、俺にもあまねみたいに、無邪気にショーを見ていた時期があったのだろうか。
魔法少女が協力して、ダンスを交えながら敵役をなんだかんだでやっつける。おそらく、ショーの内容や構成自体は、昔からほとんど変わっていないだろう。
しかし、俺が子供だった二十年前と、今目の前で行われているショーには、一つだけ明確な違いがある。
それは、今壇上でパフォーマンスをしているのは、着ぐるみを着た人間ではない、ということだ。
遠目からでも、着ぐるみより明らかにシュッとしているのがわかる。むしろ、何も知らない人から見れば人間にしか見えないだろう。
しかし、俺は知っている。俺だけではない、この場の大人なら誰もが知っているだろう。壇上にいるのが、人間とは見分けがつかないほど精巧なアンドロイドである、ということを。
「がんばれー!」
ショーは佳境に入る。壇上のキャラクターたちは激しいバトルを繰り広げているが、その動きに不自然さはまったく感じられない。人間でも練習しないとできないような動きを、滑らかにこなしていく。
この十年でアンドロイドは飛躍的な発展を遂げ、爆発的に普及した。
アンドロイドが使われているのは、目の前のショーだけではない。園のマスコットキャラクターやインフォメーションスタッフもそうだ。
園内だけではない。社会一般にもアンドロイドは広く普及している。道を歩けば、テレビをつければ、アンドロイドの姿を容易に見つけることができる。登場し始めた頃はいろいろ議論を呼んだし、それは現在も続いている。しかし、確実に言えることは、もはやアンドロイドなしの時代には戻れないだろうということだ。
そんなアンドロイドを作っているメーカーの筆頭格が『AMANO』だ。七年前、日本で最初に商用のアンドロイドを発売した企業で、現在も圧倒的な技術力でアンドロイド業界で圧倒的なシェアを握っている。設立から十年も経っていないのに、もう大企業と呼べるほどになったし、海外にも進出していてその規模は現在進行形でさらに大きくなっている。今、ステージ上で演じている機体も、同社製のものだ。
ここで、ショーが終了する。拍手の中、壇上で笑顔を浮かべながらキャラクターたちが頭を下げる。本当に人間のような動きだ。たぶん、あまねたち無邪気な子供はキャラクターが現実世界に飛び出してきた! と思っているだろう。少なくとも人間ではないことには気づいていないはずだ。
あまねを肩から下ろしていると、みなとが尋ねる。
「あまねちゃん、ショーどうだった?」
「カッコよかった! あのねあのね、わざがきまってブラックナイトがびゅーんってたおれたんだよ!」
「うんうん」
「それでね〜」
俺たちはそのまま遊園地を後にする。あまねはショーに大満足したらしく、車内でもしばらくみなととショーの話をしていた。
まだ太陽は高い位置にある。自宅から遊園地までかかる時間を考えるとまだ遊べたが、そうしなかったのはこの後用事があるからだ。
一時間ほどして自宅に到着する。すると、俺の予想どおり、家の駐車スペースには俺たちのものではない車が停まっていた。俺はその隣に車を停めると、話し疲れて眠ってしまったあまねを抱えて、みなとと家の中に入る。
「ただいま〜」
リビングに入ると、そこには二人の人物の姿があった。
一人はリビングのソファーでグデっとしていて、もう一人はその隣で、スマホをいじっている。二人とも、リビングに入ってくる俺たちに顔を向けた。
「おかえりーお兄ちゃん、みなとさん」
「お邪魔してます! おねーちゃん、ほまれさん!」
「いらっしゃい、なぎさ、みやびちゃん」
今日は、妹と義妹が我が家に遊びに来てくれたのだ。
それにしても、二人は本当に対照的だ。一方はまるで我が家にいるかのごとくダラ〜っとしていて、服装は地味だし、まったく覇気を感じないのに、もう一方はピシッとして、服装は清楚で、今時の若者みたいなキラキラしたオーラを出している。同い年だし同じ高校出身のはずなのに、どうしてここまで差が出てしまったのか……。
すると、今までぼやーっとしていたあまねが、二人に気づいた。
「あー、なぎさおねえちゃんだ!」
「おーあまねちゃん! 久しぶりだねー」
俺が床に下ろすと、あまねはダッシュしてなぎさちゃんに抱きついた。そのままよしよしされている。
その様子を見たみやびはガバッと身を起こす。いつの間にか目には生気が戻っていた。
「あまねちゃーん! 私もいるよ、みやびおねーちゃんだよっ!」
すると、あまねは振り返って、みやびをじっと見つめると、おもむろに言い放った。
「みやび……おばさん」
「なんでっ⁉︎ 私まだ二十四だよ⁉︎」
みやびはガクッと膝をついた。そんな彼女にあまねは近づくと、よしよしと頭を撫でる。
「おちこまないで」
「…………」
みやびは『なんと言えばいいのかわからない』と言いたげな顔をしている。
「あまねちゃん、どうしてなぎさのことはおねえちゃんで、私のことはおばちゃんなの?」
「え、おとうさんがいってた。みやびはあまねのおばさんだって」
「お兄ちゃん!」
「いや……ごめん、おねえちゃんって呼ぶように言っているんだが……」
「でも、あまねのおばさんなんでしょ?」
「確かに叔母だから合っているけど……! 合ってるんだけど、でも、この年でおばさんと呼ばれるのは、なんかこう、心にくるんだよ……!」
「あまねちゃん、これからは『みやびおねえちゃん』と呼ぶのよ、いい?」
「うん。わかった」
その返事に、みやびはホッとした表情をする。
「てか、なんでなぎさは最初からおねえちゃんと呼ばれているの?」
