球技大会が終わってから最初の週末。俺はみやびと一緒に研究所にいた。
「よし、これでメンテナンスは終わり」
「ありがとう」
意識が回復した俺はベッドから起き上がる。みやびは俺のへそからケーブルを抜くと、ぐるぐると巻き取って鞄にしまう。
今日はメンテナンスをしに来ていた。目的は、マラソン大会のために改造した排気機構を元に戻すためだった。みやび曰く、もともと臨時でつけただけで、長く運用することは想定していないらしい。とにかく、これでお尻の穴から熱々の排気を出すことはなくなった。
そういえば、最近はかなりメンテナンスが多いような気がする。去年は三ヶ月に二回とかだったが、今年に入ってからはまだ二ヶ月半しか経っていないのに、ここに来るのはもう五回目だ。それだけこの体を酷使しているということだろうか。
「そうそうお兄ちゃん、実はとってもいいニュースがあります」
「え、何?」
そんなことを考えていると、みやびがちょっと嬉しそうに俺に話しかけてくる。
「実は……お兄ちゃんは人間に戻れることになりました!」
「うん…………ってえええええええ!」
言われて数秒経って、俺はようやくみやびの発言の意味を理解した。
「人間に戻れるって、この体から人間に戻れるってこと⁉︎」
「思いっきりトートロジーだね。ま、そういうことだよ」
「マジか……」
俺は自分の体を見つめる。最初は慣れなかったものの、時間をかけてようやく自分だと認識できるようになった。そこから元の平凡な男子高校生の肉体へ、ついに俺は戻れることになったらしい。
「それにしても、どうしてそんな急に……?」
「うーん、いろいろ理由はあるけど、一番はお兄ちゃんの体が十分回復したからかな」
「そうなのか」
「うん。傷を治すために眠らせているんだけど、大きな傷はあらかた塞がったし、容体は安定しているらしいよ。だいぶ時間がかかったけど、もう目覚めても問題ないんだって」
「そうか……」
去年の四月、俺はトラックに轢かれてしまった。その時にものすごい重傷を負ったらしく、みやびからグロいと言われた覚えがある。
「他にも理由があるの?」
「うん。アンドロイドの研究として、この一年間お兄ちゃんのデータを収集・解析していたんだけど、もう十分過ぎるほどデータが集まったからね」
俺がこの体になってからもう丸一年が経過しようとしている。それだけこの体を連続で運用し続けていたら、確かに大量のデータが集まるだろう。
「歩行時や走行時のデータもたくさん集まったし、物を掴んだり離したりするときのデータも集まったし……あとはAIの運用データとか、故障時のデータとか……」
みやびはニコニコしながら俺の体からどんなデータを得られたか列挙していく。本当に俺の生活のほとんどがみやびの研究対象だったんだな……。
「ま、お兄ちゃんには感謝してるよ。これで研究がかなり進みそう!」
「そ、それはよかった……」
「それにしても、あんまり嬉しくなさそうだね。せっかく元の体に戻れるんだから、もっと喜ぶかと思ったんだけど」
「ああ、うん……もちろん嬉しいんだけど、それ以上に衝撃的というか、実感がないというか……」
この体で過ごした時間が長すぎて、最近はもう一生この体で過ごすことになるかも……とさえ思い始めていた。そうでなくても、あと二、三年はこのままかなと思っていた。そんな時に元の体に戻れる! と言われても今更? という感じが強い。これが事故後二、三ヶ月とかだったらまた違っただろうけど。
「じゃあ、このままの体でいる? 私としてはそれでもいいけど」
「それは嫌だ。元の体に戻りたい」
この体とは短くない付き合いだ。そのため、短所だけではなく長所もよく知っている。だから、元の体に今すぐにでも戻りたいとは思えなくなっているのだろう。
人間の体に戻ったら、目線も体の動かし方も違うし、お腹も空くしトイレにも行かなければならない。気温・湿度・気圧は機器を見なければわからないし、脳内で念じても電話は繋がらない。きっといろんなことに戸惑うだろうし、不便だとさえ思うかもしれない。
それでも、俺は元の体に戻りたい。今の俺は、普通の人間からは『外れている』状態なのだ。もしかしたら、それはいいことなのかもしれない。しかし、人生経験が浅くまだまだ子供な俺は、『外れている』状態が怖い。なんだかんだ、俺は『人間に戻りたい』と願っているのだ。
ただ、それはこの体が悪かったというわけではない。もちろん、この体になって嫌な思いをしたことがないとは言わない。長距離を走れなくなったし、電池切れで何度も意識を失ったし、果てはこの体に搭載されている技術を狙ったスパイや犯罪組織にまで出くわした。
その一方で、この体のおかげで得るものもたくさんあった。飯山、檜山、越智など、これまであまり関わってこなかった女子と友達になれたし、彼女らといろんな場所に出かけていろんな体験ができた。それに、メイド喫茶で働くという貴重な経験もできた。
これらはすべて俺の一部で、俺を構成している要素だ。それでもやっぱり、俺は人間に戻ることを選択する。体がたとえアンドロイドになったとしても、俺は『人間』なのだ。
「……そうだよね。お兄ちゃんならそう言うと思った」
「ところで、元に戻るのはいつ頃になるの?」
「一応、この日を予定しているよ」
みやびが示したのは、春休みの真ん中の一日だった。
「もちろん、戻ったからといってすぐに動けるようにはならないからね。普通の生活が送れるようになるまでリハビリが必要だから、それなりの期間学校を休むことになるよ」
「わかった……」
「じゃあ、今日は帰ろうか、お兄ちゃん」
「……うん」
ついに、元の体に戻るのか……。俺はいまだに夢を見ているような気分のまま、帰宅するのだった。