「次の交差点を左ね」
「了解デス〜」
夜の横浜を私たちの車は走っていく。私がナビに従ってサーシャに指示をしていくと、車はどんどん人気のない方向へと進んでいった。横浜といえば華やかな繁華街のイメージが強いけれど、私たちが向かっている方向は倉庫が立ち並ぶ、静かで暗い場所だった。
ナビが、この車が埠頭の入り口に到達したことを示す。周りは静かで、見通しのよい二車線の道路が街灯に照らされまっすぐ伸びている。前を行く車も後ろを走る車も対向車も一台もいない。
私はもう一度、さっき送られてきたお兄ちゃんの位置情報を確認する。最後に送られてきたお兄ちゃんの座標は、この先の倉庫の前を示している。
しかし、ここで考えなければいけないのは、せっかく攫ったお兄ちゃんを取られないように、見張りが配置されているかもしれないということだ。監視カメラの映像のとおりに、もし車二台に犯人グループが乗っているのだとしたら、少なくとも八人ほどはいるはず。港で別の仲間と合流して、人数が増えている可能性だってある。
「サーシャ、ここで降りよう」
「わかったデス」
私たちは車を路肩に停めると、外に降り立った。もわっと潮の匂いがした。
私はパソコンをリュックの中に、スマホをポケットの中に突っ込むと、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえた。
「パトカー来るデス!」
「隠れるよ!」
私たちは急いで倉庫の影へと隠れる。しばらくすると、何台ものパトカーが私たちの車を追い抜いて、その先へと走っていった。
きっと、犯人グループを捕まえるために駆けつけたに違いない。私の通報は、今になってようやく効果が出始めたみたいだ。
数台のパトカーが追い抜いた後も、サイレンの音が聞こえる。ちらりと道路の方を伺うと、私たちの乗ってきた車のすぐ後ろ側の交差点の入り口を、警察がちょうど封鎖しているところだった。車でこの埠頭に来るには、この道を通るしかないため、交差点の入り口を封鎖してしまえばこれ以上車は絶対に入ってこれない。
もし少しでも遅れていたら、私たちはここには入れなかったかもしれない。その点で言えば、滑り込めたのは運がよかったけど、私たちは規制線の中に閉じ込められてしまったとも言える。
しかし、ここまで来たからには引き返すわけにはいかない。私はお兄ちゃんのいる方へ歩き出す。
次の瞬間、前の方からパンパン、と何かが弾けるような音が聞こえた。
その音を、私は今まで一度も耳にしたことがなかった。それもそのはず、日本ではほとんど聞かれないものだからだ。しかし、この音が何の音なのか、私は知っている。
「銃撃……⁉︎」
「相手、銃持ってるデスね……!」
「急ぐよ!」
お兄ちゃんが撃たれたかもしれない……! いくら人間より頑丈であるとはいえ、さすがに銃弾を受けて無事で済むわけがない。撃たれたところが悪ければ、体を丸ごと廃棄しなければならなくなったり、爆発してバラバラになったりするかもしれない!
「ちょちょ、待つデス!」
しかし走り出した私の腕をサーシャが掴んだ。私はちょっとイライラして声が大きくなってしまう。
「サーシャ、今は急がなきゃ!」
「それはわかってるデス! デスが、無計画に飛び出したら、銃で撃たれて死ぬデスよ!」
サーシャの言うことはもっともだ。私はお兄ちゃんのところに駆けつけようとした。しかし、銃撃音が聞こえた以上、相手は銃を持ってお兄ちゃんを守っている可能性が高い。
それに、いまだにお兄ちゃんの体と通信できない以上、こちらから指示を出して操ることはできない。何の策もなく、むやみやたらに突撃してもただやられてしまう。
しかし、このまま傍観するわけにもいかない。私は板挟み状態になっていた。
「じゃあどうすれば……!」
「とりあえず、ワタシが先行するデス。少なくとも、みやびより戦闘の経験あるデス。それに実は防弾ベスト着てるデス」
サーシャはそう言って、上着をペラっとまくる。すると、その下には黒い頑丈そうなベストが見えた。サーシャ、そんなもの持っていたんだ……。いや、もともとスパイなのだから、そういうものを持っていても不思議ではない。
「とりあえずワタシの後ろを、絶対に離れないでピッタリ着いてくるデス」
「……わかった」
「それと、もし何かあったらワタシを置いてすぐ逃げるデス。ほまれの体を作れるのは、みやびだけデスから。わかったデスか?」
「サーシャはどうするの?」
「……なんとかするデス」
「そんな……!」
「……ワタシじゃなくても、スパイはできるデス。代わりが送られてくるだけデスよ」
それだけ言うと、話は終わりだと言わんばかりに、サーシャは歩き出した。私は慌てて追う。
倉庫の影に隠れ、ときどきフェンスを乗り越えてどんどん埠頭の先端へと迫っていく。フェンスを越えるのは大変で、サーシャの手を借りながら私はなんとか乗り越えていく。足手まといになっていることをもどかしく思う一方、もし運動していなかったらそもそも乗り越えられなかったとも思う。ダイエットを始めた過去の自分、ひいては運動しろと言ってくれたお兄ちゃんに感謝だ。
銃撃音がだいぶ近くなっていく。それとともに、誰かの怒号が飛び交う。全然実感が湧かないが、建物を挟んだすぐそばでは、簡単に命を奪ってしまうようなものが飛び交っているのだ。
次の瞬間、私のポケットの中でスマホが振動した。画面を見ると、お兄ちゃんの位置情報がまた現れていた。
「サーシャ、すぐそこだよ……!」
位置情報が示していたのは、二つ先にある倉庫の中だった。
私たちはさらに近づくと、物陰に隠れて様子を伺う。
「誰もいないデスね……」
「もしかしたら、警察との対応に追われているのかも」
「だったらチャンスデスね……とりあえず見てくるデス。みやびはここに隠れていてくれデス」
「ちょっと待って、これつけて」
私はサーシャに、小型ワイヤレスイヤホンと、小型ピンマイクを渡した。
「では、行ってくるデス」
サーシャはそれを身につけてフードをかぶると、周囲をすばやく見回してから倉庫の方へと走っていった。
私が今隠れている倉庫の反対側の道路では、相変わらず誰かが争うような声と、散発的な銃撃音が聞こえている。そこに対して今いる場所は陰になっているとはいえ、流れ弾が飛んでこないかとても心配だった。
私は周りに誰もいないことを確認しつつ、スマホを取り出す。お兄ちゃんの位置情報は先ほどから動いていない。やはり、隣の隣の倉庫にいる。距離にしておよそ二十メートル、隔てている壁は少ない。しかし、それがどうしようもなく遠く思えた。
次の瞬間、バン! と音がした。かなり小さい音だが、倉庫の中から聞こえたように思えた。しかし、明らかに周りから聞こえる銃の音ではない。何かが破裂したような……例えるなら、加熱しすぎたバッテリーが破裂するような音だった。
それでも、今の音が倉庫の中から聞こえたというのが気になる。もしかして、お兄ちゃんが何かされて、バッテリーが爆発したんじゃ……?
けれど、次に倉庫から聞こえてきた音は、私をそんな比じゃないくらいに不安にさせた。
パンパン! と音がする。間違いなく、今度は銃撃の音だ!
お兄ちゃんが撃たれたのか、第三者が撃たれたのか、それともサーシャが撃たれたのか……。しかし、私は何もできず、ただここで、サーシャの帰りを待つしかなかった。