「サーシャ、大丈夫⁉︎」
ワタシがへたり込んでいると、すぐにみやびが駆けつけてきた。そして、ワタシの手を取って立ち上がらせる。
「今スゴい音がしたけど……」
「倉庫の棚が、全部崩れたデス……」
「怪我はない?」
「大丈夫デス……危なかったデス……」
少しでも逃げ遅れていたら、ワタシは崩れてきたものの下敷きになって、大怪我……最悪の場合、圧死していたかもしれなかった。
それが避けられた今、一番の心配事は別にある。
「ほまれは……たぶん潰れているデス」
「……倉庫の棚を崩したのは、サーシャの作戦なの?」
「いえ、偶然そうなっただけデス……ほまれが殴りかかってきたので、ワタシが避けたら、ゲンコツが棚の柱に当たって、棚が崩れたデス」
「そうだったんだね」
この様子では、ほまれは大量の物品に潰されて動けないだろう。いや、もしかしたら壊れてバラバラになっているかも……。
「ほまれは、どうなってるデスかね……」
「うーん、まだ動いてはいるみたいだけど」
「хорошо! 逃げるデス、みやび!」
「待って待って! 動いているっていうのは、移動しているっていう意味じゃなくて、まだ動作しているっていうこと! お兄ちゃんはその場から動けないみたいだよ」
そう言って、みやびはスマホをこちらに見せる。画面の中央に表示された青丸は、何秒経ってもまったく動かなかった。
「それに、お兄ちゃんの体には大量のエラーが出ているんだ。たぶん、棚か物品に押しつぶされて、壊れたんだろうね……」
みやびはスマホをポチポチいじる。
「脚にエラーが出ているね……うん、この様子なら、お兄ちゃんは今動けない状態にあると思う。今がチャンスだよ、サーシャ!」
「ほまれを直接止めることデスか?」
「そう! 今行かないでいつ行くの!」
そう言って、みやびが張りきって倉庫の方へ歩き始めたので、ワタシはその後ろを慌てて追いかける。
すでに壊れた裏口のドア付近では、散らかった物品が床を隠していた。
「うわっとっと!」
早速みやびがコケそうになったので、ワタシは後ろから支える。
「大丈夫デスか⁉︎ 気をつけるデス」
「ごめんごめん……」
気を取り直して、ワタシたちは倉庫の中へと慎重に進んでいった。
床は、文字どおり足の踏み場もないほど散らかっていた。最初に入った時、確かに並んでいたはずの棚はどこにもない。こんもりした物品の山が積もって、とても見通しがよくなっていた。ワタシたちは、仕方がなく床に散らかった物品の中でも安定していそうなものを踏んで、一歩一歩進んでいく。
「……損害賠償がとんでもないことになりそうデスね」
「うっ……こ、これは全部お兄ちゃんを攫った相手のせいだよ! うん、きっと!」
「そ、そうデスね……」
時間にして数分間、ワタシたちはまるで足場の不安定な岩山を進んでいるかのような状態を体験する。そして、記憶を辿ってほまれがいるであろう場所へようやく到達した。
しかし、目の前に広がるのは瓦礫の山。かつてワタシが走ってきた通路はどこにも見当たらなかった。そして、ほまれの姿も、瓦礫に埋もれているのか、どこにいるのかまったくわからない。
「……ほまれはどこデス?」
「うーん、ちょっと待ってね」
みやびはスマホを片手にウロウロする。そして、ここから少し離れたところで立ち止まった。
「ここから反応が出てる」
「早く探すデスよ!」
ワタシはみやびのそばにいくと、怪我をしないように注意しながら、瓦礫の山をどかしていく。
「あっ! これは……!」
すると、ワタシの手元を見てみやびが声をあげた。
目の前に現れたのは、肌色の細長い物体。人間の膝から下のように見える。
「ほまれデス!」
みやびと一緒に、ワタシは瓦礫をどんどんどけていく。最初は脚の一部しか見えなかったが、しばらくすると、太もも、胴体、腕、そして頭が次々に見えてきた。
それでも、どうしてもどかせられない瓦礫もあった。そのうちの一つが、足と胴体を押し潰している大きな金属の棒だった。おそらく、崩壊した棚のフレームの一部だったと思われるそれは、あまりにも重すぎて持ち上げるのが困難だった。
「サーシャ、これはこのままでいいよ」
それをどかそうと奮闘していると、みやびがガンガンとそれを蹴りながら言った。
「え、どうしてデス?」
「どうやらこれで、お兄ちゃんの体をうまくロックできているみたいなんだ。万が一、これを外して暴走状態のお兄ちゃんが襲いかかってきたら嫌だからね。それに、このままでも作業自体はできるから」
