同日午後、俺はメイド喫茶にいた。
平日の午後だからか客は一人もおらず、開店休業状態だった。
俺がモップの柄に手を置いて休憩していると、テーブルを拭き終わった飯山が話しかけてきた。
「それにしても、ほまれちゃんがここに来るのも今日で終わりか〜」
「うん、そうだね」
「寂しくなるなぁ〜」
今日を除けば、体が戻る日までメイド喫茶のシフトが入っている日はない。もちろん、ここで働けているのは、こんな可愛い見た目の女性型アンドロイドだからであり、元の男子高校生の体に戻ったら働くことは不可能になる。女装して働くわけにもいかないし、部活とは違って、この場所で働くのは今日が本当に最後だった。
すると、店長さんも手が空いたのか、キッチンから話に加わる。
「突然体が戻ると聞いて、本当に驚いたぞ、ほまれ」
「あはは……すみません」
みやびがそれを発表したのは、体が戻る日がかなり近くなったタイミングだった。つまり、発表されてから体が戻るまで、あまり時間の猶予がなかったのだ。そのため、こうして各所各所に突然発表する形になってしまった。
「……それにしても、ほまれが抜けるのは結構痛いな」
「そうですか?」
「もちろんだ。ウチのナンバーツーなんだぞ? ほまれ目当てで来る客も結構いるからなぁ……」
店長さんははぁ……とため息をつく。
「ほまれの開発元の人に頼んで、ほまれが元の体に戻った後、代わりにその体にAIか何かを積んでウチで働いてもらいたいところだ」
「あはは……」
みやびに言えば、『できるよー』とか言って本当にやってしまいそうだ。
店長さんがそう思うくらい、いつの間にかメイド喫茶での俺の存在は大きくなっていたようだ。
思えば、メイド喫茶で働くことになったのは、完全に成り行きだった。最初に父さんと母さんが旅行先で生活費が振り込めない! となったのがすべての始まりだった。それを解消するため、俺が生活費を稼ぐためにバイトをすることになった。そしてバイト先を飯山に相談したところ、週払いのここを紹介された。しかも、以前みなとの誕生日のためにメイドのコスプレをした写真が店長さんに見せられていて、それが採用の決め手となった。そのメイドコスはみなととデートした時に強引に押し付けられたものだ。
このうちのどれか一つでも欠けていたら、今ここで働いている俺はいなかっただろう。本当に偶然が重なった結果だった。
そんなふうに思い返していると、カランコロンとドアベルが鳴る。お客さんが来店したようだ。俺たちは一瞬で仕事モードに切り替える。俺は早速接客するため入り口に急いだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様☆ 一名でよろし……」
そして、そのお客さんの顔を見た瞬間、俺は思わず言葉を失ってしまった。
「おー、偶然だな、天野」
「せ、先生……」
俺の目の前に立っていたのは、斎藤先生だった。まさか学校以外の場でこの人に会うとは、まったく予想もしていなかった。
学校ではワイシャツ姿しか見たことない。しかし、今は普通の私服を着ている。その姿が俺にとっては新鮮だった。
もしかして、俺を怒りにきたのか⁉︎ 高校生がメイドカフェで働いているなんて、世間一般にはあまり肯定的には受け止められないだろう。ましてや、担任の先生ともなれば、自分の教え子がメイド喫茶で働いていることを知ったら、けしからん! と思うかもしれない。
いや、待てよ。そもそも俺はバイトをするにあたってきちんと学校から許可を貰っている。その件は先生も知っているはずだ。それに、バイト先も学校へ書類を送っているはずだから、俺がメイド喫茶で働いていることを、先生は俺が働き始めた七月から知っているはずだ。今更俺を咎めにくるなんて考えにくい。
じゃあ先生はいったい何をしに来たんだ……?
