目が覚めると、白い天井が見えた。
すぐにははっきりしない意識の中、俺は思考をなんとか形にしていく。
今、何時だっけ……?
というか俺、なんで寝ているんだっけ? そもそも、寝る前何をしていたんだっけ?
「あ、起きました! ほまれさんが起きました……!」
左の方から誰かの声がする。どこかで聞いたことのある声だ。誰だか思い出す前に、その声はバタバタという足音とともに小さくなって、ガチャリと物音がした後聞こえなくなる。どうやら、声の主は部屋の外に出ていってしまったらしい。
俺はいまだはっきりしない意識の中、体を起こそうとする。
だが、なかなか動かない。何かに押さえつけられているわけではない。まるで鉛でできているかのように、体が重い。
その間に、俺は意識を失う前の記憶を徐々に思い出していた。
確か、俺はみなとの家にいって一緒にコスプレをしていた。それから、一緒に帰ってキスをして、それから……。
そうだ、トラックに轢かれたんだ。
そのことを思い出した途端、脱力してしまった。俺は、みなとを助けようとして、トラックに轢かれた。その時のことが鮮明にフラッシュバックして、俺は自分に何が起こったのかを改めて認識した。
それでも、俺は生きている。俺が見ているこの景色、空気の質感、シーツの感触、消毒液の匂いなど、五感から得る情報が、ここは死後の世界などではなく、紛れもない現実だと知らせてくれる。
すると、再びガチャリと物音がする。そして、今度は二つの足音がこちらに近づいてきた。
「お兄ちゃん! 大丈夫⁉︎」
左からみやびの顔が現れた。こちらを覗き込む。俺は返事をしようとするが、なかなか声が出ない。
「み……やび……」
やっとのことで声が出た。しかし、それは確かに自分の声のはずだったが、しゃがれて掠れて、そして思ったより低音の男声だった。まるで自分ではないみたいだ。
喉が故障しているのだろうか? 体も動かないし、みやびは俺を完全に直さないまま再起動したのだろうか?
「よかった……!」
すると、みやびは安心したような表情を見せる。
俺は息苦しさを覚えながら、力を振り絞ってみやびに尋ねる。
「みやび……、今の俺……どうな……て……」
「ひびきちゃん、手鏡!」
「はい!」
そして、みやびはこれを見た方が早い! と言わんばかりに、俺に手鏡を向けた。
そこに映ったのは、一人の男の顔だった。顔の線は細く、表情筋が痩せているのか頬骨が浮き出ている。顔色もあまりよくないようだ。
今まで見慣れた美少女の顔ではないことに、一瞬思考が止まる。しかし、すぐに思考を再開させた。もしかして、これまでの体はトラックに轢かれたことで破壊されたから、また別の体に移したってことか⁉︎ だとしたら、こんな見た目の悪い体に移すことないだろうに……。
いや、待てよ。この顔、どこかで見たことがあるような……。
そして、俺が状況を理解したのと同時に、みやびが嬉しそうに言った。
「お兄ちゃんは、無事に元の体に戻ったんだよ!」
これは俺だ。アンドロイドの体になる前、一年前にトラックに轢かれて入院した、本来の人間の体の俺だ。記憶の中の俺と全然見た目が違っていたからすぐにはわからなかったが、よく見ると健康だった時の面影がかすかに見える。
おそらく、事故後にみやびが前倒しで元の体に戻す処置をしてくれたのだろう。
「俺は、どのくらい……眠ってた……?」
「三日だよ。トラックに轢かれてから、今日で三日目。本当に目覚めてよかった……!」
「そう、か……」
「し、師匠、古川さんを呼んできた方がいいんじゃ……」
「そうだ! 呼んでくるね!」
すると、みやびはバタバタと視界から消えた。そばには最初に俺に声をかけた人──鳴門が残っている。
「ベッドを起こしますね」
鳴門が俺の枕元で何かを操作をする。次の瞬間、ウィーンという音とともに腰のあたりから上のベッドが起き上がる。俺の視界は徐々に高くなり、最終的には部屋が見渡せるようになった。
どうやらここはいつものメンテナンスルームではなく、どこかの病院の個室らしい。そばには俺の腕に繋がっている点滴が見える。
それにしても、本当に人間に戻ったんだな。頭の中で念じても、気温や湿度、気圧、現在時刻や電池残量はわからない。視線を下に落としても、大きな二つの膨らみはないし、なんなら股についている懐かしい感覚すらあった。
