どうにもできないまま、時間だけが過ぎていった。
もし人間の体だったらとっくに泣き出いているところだったが、あいにくこの体には涙を流す機能はないらしい。俺のアイカメラは濡れることなく、かといって何かを捉えることもできなかった。
どうやらこの車は高速道路からは降りたようで、橋桁の境目を通るときに起こるガコガコという振動はもう感じられない。今は一般道を走っているようだ。
「『そろそろ目的地だが、手順は承知しているな?』」
「『はい班長! ところで、いつ出港ですか?』」
「『十時半だ。それまで絶対に見つかるなよ』」
十時半……。それが、俺を乗せる船の出港時刻か……。現在時刻は午後九時十二分。タイムリミットはあと一時間十八分だ。
「『くそっ、警察がうるさいな……』」
「『まさか気づかれましたか⁉︎』」
「『いや、俺たちの計画は完璧だ。事前にリサーチしたとおり、監視カメラの死角で行ったし、目撃者もいなかった。それに今に至るまで交通違反などはいっさいしていない』」
しかし、どうにも不安は拭えないようで、トントンとハンドルを指で叩く音が聞こえる。耳を澄ませてみると、確かに窓の外からはサイレンの音が小さく聞こえていた。
そうこうしているうちに、前の方に加速度がかかって、体が前に引っ張られる。そして、小さく衝撃。車が停まったのだ。どうやら横浜に到着したらしい。
「『手早く下ろせ』」
「『はい!』」
俺は乱暴に腕を掴まれると、引きずり下ろされるように車から出される。手枷足枷をされているので、満足に動けず、俺は硬い地面にいったん横たえられた。冷えたコンクリートの感覚が頬に伝わる。
その時、頭を覆っている袋の紐が一瞬緩んだ。
チャンスだ! 俺は急いで脳内電話をかけようとする。
しかし、すぐに袋の紐が締められて通話不可能になった。そのまま、俺は何人かの男たちに担ぎ上げられて移動する。
しばらくして、俺はどこかに下ろされた。足音の響き具合からどうやらデカい建物の中にいるようだ。ここが横浜港であることを考えると、おそらく積み荷を保管するための倉庫なのではないか?
そして、俺は何か太いヒモのようなもので縛られる。その後、どこかの柱のようなものに、立った状態で括り付けられた。
「『積むのは何時だったか?』」
「『あと四十五分後だ』」
俺はどうやら一時間もしないうちに、船に積み込まれてしまうらしい。
……そんなの絶対に嫌だ!
俺はAIを起動して聴覚からあたりの様子を探る。話し声や足音、その反射から分析するに、どうやら俺の近くにいるのは二人だけのようだ。それなら、もし紐と枷を引きちぎることができれば脱出できるかもしれない!
俺はAIに、体の支配権を移す。これで、『俺』は自分のスペックの限界まで力を出すことができる。
力を解放した『俺』はグググと力を込めて、手枷足枷を外そうとする。ギギギと腕や足からフレームが軋む音と、ギュイイイとモーターが低く唸る音がする。
「『おい、それにしてもコイツ、いい体つきしているよな』」
「『まったくだ。日本人は変態というがそのとおりだな』」
「『……なあ、時間はまだあるよな』」
「『そうだな』」
「『この場は俺ら二人だけだよな』」
「『……おい、もしかして』」
「『誰もいないならヤっちまおうぜ』」
「『だが、壊すのはダメじゃないのか?』」
「『いいだろって、それで重要な部分が壊れるとは思えない』」
「『それもそうだな』」
ハハハ、と笑いながら、足音がこちらに迫ってくる。コイツらが俺を乱暴する気なのは明らかだ。早く逃げ出さないと、と俺は焦る。しかし、力むばかりでなかなか脱出できない。
しかし、次の瞬間、男たちの足音が止んだ。
「『……サイレンの音が聞こえないか?』」
「『……そうだな』」
耳を澄ますと、確かにサイレンの音が聞こえてくる。そして、それは時間を追うごとにどんどん大きくなってきた。
助けが来た……! みやびが通報したのか、それとも奴らの悪事に気づいた別の誰かが通報したのかはわからないが、これで俺が助け出される可能性はグッと高まった。今の俺は誰がどう見ても誘拐され拘束されている人にしか見えない。あとは警察に見つかればこちらの勝ちだ!
誰かが走ってくるような足音がする。すると、遠くの方から空間全体に響くような声で男の叫び声が聞こえた。
「『警察だ! 見つかった!』」
「『状況は?』」
「『埠頭の入り口付近まで迫ってきている! こちらは銃で応戦している!』」
次の瞬間、遠くからパンパンと何かが弾けるような音がする。
マジかよ……。コイツら銃を持っているのか!