「さあ、おねーちゃんが仕込んだんじゃない?」
「……そうだったかもしれないわね」
「お兄ちゃんも最初からそうしてくれればよかったのに」
「ごめんって……」
俺はみやびにジト目で睨まれた。
しかし、それでもみやびはあまねを後ろから抱きしめて離さない。『おばさん』呼ばわりされても、やはり姪っ子のことは可愛いようだ。
そんなみやびに、あまねは無邪気に追撃を入れてくる。
「ね、みやびおねえちゃん」
「ん? なあに、あまねちゃん?」
「どうしてみやびおねえちゃんはおっぱいないの?」
「な゜」
本人の一番のコンプレックスを直球で突かれて、みやびは変な声を出したきり固まった。
「おかあさんとか、なぎさおねえちゃんとかはおっきいけど、みやびおねえちゃんだけないのはなんで?」
「…………」
「ねー、なんで?」
無邪気なあまねの問いに、みやびは固まった。そんな彼女の胸を、あまねはペタペタと触る。
「こーら! あまねちゃん! こっちに来なさい!」
慌ててみなとがあまねを抱えて引き離した。あまねは特に暴れることなく、大人しく抱えられる。
「……そういえば、みやびは今日何かを取りに来たんだよね?」
「あっ、そうそう!」
俺のその声で、みやびが復活した。
「お兄ちゃんの部屋の押し入れに、昔使っていた体があると思うんだけど、それを借りたいんだ」
「それを取ってくればいいんだな」
「うん、よろしく」
俺は階段を上って自分の部屋へ向かう。
あまねの言葉であんな姿を晒していたみやびだが、世間的な評価は全然違う。
若き天才技術者。それが、端的に表したみやびの評価だろう。
高校を卒業後、研究所のある大学に入学するとすぐにみやびはAMANOを起業し、CEOに就任。中退と編入を繰り返してあっという間に大学院で博士号を取得すると、どんどん新しい技術を開発し、企業を成長させていった。
まだ二十四歳なのに、すでに資産と知名度はとんでもないことになっている。現在は、その天才的な語学センスも活かしながら、世界中を飛び回る多忙な生活を送っているのだ。
ここまでAMANOが成長できたのは、他社に追随を許さないほど人間と同じような複雑な動きを実行できるアンドロイドを開発したからだ。もちろん、その技術はトップシークレットとなっており、開発方法はいっさい明かされていない……。
「ま、俺は知っているんだけどな……」
自分の部屋の中の押し入れを開くと、俺は荷物を外に出していく。大量の荷物に辟易しながら、時にはこちらに崩れてきそうになるのを押さえて、一つ一つどかしていく。
そして、その奥から出てきたのは、一つの巨大な箱だった。
「うっ……重いな」
俺はその箱を、ズルズルと引っ張り出していく。
箱は、各辺が一メートル程度の大きさだ。長らく押し入れの奥で眠っていたせいで、箱の上部には少し埃が積もっている。俺はそれを払うと、ゆっくりと蓋を開いた。
箱の中には、目を瞑った一人の少女が体育座りをしていた。
色素の薄い茶色の髪。その長い髪を頭の横でツインテールにしている。筋の通った鼻梁に、薄くピンク色に色づいた唇。白い肌。整った顔立ち。まるで異国の人形だ。
もちろん、彼女は人間ではない。アンドロイドだ。そして、かつての俺だ。
十年前、高校二年生になりたての頃、俺は交通事故に遭い、大きな怪我を負った。そのとき、みやびがボロボロの体から、目の前の美少女アンドロイドの体へ俺の意識を移したのだ。それから約一年間、この体で俺は高校生活を送ることになった。
「……懐かしいな」
彼女を見ていると、この体で過ごした高校時代の思い出が蘇ってくる。大変なこともあったが、それと同じくらい楽しかった。いろいろな思い出も作ったし、今まで生きてきた中で最も濃い時期だったと言えるだろう。
同時に、複雑な思いも湧き上がってくる。確かに、俺はみやびによって、そしてこのアンドロイドによって助けられた。本来肉体が回復するまで、約一年間休養しなければならなかったはずだったのに、そうせずに済んだからだ。一方、みやびは俺の同意なしに、自分の研究のために俺の意識をこの体に移した。俺は実験台にされたのだ。
まあ、今こうして生きているので結果オーライではある。それに、俺がこの体で活動していたときのデータがAMANOのアンドロイドの基幹技術に大きく寄与しており、その後の会社の発展の礎になったことで俺もその利益の一端を得ているため、悪いことではないのだが……。
しかし、確実に言えることが一つだけある。
俺は、かつて自分の体だった彼女に、間違いなく愛着を持っている、ということだ。
もはや、彼女は動かない。事故に遭って大破してから修復する際に、頭脳部分が抜き取られ、体を冷やすための冷却水も、一部の部品も取り払われているからだ。
それでも、みやびの会社ではなく、この我が家の俺の部屋の、押し入れの奥にしまってあったのは、もう一人の自分に、そばにいてほしくてみやびに頼んで持ってきてもらったからだ。
みやびは、今度開催される会社の展示会のためにこの機体を持っていきたい、と言っている。もちろん、展示会が終わった後は、きちんと我が家に返してくれるとも。
彼女とはしばしの間お別れだ。みやびなら、俺の大切な一部を大事に扱ってくれる。俺はそう信じて、彼女を送り出すのだ。
「ほまれー、ご飯できたわよー」
「ああ、うん、今行く!」
階下からみなとの声がする。時計を見ると、この部屋に来てからすでに一時間が経過していた。
廊下の向こうからいい匂いがする。今日はカレーだろうか?
俺は箱の蓋を閉めると、家族のもとへと向かうのだった。