「みやび、助けてくれデス!」
ワタシはそう叫びながら、倉庫の裏口へとダッシュする。しかし、振り向くとすぐそこまでほまれが迫ってきていた。いっさい瞬きをすることも、表情もまったく変えることもなくこちらへ走ってくる姿は、さながらジャパニーズホラー映画に出てくる悪霊のようだった。
ここでワタシのお腹が再度痛み出す。男に撃たれたところだ。本来なら安静にするべきだったが、動き回ってしまったせいで血が巡ってきた。しかし、ここで立ち止まったらやられてしまう。
『サーシャ⁉︎ 何があったの⁉︎』
「ターゲット認識……こうgggggggきを開始しmmmmmす」
「はぁ……はぁ……ほまれが……ワタシを……はぁはぁ……襲ってくる…………デス!」
少しでも減速したらその瞬間捕まってしまう。ワタシは息を切らして、みやびにそう伝えるのがせいいっぱいだった。
ここで、ようやくワタシは裏口へ辿り着く。運がいいことに、このドアは外開きだ。ワタシはドアノブに手をつくと、そのままの勢いでそれを捻り、体当たりをするかのようにドアを勢いよく開く。少しでも減速しないよう、極限まで動作の無駄を省く。
そして自分が出た瞬間、今度はドアの外側に手をやって、勢いよくドアを閉める。
閉まりかけたドアの向こうでズガン! と凄まじい音が響く。直後、ドアは爆発するんじゃないかと思えるほどの勢いで再び開き、そこからバランスを崩しながらほまれが現れた。ほまれはそのまま地面の上に倒れそうになってたたらを踏む。その隙に、ワタシは加速してほまれとの距離をとった。
ようやく余裕ができたところで、ワタシはみやびにさらに詳しい説明をする。
「ほまれの様子が変デス! 以前ワタシを襲ってきたときみたいになってるデス!」
『なるほど。もしかして、お兄ちゃんパソコンか何かに繋がれてた?』
「そうデス! おへそから何かとケーブルで繋がれていたみたいデス!」
振り向くと、ほまれが体勢を立て直して辺りを見回しているところだった。そして、こちらと目が合うと、再び走り出してきた。ワタシは再度鬼ごっこの逃げる側になる。
『……チッ、パソコンでの操作を受け付けないなぁ。厄介なことになった』
「どういうことデスか⁉︎」
『お兄ちゃんはたぶん、ハッキングされているんだと思う。敵に、ウイルスを流されたっぽくて、こちらの遠隔操作を受け付けないんだよ。自己防衛モードが暴走してるね』
「じゃあ、どうすればいいデス⁉︎ ほまれと戦って勝てばいいデスか⁉︎」
『……できる?』
「無理デス!」
『だろうね』
ワタシはその言いぐさにちょっと腹が立った。けど、ほまれに勝つ自信がなかったので何も言い返せない。実際、この前戦った時は、ほとんど手も足も出なかった。
「では、どうすればいいデスか!」
かといって、それ以外に方法があるとは思えなかった。ほまれと直接戦おうとするのならすぐにやられてしまうし、かといって遠隔で止めることもできない。
しかし、みやびはとんでもない発言をする。
『そうだね……遠隔で止められないのなら、やっぱり直接止めるしかないと思う』
「だから、それは……無理デスって!」
『でも、それしか方法はないよ! 遠隔で止められないのだから、お兄ちゃんを手動で止めるしかない!』
「じゃあどうやって⁉︎」
『どうにかして、お兄ちゃんを足止めする。一瞬でもいい。その隙に私がお兄ちゃんを直接強制停止させる』
「はぁ⁉︎」
その案に、ワタシは素っ頓狂な叫び声をあげてしまった。
「ワタシでさえ止めるのは無理デス! ましてやみやびを援護しながらはもっと無理デス!」
『……サーシャ、ここは、無理でもやらないといけないんだよ!』
「でも……!」
『もし失敗して、お兄ちゃんが暴走したまま壊れちゃったら、サーシャはシベリア送りになっちゃうよ?』
最悪な想像が頭の中をよぎり、ワタシの足が一瞬すくむ。その隙を逃すまいと、ほまれが攻撃を仕掛けてきた。
「ひっ!」
ワタシは間一髪で交わす。ほまれはたたらを踏んだ。
「サーシャ!」
次の瞬間、後ろの方からワタシの名前を呼ぶ声がした。振り向くとそこにはみやびの姿。物陰から堂々と姿を現し、何かを手に持っている。
危ないじゃないデスか! と声に出しかけた瞬間、みやびはえいやっ! と手に持ったそれをこちらに放り投げてきた。
ゴチンと地面にぶつかり、ゴロゴロとこちらに転がってきたのは、大きな赤い消化器だった。すでに黄色い安全ピンは抜いてあった。
即座にワタシはみやびの意図を理解した。すぐにホースを持つと、迫りくるほまれの方にその先端を向ける。そして、黒いレバーを渾身の力を込めて握った。