「鳴門……」
「は、はい。なんでしょうか?」
「ここは……どこだ……?」
「師匠が研究されている研究所、に併設されている病院です。ほまれさんはトラックに轢かれて壊れた後、一日前倒しして処置を行ってここに移動したんです」
「みなとも、いるのか……?」
「はい。処置を終えてから、毎日訪ねてきて、朝から晩までほまれさんに付き添っていました」
「そうだった……のか……」
みなとが無事だったとわかり嬉しい反面、申し訳なくも思う。命を助けられたとはいえ、俺がバラバラになったさまを見せつけてしまっただろうから。
すると、鳴門が思いもよらぬことを告白し始めた。
「ほまれさん、私はあなたに感謝しているんです」
「……どうして?」
「不謹慎かもしれませんが、ほまれさんがアンドロイドになったおかげで、私は師匠と出会えました。そして、大好きだったロボットの研究を、よりいっそう充実したものにできたんです。師匠と出会えたのは、本当に僥倖でした。この出会いは、ほまれさんがいなかったら……もっと言えば、ほまれさんがアンドロイドになっていなければありえなかったでしょう」
そして、鳴門は俺の目をまっすぐ見ると、深く頭を下げた。
「たぶん、今以外に言うタイミングはないと思うので、言わせてもらいます。本当にありがとうございます」
俺のかつての体はひとりの人生を大きく変えてしまったようだ。
そして、きっとこれからも、何人もの人生を変えていくだろう。根拠はないが、そんな予感がした。
すると、部屋のドアが勢いよく開いた。そして、こちらに二人の人物がやってくる。
「ほまれ……!」
そのうちの一人は、俺の方へダダダと駆け寄ると、俺の手を握りしめた。
「みなと……」
「よかった……! 無事に目が覚めたのね……!」
彼女の目からは涙が滝のように流れ出ている。こんなにみなとが泣いている姿を見るのは初めてだった。
「みなとも……無事で……よかった……」
「ええ、本当に、あなたは私をまた救ってくれたわね……! 本当に、ありがとう。感謝してもしきれないわ」
みなとはしゃくり上げる。俺の目からも涙が流れてくる。
「感謝するのはこちらもです」
すると、そんなことをみやびが言い出す。
「大破したお兄ちゃんの体から、回復不能になる前にパーソナルデータメモリーを回収してくれたおかげで、お兄ちゃんは無事に記憶を保持したままこの体に戻れたんです。本当にありがとうございます」
みやびは頭を下げた。状況がよくわからず、俺はみやびに尋ねる。
「みやび……それって……どういうこと……?」
「お兄ちゃんが事故に遭って意識を失った後、最終的にお兄ちゃんの電子頭脳は爆発で吹き飛んだんだ。それまでの間にAIが起動していたんだけど、みなとさんはその指示に従って、お兄ちゃんの人格や記憶などのデータが入ったメモリーを回収したんだよ。おかげで、お兄ちゃんの人格や記憶は、事故に遭って意識を失った時点から連続しているんだ。もし回収に失敗していたら、前回の定期メンテナンスにとっておいたバックアップからになっていたから、その間の記憶がなくなっていたんだよ」
「おそろし……すぎるな……」
つまり、もし失敗していたら俺は記憶喪失になっていたということか。みなとの命を助けたことで、逆に俺の大事な部分も助けられたのだ。
俺はまだ泣きじゃくっているみなとの手をギュッと握り返した。
「ありがとう……みなと……助かったよ……」
「う゛う゛ん、こちら゛こそ……」
みなとは涙を拭いて立ち上がる。
ここで、みやびが咳払いをすると話し始めた。
「お兄ちゃんの体が元どおりになったことはたいへん喜ばしいことだけど、ここからが本番だよ! なにせ、ほぼ一年間も寝たきりで眠っていて、体中の筋肉が弱っているからね。通常生活目指してリハビリだよ! お兄ちゃんが頑張れば頑張るだけ復帰は早くなるから、頑張ろうね!」
「もちろんさ……」
俺の脳裏に、メイド喫茶での約束が思い浮かぶ。俄然やる気が湧いてきた。
「さて、私もお兄ちゃんの体……じゃなくて大破したアンドロイドの解析をしないと! やることはたくさんあるからね!」
みやびも、俺を鼓舞する言葉をかけているうちに自分もやる気になったようだ。
こうして、決意を新たに、この体での生活が一年ぶりにリスタートしたのだった。