「あっ……!」
突然背中に衝撃を受けて、私は地面に前のめりに倒れた。直後、背後からガシャーン! と何か重いものが衝突して壊れる凄まじい音が聞こえた。
私は顔を上げる。そして、少し体を起こすと、おそるおそる振り返った。
私の足の十数センチ後ろの路面には、くっきりと黒いタイヤの痕がついていた。そして、その先で大惨事が起こっていた。
路面を滑り、民家のブロック塀に突っ込んで止まっているトラック。フロント部分は大きくひしゃげ、大破していていた。
もし後ろから押されなかったら、私は確実にあのトラックに轢かれて、間違いなく死んでいただろう。鳥肌が止まらなかった。
トラックの運転手も心配だが、一番心配なのは、ほまれだ。
あの時、私を押したのは彼だ。突っ込んでくるトラックから、私を救ってくれたのだ。でも、その代わりに……。
悪い想像が止まらない。そうであってほしくないと感情が叫ぶ一方、見たもの、聞こえたものから、凄惨なことになっていると冷静に理性が叫ぶ。
私はフラフラと立ち上がる。力が入らないのに無理やり立ち上がったせいで、今にも倒れそうだ。でも、行かなきゃいけない。確かめなきゃいけない。ほまれのもとへ、一刻も早く。
「ほま……れ……」
喉からは掠れた声しか出ない。本当は大きな声を出したいのに、体が思いどおりにならない。
私は一歩一歩、ゆっくりとトラックの方へ歩いていく。恐怖で引き返したくなるが、踏ん張ってなんとか足を進める。
路上には、細かい金属の部品が散乱していた。ときどきベージュ色の大きな破片も落ちている。それらはあちこちに散らばっているものの、大きなものは帯状に点々とトラックの陰まで続いていた。
そして、やっとトラックの陰に回り込んだ時、私はようやくほまれを発見した。
「ぅそ…………」
私はその場に膝をつく。
ほまれは民家のブロック塀に背中を預けて、ぺたんと座っている。しかし、その様子はあまりにも凄惨だった。
ほまれの上半身と下半身は、お腹の部分でぐちゃぐちゃに破壊されて、かろうじて一本のケーブルで繋がっている状態だった。断面からはちぎれたケーブルと繊維状のものが露出していて、その中に壊れた機械の破片が埋もれていた。
直接衝撃を受けた右側はひどく壊れていて、特に右足と右腕は、原型がわからなくなるくらい壊れている。また、左側も破損していて、破れた服の合間から中の機械の鈍色が見えていた。
首はありえない方向へ曲がっている。首の付け根からは人工皮膚が裂けて、中から色とりどりのケーブルとフレームが飛び出していた。
頭部は特に右側の破損が激しく、髪の毛と人工皮膚が一部剥けている。そして、後頭部は不自然に浮き上がり、中からシューと音を立ててうっすらと白煙が上がっていた。
肌が破れたところからは透明な液が漏れ出していて、肌をつたい、服を濡らし、地面に滴り落ちている。
さっきまでいろんな表情を見せていたほまれは、ただの壊れたアンドロイドと化していた。私の彼氏は人間ではないのだと、あまり認めたくない事実を否応なしに理解させてくる。
勝手に涙が流れ出す。この感情をなんと言い表したらいいのか、私の中の語彙に尋ねるも、適切な答えは返ってこなかった。
「ど、どうしたら……」
頭が真っ白になる。目の前の状況があまりにも絶望的すぎて、私は何をしたらいいのかわからなかった。言葉の出し方も、呼吸の仕方すらわからなくなりそうだった。
次の瞬間、ほまれの口が動いた。
「a」
彼の目がギョロギョロと動く。そして、ノイズ混じりの声を発した。
「シん刻なダメーじが発生しマしタ、自動的ni自りツモーどに移行しmaス」
呆気に取られていると、彼の両目が私の方を向いた。心臓が跳ねる。しかし、そんなのお構いなしに、無感情な人工音声が続く。
「近ヅかnaいでクださi。感電のおsoレがあリまssssss」
ガガガと異音を発しながらほまれの体が振動する。プシャプシャとお腹の断面から大量の液体が噴出し、路面を流れていった。
「ほまれ……ほまれなの……?」
「メもリーヲ検索中ゥ……フルカワミナト、を認識」
私の呼びかけに答えることなく、ほまれは何かの処理を始める。
すると、次の瞬間、彼は予想だにしないことを言い始めた。
「お願イがあ……リまsssss、フルカヮヮ、ミナttttさん」
私は理解する。今、話しかけてきているのは、彼に搭載されているAIだと。あの無感情なAIが、私に頼みごとをしている。どこか遠くを彷徨っていた理性が、体の中へストンと戻ってきて、私は正気を取り戻した。
「な、何かしら?」
私は固唾を飲んで、次の言葉を待つ。
「わtaシの体はタい破してイmmす。……頭部gggg破損してイて、コのまマでhaアマノホマreの人格・記オくデータにjjju大な損傷ガ起コるoそレがaaaaります」
徐々にノイズが酷くなっていく。比較的傷の少ない左手がガタガタとどんどん激しく振動していき、何か不吉なことが起ころうとしていることを予感させる。
私は焦りを感じながらも、辛抱強くAIの言葉を待つ。