次の瞬間、ブシャー‼︎ と凄まじい勢いで白煙が噴き出す。薄れゆく煙の中で、ほまれの動きがどんどん減速するのが見えた。狙いどおり、煙で視覚センサーの動きを阻害できたようだ。この作戦はほまれの視覚センサーの性能への賭けだったが、それにワタシは勝ったのだ。
しかし、ここでほまれを薙ぎ倒そうとしても、ワタシではアンドロイドであるほまれの人間離れした力には勝てないだろうし、それに、ワタシを見失ったらターゲットがみやびに映るかもしれない。
かといって、いい案が思いつかなかったワタシは、とりあえず何か思いつきそうな場所へほまれを誘導することにした。
「こっちデス! ほまれ!」
煙が晴れた後、ワタシを見失って辺りを見回すほまれに、ワタシは離れたところから声をかける。そして、こちらに振り向いたのを確認した直後、ワタシはダッシュして倉庫の中に戻っていった。
狙いどおり、足音がこちらを追ってきているのが聞こえる。
『サーシャ、何か思いついたの⁉︎』
「これから何か思いつくために、倉庫に入るデス!」
ワタシの目当ては、倉庫の中に保管されている大量の物資だった。もしかしたらほまれを確保するのに役に立つものがあるかもしれない。そうでなくとも、何かいい考えが思いつくかもしれない。
ワタシは走りながら周囲の棚に素早く目を走らせる。いろんなものが目に入るが、どれもあまり役に立たなさそうだ。あれこれ考えてから、ふと後ろを見るとほまれがすぐそこまで迫ってきていた。
「ひぃ!」
ワタシはさらに足の回転スピードを上げる。しかし、限界まで酷使した体はもうボロボロで、すぐに追いつかれてしまいそうだった。
ここで、ワタシはさらに不運に見舞われる。
「いっ……!」
目の前に見えるのは行き止まり。右も棚、左も棚、そして前も棚だった。後ろからはほまれが迫ってきているため、足を止めるわけにはいかない。棚板の間隔は二メートルほど。置いてある荷物を足場にすれば登れるとは思うが、減速は必至だ。その間に捕まってしまう。
完全に詰みだった。
ワタシは棚に勢いよく走っていく。しかし、目の前の棚に置かれている荷物はどう見ても柔らかくなさそうだ。このまま突っ込めば大怪我をしてしまうし、さらに後ろからのほまれの攻撃で完全にアウトだ。
それよりかは、減速して避けることに賭ける方が、まだ助かる!
ワタシは思いきって、減速した。そして、振り返る。
ほまれはワタシが減速したことを感知して、仕留めるべく速度を維持しながら拳を振り上げていた。そのままの勢いで殴り飛ばしてくるつもりだ。
ワタシは限界までほまれのモーションを観察し続ける。そして、反応速度ギリギリのところで、思いっきり屈んで身を縮めた。
頭頂部の髪の毛を何本か持っていかれるような感覚があった。しかし、ワタシの体に拳は当たっていない。ほまれは拳をスカしたのだ。
そして、当然ほまれは急に止まれるはずはなくたたらを踏みかける。しかし、ほまれにとって不運だったのは、そのたたらを踏むスペースは、もう残っていなかった、ということだ。
スガーン‼︎ と凄まじい音が背後から響いた。振り向くと、ほまれの体が荷物に衝突し、下半身を棚から突き出しているのが見えた。そして、振り抜いた拳は見事に棚の支柱に『刺さって』いた。
次の瞬間、ベキベキベキ! と金属が軋む音がした。それを追うようにバキバキ! ギーッ! と別の金属音が重なっていく。
呆気にとられていると、棚がこちらに傾いていくのが見えた。ここでようやく、ほまれの一撃で棚が崩壊していることを理解して、ワタシは思いっきり走り出した。
「マズいマズいマズいデス!」
『どうしたのサーシャ!』
「倉庫が壊れ」
ズガーンと背後からとんでもない音がした。棚が倒れたのだ。風圧がこちらを襲い、地面が軽く揺れる。
さらに、一つ棚が崩れたことで、他の棚も連鎖的に崩れ始めた。
「ああああーっ!」
ワタシは全速力で棚の間を走り抜ける。走り抜けた直後、背後からはガラガラガラ! と棚から大量の物品が高所から降ってくる音、そしてバキバキと棚が倒れていく音、そしてパリンパリンと割れ物が割れていく音が重なる。
「どうしてワタシはインディ・ジョーンズになってるデスか〜!」
死の雪崩から必死に逃げ続けていると、ようやく前方に裏口が見えた。ワタシはそのまま外へと駆け抜ける。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
ゆっくりと減速し、ワタシは振り返る。
倉庫のドアからは、バラバラになった物品の破片の山の端っこが少し出ていた。しかし、これ以上モノが崩れる音は聞こえない。
助かった……。思わずワタシはその場にへたり込んでしまったのだった。