みやびはほまれの頭の近くにしゃがみ込むと、バッグからパソコンを取り出していじり始めた。
ほまれは酷い状態だった。棚の崩落に巻き込まれたせいで、両足は変な方向に曲がっている。うつ伏せに倒れ込んでいて、床はボディから漏れ出た液体で少し濡れていた。腕は関節が外れてしまったらしく、壊れた金属のパーツが丸見えだった。
「……ジジ…………ガガガガ…………」
よく耳を澄ますと、ほまれの口からは小さくノイズが聞こえる。しかし、衝撃でイカれてしまったのか、意味のある言葉はいっさい聞こえてこなかった。当然、ほまれは動かなかった。
「とりあえず、シャットダウンしちゃおっか」
みやびはそう言うと、瓦礫の隙間にケーブルを持った手を突っ込む。そして、器用にほまれのへそにそれを接続すると、パソコンをカタカタと操作する。
次の瞬間、ほまれの体がビクンと跳ねた。思わずワタシもビビってビクッとしてしまう。
「kkkky強制シャットダウンをzzz実行しま……ス…………」
ほまれはそれだけ呟くと、今度こそ何も言わなくなった。ノイズさえも聞こえてこない。
「……終わったデスか?」
「うん、とりあえず強制シャットダウンしたから、もう大丈夫」
「はぁ……本当によかったデス……」
やっと、ワタシは心から安心できた。これでもう、ほまれに追いかけられることはない。あんな恐ろしい目に遭うのは二度とごめんだ。
「……そういえば、銃撃音、聞こえてこないね」
「あ」
そういえば、外ではほまれを攫った犯人グループと、警察による銃撃戦が繰り広げられていた。ほまれのことで頭がいっぱいですっかり忘れてしまっていたけれど、もうその音は聞こえてこない。
考えられる可能性は二つ。警察が勝ったか、犯人グループが勝ったか。ここは日本国内なので前者が圧倒的有利だし、ほとんどの場合警察が勝つだろう。しかし、もし犯人グループが勝ってしまっていたら……今の状況はかなりマズい。動かないほまれに非力なみやび、そしてワタシ。三人で奴らに対抗できるわけがない。
振り向くと、みやびはスマホで誰かと電話をしていた。
呑気にそんなことをしている場合じゃないデス! と思わず叫びそうになった時、どこからか小さく足音が聞こえてきた。ワタシは即座に警戒して、辺りを見回す。
そして、次の瞬間、ワタシたちが入ってきた入口とは反対の方向から、大きな声がした。
「動くな!」
見ると、そこには盾を持っている重装備の警察官が何人もいた。ワタシはどう反応すればいいのかわからず、みやびの方を見る。
すると、いつの間にか通話を終えていたみやびは、迷うことなく手を上げていた。
「ほら、サーシャも手を上げて!」
「わ、わかったデス……」
みやびに言われるがまま、ワタシは手を上げる。
ワタシは小さくみやびに尋ねた。
「このまま警察に捕まって大丈夫デスか? 何か変なことされたりしないデスか?」
「大丈夫大丈夫! そろそろ来るはずだから!」
何が来るのか明かされないまま、ワタシたちはそのまま警察に大人しく捕まった。そして、武器などを持っていないか確認されると、そのまま倉庫の外に連れていかれる。
不安を抱きながら、倉庫の表口から外に出たその時、ちょうど目の前の通りに黒い大きな車が停まった。ワタシはそれに見覚えがあった。去年の秋、ほまれとみなとが遭難した時に、ほまれが運び込まれていた車だ。
そのまま見ていると、車から何人かが降りてきた。そして、真っ先にみやびのもとに駆けつける。
「お怪我はありませんか?」
「うん、大丈夫」
「プロトタイプはどうですか?」
「強制シャットダウンした。大破してるし、ウイルスに感染していると思う。あと鉄骨の下敷きになってる」
「わかりました」
そう言って、車から降りてきた人は倉庫の中に走っていった。
「……本当にこのままで、大丈夫デスか?」
「大丈夫大丈夫! なんとかなるから!」
「ほまれも大丈夫デスか?」
「大丈夫大丈夫! サーシャは心配性だなぁ〜」
この状態でヘラヘラしているみやびの方がおかしいデスよ……という言葉を飲み込んで、ワタシはため息をついた。
この後、ワタシたちは任意同行を求められ、パトカーに乗せられてその場を後にした。
しかし、結論からいえば、みやびの言ったとおり本当になんとかなった。警察署に連行されてから数時間後、日付が変わった直後くらいに突然解放され、さらに研究所の人がほまれの家の車を運転して、ワタシたちを家まで送り届けてくれたのだった。
やっと家に帰れてホッとすると同時に、みやびや研究所の権力の強さに少し怖さを感じるのだった。