「ああああああぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」
俺は思わず馬鹿デカい声を出してしまう。それくらい、俺の股間に走った痛みは強烈だった。
ただの痛みではない。正確に言えば、何かが触れる感覚を最大限に増幅した上で、ビリビリ感を持たせたような、とても不快で刺激的な感覚だった。
俺は思わず床に転げ落ちる。しかし、その感覚はまったく直らないどころか、むしろ酷くなっていく。股間以外にも両足の太ももや膝まで、どんどん広がっていく。
「お゛お゛あ゛あ゛い゛い゛い゛!」
もはやトイレをすることなど頭から飛んでいってしまった。俺は、この痛みをどうやったら抑えられるかすら考えることもできず、ただただこの痛みにのたうち回ることしかできない。
「お兄ちゃん、どうしたの⁉︎」
みやびの声が聞こえる。しかし、俺はその質問に答える余裕はなかった。
転げ回っていると、俺の体がトイレのドアにバンッ! とぶつかった。しかし、トイレのドアには鍵がかかっている。トイレに入る時、俺が内側からかけたのだ。これを解錠しないと外には出られないが、痛いところから手を離すことができない。そのため、外に出ることができなかった。
だが、頑張ればドアを無理やり壊して出られそうな気がした。痛みでどんどん頭が真っ白になりながらも、俺は体を転がしてドアにバンバンと当たっていく。
「ドア開けるよ!」
次の瞬間、ガチャリと鍵が開く音がした。みやびが開けてくれたのだと考える気力もなく、俺はすぐにドアにぶち当たった。すると、先ほどまでとは違い、ドアが素直に勢いよく開く。ぶつかった勢いのまま、俺は廊下を転げ回った。
ここで、痛いところがどんどん熱くなっていくのがわかった。腰から下、お腹、股関節、そして太もも……凄まじい痛みを感じるところが、熱を持っている。
そして、過剰な痛みの信号をさっきからずっと処理し続けているせいか、俺の頭部も相当な熱を持ち始めていた。頭がグルグルして、意識が揺らいでいく。
すると、ドタドタと足音がして、直後にサーシャの声が聞こえてきた。
「ほまれ⁉︎ 下半身丸出しでどうしたデスか⁉︎」
「わかんない! お兄ちゃん、話せる?」
意識が朦朧としてきた俺は、なんとか首を振る。
「サーシャ、お風呂ってお湯もう張っちゃった?」
「いえ、まだデス!」
「よし、じゃあ風呂桶に運ぶよ!」
「わかったデス!」
「お兄ちゃん、少しの間でいいから大人しくして!」
すると、みやびとサーシャが俺を持ち上げる。そして、風呂桶の中に少々手荒に移された。
相変わらず悶絶するような痛みが続いている。体が熱い。頭も熱い。意識が薄れていく……。
次の瞬間、再び俺の充電がゼロになったことが、脳内で知らされた。
「ああああ あ ああ あぁぁ ぁぁ ぁ ぁ 」
叫び声が急にトーンダウンするのを聞きながら、俺は再び意識を失ってしまったのだった。
※
「う……」
再び意識が元に戻る。視界いっぱいに無機質な天井が見えていた。この天井には見覚えがある。研究所でいつも俺がメンテナンスを受ける部屋の天井だ。
「あ、お兄ちゃん。おはよう」
「お、おはよう……みやび」
視界の外からみやびの声が聞こえる。声のした方向と大きさから推測するに、俺の右の方約三メートルに立っていると思われる。しかし、彼女の姿は見えなかった。
すぐに、俺は自分が意識を失う前に自分がどんな状態だったのかを思い出して、下半身に手をやろうとする。しかし、手が動かない。まるで神経が通っていないかのように、何も反応しなかった。
それに、俺は今寝かされている状態であるはずだが、背中の感覚がまったくない。普通に寝かされていたら、マットと触れていることやその反発具合が感じられるはずなのに、それがないのだ。
今、俺はいったいどういう状況に置かれているんだ? それをまず把握する必要がある。
「みやび、俺は今どうなっているんだ? 体が動かないんだけど……」
「ああ、うん。首から下の感覚切っているから」
「そ、そうなのか……」
どうりでさっきから奇妙な感じになっているわけだ。
「それに、お兄ちゃんのお腹から下も切り離してあるよ」
「な、つまり俺は今、上半身だけってことか⁉︎」
「うん。そういうこと」
「……はぁ」
俺はため息をつく。いったい、どうしてこんなことに……。
いや、原因はもう察している。記憶が途切れる前に感じた、股間まわり、太もも、膝の激痛。それを直すために、こうなっているのだろう。
「教えてくれ。俺の体に、いったい何が起こったんだ?」
俺はみやびに真相を尋ねる。数秒後、みやびの声が聞こえた。
「簡単に説明すると、冷却水が漏れたんだ」
「……ん? 冷却水は出なかったと思うんだけど……俺が電池切れになってから漏れたってこと?」
「ううん、そうじゃなくて……」
えーっとね、とみやびは言葉を探すように間を空ける。
「排出口から漏れたんじゃなくて、冷却水を貯めるタンクと排出口を繋ぐチューブが破損して、そこから漏れたんだよ」
「……つまり、外に漏らしたんじゃなくて、体の中に漏らしたってこと?」
「そそ、そういうこと」
うわ、何それえげつない……。
そして今の説明で、あの時俺の体の中で何が起こっていたのか、だいたい俺は理解できた。
「ということは、漏れ出した冷却水が俺の体の中の機械に直接かかって、大変なことになったのか」
「そのとおり! いやー、大変だった。もしあのまま電池切れにならなければ、被害はもっと大きかっただろうね……」
「俺のお腹から下が切り離されている、っていうのも……」
「うん。冷却水がかかってダメになったから、今交換している最中」
なるほど……。痛く熱くなった時点でかなりヤバい状況だと思っていたが、ここまでになっていたとは、完全に予想以上だった。
だが、こうなるに至った原因は何だろうか? 今までこんなことはまったく起こらなかったのに、どうして今回の事故は起こってしまったのか? それと、排出をする時に踏ん張っても冷却水が出てこなかったこととは、どのように関係しているのか?
