次の土曜日。俺たちは朝から出かける支度をしていた。
「ほらほら、二人とも早く行くよ!」
「はいはい、ちょっと待って」
「今行くデス〜」
玄関からみやびが急かす。俺とサーシャは上着を着て準備を整えると、みやびの方へ向かった。
「よし、それじゃあ餅つき大会にレッツゴー!」
準備が整ったところで、みやびは元気よく外に出ていく。俺たちは彼女を追って外に出た。
今日の目的地はみやびの通う中学校だ。俺の母校でもある。そこで行われるのは、地域の自治会が主催する餅つき大会だ。参加すれば文字どおり、餅をつく体験ができる。ただ、俺たちの目的はそれではなく、その先にあった。
餅つき体験というが、もちろん餅をつくだけで終わりではない。餅つきが終わった後、ついた餅が皆に配られるのだ。それに加えて、豚汁や甘酒も振る舞われる。俺たちの真の目的はそれらだった。いや、俺たちだけじゃなくて、参加する人たちのほとんどはそれらが目的だろう。
ただ、餅つきを体験した人しか餅や豚汁、甘酒は貰えない。そのため、俺たちは餅つきをしなければならなかった。働かざる者食うべからずとはまさにこのことか。
みやびを追いかけて、サーシャは家の前の道路を進んでいく。俺もすぐについていきたかったが、その前にいくつかやることがあった。
俺は玄関の鍵を閉める。そして、きちんと施錠したか確認する。そして、次に郵便物入れの中をチェック。年賀状はさすがにもう来ていないだろう。そう思って手を突っ込むと、指先に何かが触れた。
「ん……?」
掴んで引っ張り出したそれは、細長い封筒だった。宛先には両親の名前が印刷されていて、封筒の外見から推測するに、中には懸賞の賞品が入っているようだった。
ははぁ、また父さんと母さんは何かを当ててきたのか。まったく、旅行中だというのに、どんだけ懸賞に応募しているんだよ……。
ちなみに、父さんたちからは、旅行中に届いた懸賞の賞品は、有効期限が旅行の帰宅より早い場合であれば、みやびと俺とで勝手に使っていい、とのお達しが来ている。この様子だと賞品は商品券とか何かだろうな、と思いながら、俺は封筒を素早く開けると中身を確認した。
中には二枚のチケットが入っている。それを封筒から半分取り出して、表面の文字を読んでいると……。
「お兄ちゃん! 早くしないと置いてっちゃうよ〜!」
「ほまれ、早く来るデス!」
「ああ、ごめんごめん」
顔を上げると、みやびとサーシャはすでにかなり遠くまで行ってしまっていた。俺はチケットを封筒の中にしまい直すと、ポケットの中に入れる。俺はさっきの一瞬の間に、チケットの中身を把握し、そしてその使い道までも思いついた。ただ、今はそれは胸の中に秘めておき、俺は二人のところへ走り出した。
二人に追いつくと、早速サーシャが話しかけてくる。
「そういえば、ほまれはあれから大丈夫デスか?」
「ああ、うん。大丈夫だよ」
『あれ』とはもちろん、俺がトイレでぶっ倒れた時のことだ。あの後、きちんとみやびに修理してもらったし、実際もう一度トイレもしたけど、冷却液の漏れは発生しなかった。
「冷却液は持ってきた?」
「一応ね」
そして、このような事故を避けるべく、これからは冷却液として特殊な溶液を使うことになった。
ちなみに、もし中で漏れたとしても、電気伝導率がとても低いため漏電する可能性は水道水のときよりも低いらしい。それに、人に対する毒性もないため、間違って誰かが飲んでしまっても大丈夫……らしい。
しかし、これにはもちろん欠点がある。まず、今後俺はこれしか飲んではいけない、ということだ。間違って水道水など他の液体を飲んでしまうと、体内で冷却液の組成が変わってしまい、意図しない効果を発揮するリスクがあるからだ。そして、なにより大きいのが……。
「これ、とんでもなくマズいから飲みたくないんだよなぁ……」
「それはしょーがないよ」
味だ。恐ろしくマズい。人が飲むようなものではない。いくら無毒とはいえ、飲んだ人は全員毒だと思うだろう。俺も初めて飲んだ時、思わず吐き出してしまった。そのくらいマズい。
「というか、何も食べられないのに、なんで一丁前に味覚はあるんだよ……」
「一応あった方がいいかな〜って」
「なんだよそれ」
「必ずしも必要じゃないけど、お兄ちゃんが人間らしい生活をするためにつけた機能だよ。もともと冷却液に水道水を使ったのだって、その一環だからね?」
つまり、みやびが俺へわざわざ配慮してくれていた、ってことだったのか……。
「そのうち、甘い冷却液とか作るから勘弁して」
「……わかったよ」
俺たちのそんな話に、サーシャは興味津々だった。
「ほまれって、何も食べられないし、冷却水以外何も飲めないのに味覚あるデスか」
「うん。でも、すべての味覚が再現できているわけじゃないけどね。基本五味はなんとなくわかるかな、くらいだろうし、実際どうなのかはお兄ちゃんにしかわからないよ」
「……少なくとも、苦味はちゃんと機能していたと思うぞ」
じゃなかったらあんな味は感じない。
「じゃあ、嗅覚はどうデスか? においを感じる機能って、モノを食べられない以上あまり意味ない気がするデスが、それも備わってるデスか?」
「それはあるよ。味覚と同じく、完全再現はできていないんだけど、ある程度ならにおいを判別できると思うよ」
「みやびの言うとおりで、実際、料理を作るときとかに役に立ってるよ」
「そうなんデスね! 料理の味ってにおいとも関係していると聞いてるデスから、何も食べられない以上、嗅覚は無駄かと思ってたデス」
「口中香のことだね。もちろんそうだけど、においは重要だよ。例えば、物体が燃えるときに発生する嫌な臭いとか、感じ取れるようにした方がいいよね」
「なるほどデス」
二人がそこから専門的な話に没入しているのを背後に歩いていると、不意に食べ物の匂いがした。そして間もなく、フェンスに囲まれた開けた場所が見える。
「着いたな」
懐かしの我が母校だ。前回ここを訪れたのは、みやびの定期試験についていった時だったから、およそ八ヶ月ぶりくらいだろうか?
フェンス越しに見える校庭には、すでにそこそこの人が集まっていた。その近くからはいくつかの列が伸びていて、その先にはそれぞれ杵と臼。もうお餅をぺったんぺったんしているようだった。
その向こうには運動会で使われるような白いテントがいくつか立っていて、その下では何かが配られているようだった。おそらく、豚汁や甘酒が配られているのだろう。
すると、俺の横にサーシャがやってきて、目を輝かせながらフェンスをがっしりと掴んだ。
「おお、これが餅つきデスか! 楽しみデス!」
「ロシアには餅はないの?」
「ないデスよ! 餅は中華文化圏特有のものデス。よくSilent killerと呼ばれているデスが、どんなものかワクワクするデス!」
サーシャは手をバキポキと鳴らす。もしかして餅と戦うつもりなのか?
「とにかく二人とも、早く行くよ! なくなっちゃうから!」
みやびが早く早くと急かすので、俺たちは校門から中学校の敷地に入る。
すると、後ろから俺の名前を呼ぶ声がした。
「あら、ほまれじゃない」
「みなと⁉︎ 偶然だね……」
あまりにも聞き覚えのある声に振り向くと、そこに立っていたのはみなとだった。