日本国内では銃刀法違反で許可なく銃を保持することは禁じられている。コイツらはきっと闇ルートで銃を手に入れたのだろう。
コイツらの危険度が数段階上昇した。いくら体が頑丈とはいえ、銃で撃たれたらさすがにひとたまりもない。撃たれどころが悪ければ、取り返しのつかないことになってしまうおそれがある。
「『隠すか⁉︎』」
「『いや、船に運ぶべきだ!』」
「『それは無理だ。まだ準備ができていない!』」
「『待て、そもそも上は何と言っているのか!』」
「『……プランCだ』」
「『でも、それは……!』」
「『せっかくここまで運んできたのに ここで諦めるのか!』」
「『仕方がない、それが指示だ。遅かれ早かれ見つかってしまうのだから、できるだけデータを奪い取る方針にする』
「『……でも』」
「『つべこべ言わずにさっさと実行しろ! 時間がないぞ!』」
「『はい!』」
男が去っていく足音とともに、二人が動き回る足音がする。しばらく忙しそうにバタバタという音がした後、今度はカタカタと何かを叩く音がし始めた。
「『おい、ケーブルはどこだ!』」
「『ここにある』」
「『接続部分を探せ!』」
何者かによって俺の体がまさぐられる。接続部分を探しているのだろうが、見つからないようだ。
すると、その何者かが俺を縛り付けているヒモのようなものを解いた。一気に圧迫感がなくなったが、次の瞬間脚を蹴られて床に転がされる。俺は、ゴロゴロと足で蹴られて合計で三回転半した。
相変わらず、AIはどうにかこの状況から解放されようと、力を込め続けている。しかし、いまだに手枷や足枷を破壊するには至らないようで、ギギギと嫌な金属音だけが響く。
「『見つからない! どこだ!』」
「『今チャットを遡っている!』」
次の瞬間、俺の首元に手がかけられた。そして、紐が緩められると、一気に袋が外される。
ずっと暗いところに視界が慣れていたせいで、一瞬光に視界が塗りつぶされる。カメラの明度の自動調整機能ですぐに普通に見えるようになると、目の前に見えたのは丸刈りの目の細い男だった。その背後には、内装のない構造が丸出しの巨大な空間に、様々な物品が入った巨大な棚が並んでいる。どうやらここが倉庫だというのは合っていたようだ。
しかし、すぐにその顔は見えなくなる。また転がされて、うつ伏せになったからだ。
「『おい、端子は首元じゃないのか!』」
「『あった、へそだ! へそに繋げろ!』」
俺は再び仰向けにされると、服をまくられる。そして、無抵抗にへそを露出させられると、男の手にあるケーブルがはめ込まれた。
俺のへそは特殊な構造になっていて、普通のケーブルでは接続できないはずなのだが、男たちの持っているそれは適合しているものだった。俺の脳内に、接続がされたという通知がくる。
「『よし、よくやった! あとはこのソフトを起動すれば終わりだ!』」
もう一人の、顔にタトゥーの入った大男が、地面に置いたノートパソコンでカタカタと操作する。先ほどこちらに警察が来たと伝えに来た男が、データを奪い取る、と言っていたが、おそらくそのソフトでそうする気なのだろう。
俺はとても嫌な予感がしていた。男のやっている作業が終わり、ソフトが起動してしまったら、俺は非常によくない状態になってしまうような気がする。
俺は咄嗟に、拘束から抜け出そうとしているAIに、その行為を阻止するように命令した。その命令が実現可能か検討するヒマもないほど、俺は焦っていた。
次の瞬間、『俺』は首を限界まで捻って男のパソコンに視線を向ける。そして、迷いなくレーザーを起動した。
それと同時に、男がエンターキーを高らかに鳴らす。
ノートパソコンの底面にレーザーの緑色の光が当たる。男らはまだ気づいていない。
三秒後、黒いプラスチックの外装が融け、白い煙がかすかに上がり始めた。
「『何か臭う』」
「『おい、パソコンから煙が上がっているぞ!』」
「『くそっ、なんでこんな時に……!』」
「『おい、コイツがレーザーを出している!』」
男らが俺の左目からレーザーが出ていることに気づいた。しかし、もう遅い。パソコンからは煙がモクモクと上がっている。
次の瞬間、パソコンからバン! と破裂する音が聞こえた。真っ赤な火の手があがる。バッテリーが発火したのだ。
「『ちくしょう! パソコンがダメになったぞ!』」
「『それよりも、このレーザーを止める必要がある!』」
「『でもどうする⁉︎』」
「『仕方ない! これで撃つ!』」
そう言って細目の男が取り出したのは、拳銃だった。
「『おい、壊れたらどうするんだ!』」
「『レーザーを止めるには、今これしか方法がないだろう。さもないと俺たちまで死ぬぞ!』」
そう言って、男はこちらに銃を向けると、引き金を引いた。