受験休み明けの次の日、いきなりマラソン大会があった。
そのため、受験生である三年生以外の、マラソン大会に参加する生徒は、学校に登校するのではなく、直接会場に向かうことになっていた。
というわけで、俺はサーシャと一緒に、会場の最寄り駅に来ていた。
周りを見ると、俺たちと同じ柄のジャージを着ている少年少女が多数歩いていた。俺たちは彼らと同じ方向に進んでいく。
改札を出て真正面に、会場の国営公園があった。市街地のど真ん中に広がっているこの公園には、広大な原っぱやサイクリングコース、プールや子供が喜びそうなドーム型遊具などがある。
しかし、今日は遊びに来たのではない。あくまでも体育の授業の一環で来ている。
「チケットは持ってる?」
「もちろんデス!」
俺たちは事前に学校で配られた入場券を係員に見せて、園内に入る。そして、人の流れに従って集合場所である原っぱに向かう。
この公園は遊ぶのにうってつけだが、マラソン大会としてもよく使われる。有名な駅伝大会の予選もここで行われるし、俺たちだけではなく他の高校のマラソン大会の会場としても使われるらしい。
「今日は晴れてよかったデスね」
「そうだね」
しばらく歩くと原っぱが見えてきた。すでにたくさんの生徒が集まっている。
俺たちが到着した瞬間、先生がメガホンを片手に集合をかける。生徒はゆっくりと集合して整列した。
『あー、あー。それではただいまより、第七十五回、マラソン大会を始めます』
前に先生が立ち、説明が始まる。注意事項などがいろいろ話された後、スタートの時間まで各自でウォーミングアップをするように言われて、いったん解散となった。
俺は立ち上がると、辺りを見回す。俺にはスタートの前にやらなければならないことがあるのだ。スタートまであと十分。あまり時間がないのでちょっと焦っていた。
目的の人を探して歩き回っていると、後ろから声をかけられる。
「おう、ほまれ」
「あ、佐田」
振り返ると、そこにはウォーミングアップ中の佐田がいた。
「調子はどう?」
「上々だ。今回こそは優勝を目指すぜ!」
「おう、頑張って!」
佐田はバスケ部だが、足が速い。短距離も長距離も速いのだ。もはや陸上部に入った方がいいんじゃないかとさえ思えてくる。去年のマラソン大会でも、佐田は一年生の中で上位十位以内に入っていた。
しかし、佐田はそれで満足するような男ではない。今回は大きく目標を上げて、優勝を目指すようだ。
俺は再び人探しに戻る。
次に目に入ったのは、越智だった。彼女は入念にウォーミングアップを行っている。明らかにガチだ。
陸上部にとって、マラソン大会は自分たちが活躍できる絶好の場所だ。越智もこの好機を逃したくないのだろう。
しかし、残念ながら彼女は俺が探している人ではない。なかなか目的の人を見つけられずに焦っていると、右からその人の声が聞こえた。
「天野ほまれさん……! こっちです……!」
俺の名前を呼ぶ声が微かに聞こえる。そちらを向くと、遠くに俺に手を振っている人が見えた。俺はダッシュでそちらへ向かう。
「ごめん、見つけるのに時間かかった、鳴門」
「いえいえ! とんでもない!」
俺の目の前でブンブンと鳴門が手を振る。俺が探していたのは、二年G組のロボ研部員であるロボ狂の鳴門ひびき、まさにこの人だった。
「と、とりあえず、時間がないのでこちらに……!」
「わかった」
俺たちは鳴門を先頭に、公衆トイレへ向かう。そして、多目的トイレの個室に入った。
彼女は背負っていた大きなリュックを下ろす。ドスンと重そうな音が響いた。この中に、今回のマラソンのための重要アイテムが入っているのだ。
「とりあえず、おへそを……」
「わかった」
俺はジャージを脱ぐと、体操服をめくってへそを出す。そこに、鳴門はリュックから取り出したケーブルを繋ぐ。そして、ケーブルのもう片方を彼女の手の中のスマホに繋いだ。
「それでは、いったん電源を切ります……!」
次の瞬間、俺はシャットダウンした。
※
目を覚ます。意識がはっきりする。俺は無事に起動した。
「……ほまれさん、大丈夫ですか?」
「ああ、うん。大丈夫」
こちらを心配そうに鳴門が見ている。念のため、体を自己診断するが、特に異常は見当たらない。どうやら大丈夫そうだ。
俺は自分の両腕を見る。そして、手をグーパーグーパーと開いたり閉じたりする。動作は正常だ。しかし、シャットダウンする前とは明らかに腕の軽さが違う。
鳴門が俺を人目のつかない多目的トイレの個室に連れ込んで行ったのは、腕の交換だった。
今俺の体に接続しているのは、以前みやびに作ってもらったマラソン大会用の腕だ。実は、当日のスタート直前に、みやびの弟子である鳴門につけてもらうように事前に打ち合わせていたのだ。
そして、それは無事に完了した。それに、もう一つの秘策も、前日のメンテナンスですでに搭載し、調整済みだ。これで準備万端だ。あとはマラソン大会を走りきるのみ!
「とりあえず急ぎましょう! スタートまであと二分もないです」
「わかった、ありがとう鳴門」
俺たちは多目的トイレから出る。俺がスタート地点へ向かって駆け出す一方で、鳴門はのんびり歩いていた。
「鳴門、急がなきゃ!」
「あ、私は今回走らないので……受付にいます」
「そうなのか」
当日、病気や怪我以外の理由で走れない人は、受付をすることになっている。鳴門はそのうちの一人のようだ。
「と、とにかく! マラソン中は、絶対に無理をしないでくださいね……!」
「わかった!」
俺はそのことを肝に銘じて、スタート地点まで急いだ。
スタート地点といっても、立派な門などがあるわけではない。原っぱの中にコースを示すロープが張られていて、目印となるテープが地面を横断しているだけだ。そこに一年生と二年生、合わせて約六百人が集中するのでたいへん混雑していた。
ということで、スタート時刻ギリギリに辿り着いた俺は、スタートラインのはるか後方に陣取ることになった。
まあ、走るのが遅いから、この方が他の人の邪魔にならずにいいんだけど……。
そんなことを思っていると、近くに見知った顔を発見する。
「飯山!」
「ほまれちゃん……!」
俺は飯山の隣に移動する。彼女もマラソンは早く走れない方だ。だからこんな後ろにいるのだろう。
「ほまれちゃん、一緒に走りきろうね!」
「うん!」
すると、次の瞬間前方でパン! と空砲が聞こえる。それに遅れること二秒、人混みが一斉に前に動き始めた。俺たちも走り始める。
ついに、マラソン大会が始まった。