「原因はわかってるの?」
「うん。まあ、ちゃんと調べてからじゃないと断定できないけど、たぶん冷却水が凍ったからだと思う」
「凍った? それがどういうふうにチューブの破裂に……あぁ、そうか」
「うん。もうわかったと思うけど、チューブの中で冷却水が凍っちゃったんだよ。その状態で無理やり排出しようとしたから、チューブが傷ついて、そこから漏れちゃったんだと思う」
トイレに座ってもなかなか出なかったのは、機械の不調でもなんでもなく、ただ凍った冷却水が邪魔をしていたからだったのか。
「そして、冷却水が凍ったのはお兄ちゃんが外で電池切れで倒れていたからだと思う。あんな環境の中で三十分も倒れていたら、そりゃお兄ちゃんの体も冷えちゃうよね。冷却水が凍ってもおかしくない」
「確かに」
「……今回の事態は完全に想定外だったよ。冷却装置に使う媒質を水にした時、一応凍る可能性も考えたんだけど、お兄ちゃんが常時稼働していれば問題なかったし、水が凍るほどの低温環境で電源が切れたまま何十分も放置されるなんてありえないと思ってた」
見通しが甘かったな〜、とみやびはぼやく。
俺は今の日付と時刻を確認する。意識を失った次の日の昼だった。せっかく学校に行けたと思ったのに、また休むことになってしまった。
もちろん、直してもらったことにはとても感謝している。だが、俺は一刻も早く普通の学校生活に戻りたい。もう非日常はこりごりなのだ。
「……俺はいつ元に戻れる?」
「今日中には替えのパーツを接続して、元に戻す予定だよ。だから学校は明日からかな」
「わかった……。で、今後水の補給はどうするの? これから体育では持久走が控えているから、水の補給が禁止されると……」
水の補給が禁止されると、オーバーヒートしてしまうので、持久走やマラソン大会が走れなくなるのはほぼ確実だろう。それを避けるために水を補給して参加すると、大量の電力を消費するため電池切れでまた今回のような事態が起こるかもしれない。ジレンマに陥りそうなものだが……。
「それは大丈夫。ちゃんと対策を考えたから」
すると、ようやくみやびが視界に入ってきた。彼女の右手には、マラソン大会の補給所に並んでいるような給水ボトルを手に持っていた。その中には、透明な液体がほぼ満タンに入っている。
「それは何?」
「冷却液」
「ただの水じゃないの?」
「ただの水じゃないよ。今までは水道水でOKだったけど、これは純水にいろんなものが溶け込んでいる……まあ、簡単に言えば水溶液ってこと。純水に適切な溶質を溶かすことで、凝固点降下を起こして凍結自体を防いであげよう! ってこと」
「なるほど……」
高校化学で習ったやつだ。たとえば、飽和食塩水の場合はこの効果によってマイナス二十二度まで凍らない、と習った覚えがある。
「ちなみに何度までなら凍らないの?」
「うーん、だいたいマイナス十五度くらいかな。真冬の東北とか北海道とか、あとは大型冷凍庫の中に放置されたりとかしない限り大丈夫だと思うよ!」
「そ、そうか」
俺が住んでいる市の観測史上最低気温はマイナス九度だ。これならみやびの言うとおり大丈夫だろう。
「試しに飲んでみる?」
「……いいの?」
「うん」
「でも、今飲んで大丈夫なのか? ほら、お腹から下が今ないんだろ? もし飲んだら、これが断面から漏れるんじゃないか?」
「大丈夫! 一時的に回収タンクをつけてあるから! 安心して飲んで!」
「わ、わかった」
俺はみやびが差し出された給水ボトルのストローを口に咥える。そして、ちゅーと中身を吸った。
次の瞬間、反射的に俺はそれを吐いてしまった。
「う゛お゛え゛っ‼︎ ま゛ずっ‼︎」