「そんな怖がらんでいいぞ。安心しろ、今の私はただの客だ。学校とは何も関係ないし、お前らを指導しに来たわけじゃない」
「そ、そうですか……」
俺は小さく咳払いをすると、改めて案内を再開する。
「一名様でよろしいですか☆」
「そうだ」
「それではご案内しますね☆」
先生を席に案内すると、メニューを手渡す。
「メニューでございます☆」
「どうも……なんだか、教え子に接客されると変な気分になるな。それに、天野がこんなキャピキャピの声を出しているところを見ると、ちょっと面白い」
「今は『ほまれ』と呼んでください☆」
「ああ、すまん、ほまれ」
「先生〜!」
すると、飯山が駆け寄ってきた。
「おっ、飯や……ひなたか。今日入っていたんだな」
「そうですよ〜! 先生が来てくれるなんて、わたし嬉しいですっ!」
「やっぱりお前は学校と変わらないな」
「いつも自然体ですよ〜」
先生はメニューをパラパラめくると、一つのページでその手を止めた。そして、メニューを指差す。
「では、このオムライスを一つ頼む」
「かしこまりました☆」
「あとお冷だな。それと、手が空いていたらでいいんだが、店長を呼んできてくれないか?」
先生は唐突にそんなことを言う。もしかして、俺たちじゃなくて店長さんに用があったのか?
「は〜い、今呼んできますね〜。ほまれちゃんはお冷をよろしく〜」
すると、すぐに飯山がカウンターの方へ店長さんを呼びに向かった。そして、店長さんがこちらに顔を出す。
次の瞬間、店長さんが驚きの表情を浮かべた。そして、その口から予想だにしない言葉が漏れる。
「姉貴……」
「よう、元気そうだな」
一方の先生はニヤリと笑う。
俺は二人の間で視線を往復させる。店長さんが先生を姉貴と呼んだ……? つまりそれって……。
「あ、あの、店長さん……」
「そういえばほまれは知らないんだったな……。私の双子の姉のゆうりだ」
「で、こっちが私の双子の妹のしずり」
「私たちは二卵性の双子なんだ」
「ええええええ!」
マジか……。知らなかった。
でも、双子と言われてみれば、確かに二人は似ている気がする。話し方がそっくりだし、雰囲気も似ている。顔も言われてみれば似ている。二卵性だから、瓜二つというわけではないが。
「なんだ、話していなかったのかしずり」
「別に話す必要がなかったし、聞かれなかったから……というか姉貴は何しにきたんだよ」
「様子を見にきただけだ。いいだろ、妹が仕切る店を見にくるくらい。それに、私の可愛い生徒をいじめていないか心配でな」
「高校生をいじめるわけないだろ……二人とも私の店の大事な戦力だ。というか姉貴こそ学校でいじめていないだろうな?」
「いじめているわけないだろ。な、二人とも?」
「先生にも店長さんにもたいへんお世話になっております☆」
「ほまれちゃんと同じです〜」
他にお客さんが来る気配がなかったため、先生と店長さんは二人で話し始める。
俺はお冷をそっとテーブルの上に置くと、邪魔をしないようにその場から静かに離れた。
「そういえば、ひなたはこのこと知ってたの?」
「うん、知ってたよ」
「マジで?」
「だって、店長さんと先生の顔、そっくりじゃん。名字も同じだし、名前も似ているから、店長さんにきょうだいはいらっしゃるんですか〜? って聞いたら教えてくれたよ〜」
「そ、そうか……」
飯山は、過去にみなとに披露したような特殊な顔判別スキルを持っていたからこそ、このことに気づいたのだろう。俺は半年間勤務したのにまったく気づかなかったけどな……。
先生は、店長さんと二人で話をした後、オムライスを食べて、俺たちにと店長さんと一緒にチェキを撮って帰った。
そして、ついに閉店の時間になった。店内の清掃を終えると、俺はスタッフルームへ引き上げる。その後、ミーティングが始まった。
「さて、事前に知らせたとおり、実は今日でほまれが引退する。それでは、ほまれから一言」
「皆さん、約半年という短い時間でしたが、本当にお世話になりました! 一生の思い出です! ありがとうございました!」
周囲から拍手が湧く。学校とは違い、この場で俺がアンドロイドだと知っているのは店長さんと飯山だけ。そのため、ここでは単に事情があってバイトを辞める程度の話しかしなかった。
「それでは、今日のミーティングは終わり! お疲れさま」
そして解散。俺はロッカールームで着替えると、誰もいなくなった部屋を感慨深く見回す。すると、店長さんがやってきた。
「今までお疲れさま、ほまれ。今日までの給料だ」
「ありがとうございます」
俺は封筒を受け取ると鞄にしまう。すると、店長さんが言葉を続けた。
「体が元に戻ったら、一度顔を出しに来いよ。今度は客としてな」
「……わかりました!」
俺に、リハビリを頑張る理由が一つできたのだった。