「…………あナtttにハ、わたssの後トう部かbaaaarrrヲ外シィィ、早きゅうウウウウに記憶ばいばばばい体を回syuuuuuuしttttダサiiii。猶yyyがガガガガガありマセン。オ願イしまままままmmmmmmmガガガガガガピー!」
ビクンビクンとほまれの体が跳ねる。ほまれの目は左右で違う方向を向いたまま止まり、体の至るところからバチバチとショートする音が聞こえる。そして、頭の後ろからは白煙がもうもうと立ち上っていた。
次の瞬間、ガシャコン! と後頭部が勢いよく上に開いた。どうやら後頭部は車のバックドアのように開くようになっていたようだ。その勢いで、ほまれの頭は左前に倒れ、前傾姿勢になる。
私は立ち上がると、ほまれの右側に回る。
「ゲホゲホッ……臭いが……スゴい」
何かが焦げるような凄まじい悪臭がする。それに、煙に有毒成分が含まれているのか、目がものすごくチクチクして、涙が溢れてくる。そんな中、ほまれの頭の中から何かが飛び出ているのがかすかに見えた。私はそれを掴むと、思いきり引き抜く。
「じじじじんkkkkkkkkkエrrrrrーせイjjjjjjjう?なsyyyy&#でki+セ&‼︎」
AIはもはや理解不能な言葉を発する。怖くなって後ずさった次の瞬間、ボン! という小さな爆発音とともに、後頭部のハッチと中の部品が飛び散った。
「…………ガガ……ビぃ……pkj%$……」
ほまれはそれきり何も言わなくなった。体から力が抜けて、ダランとその身を地球の重力がはたらくままにしていた。
「これは……」
私はほまれの頭から抜いたものを見る。何も書いていない細長いスティックだ。確かAIは記憶媒体と言っていた。この中に、ほまれの人格データや記憶データが入っている……ということかしら?
すると、誰かが走ってくる足音。パッと顔を上げると、トラックの陰から誰かが飛び出してきた。
「あっ、いた! って、みなとさん⁉︎」
「みやびちゃん……」
登場したのはみやびちゃんだった。みやびちゃんはほまれの体の開発者だから、ほまれに何かがあったことを知って、家から走って駆けつけてきたのだろう。
「ちょっとすみません、お兄ちゃんを確認するので」
そう言って、みやびちゃんはほまれの目の前でしゃがむ。しばらくいろんな角度から眺めていると、またトラックの陰から誰かが現れた。
「師匠、待ってください……!」
そこに現れたのは、メガネをかけた私と同い年くらいの女子。どこかで見たことがあるような顔ね……。
そう思っていると、向こうが私を見てビックリする。
「え、なななななんで古川さんがここに⁉︎」
「お兄ちゃんの彼女だからだよ。今日お兄ちゃんを家に呼んでたから」
「な、なるほど……あ、G組の鳴門です。ロボ研でししょ……みやびさんの助手です」
「ど、どうも」
思い出した。ロボ狂で有名な鳴門さんだ。いつの間にかみやびちゃんに弟子入りしていたらしい。
「それで、ほまれさんの様子は……?」
鳴門さんがみやびちゃんに尋ねる。しかし、みやびちゃんは首を振った。
「残念だけど、手遅れかな。電子頭脳がショートして爆発した形跡があるから、人格データや記憶データの回収はダメだと思った方がいいかな」
「そんな……」
「あ、あの、二人とも」
残念がる二人に、私は口を挟まずにいられなかった。二人の視線がこちらに注目する。
そして、私は先ほどほまれから回収したスティックを見せた。
その瞬間、みやびちゃんの目の色が変わった。
「お兄ちゃんのパーソナルデータメモリー! どうしてみなとさんが⁉︎」
「さっき回収するようにAIに言われて回収したんだけど……」
「ありがとうございます! お手柄ですよ! いや、本当に! もうダメかと思いましたもん!」
みやびちゃんは私の手を包んでぴょんぴょんと跳ねる。
「これ、お兄ちゃんのパーソナルデータが入っているんです。もし体がダメになっても、これさえあればお兄ちゃんの意識は完全に復活できます! みなとさんが回収してくれて本当によかった……! お兄ちゃんの命の恩人ですよ!」
ただ指示に従っただけだけど、私はどうやらほまれの窮地を救ったらしい。
そして、みやびちゃんは鳴門さんに指示を出す。
「よし、じゃあひびきちゃん、警察と救急に連絡ね! あとは研究所に連絡して、処置の準備をすぐに始めるように伝えて! 一日前倒しで今日やるって!」
「わかりました!」
「みなとさん、これ、貰いますね」
「え、ええ……その、みやびちゃん」
「何ですか?」
「ほまれは、どうなるの?」
「本当は明日戻すつもりだったんですけど、今日元の体に戻す手術をします。安心してください、このメモリーがあれば、絶対に元どおりになります!」
それから、私たちは警察が来るまでにトラックの運転手を救助した。幸いにも意識を失っているだけで、大きな怪我は負っていないようだった。
警察が来た後、私は第一発見者として、警察署で事情聴取を受けることになった。一方、みやびちゃんと鳴門さんは、登山の時にも見た黒色のバンに乗って研究所へ向かった。
私は警察署に向かうパトカーの中で、ただほまれの無事を祈っていた。