二分後、私たちは家の車に乗り込んでいた。もちろん、サーシャが運転席、私が助手席だ。
車に乗るなんてとても久しぶりだ。車が運転できる両親はずっと旅行しにいっているので、ここ数年間自分の家の車にはまともに乗ったことがない。しかし、一週間ほど前にお兄ちゃんが車の中も大掃除してくれたようで、ずっと放置されていた割に車内は全然埃っぽくなかった。
「……本当に大丈夫だよね?」
「大丈夫デス! ロシアでは散々車乗ってたデス!」
「うちの車、オートマだし、日本は左側通行だけど……」
「ワタシがロシアで乗っていたのは日本の中古車デスよ?」
そう言って、サーシャはエンジンをかける。
「シートベルト締めてくれデス」
「あ、ごめん」
律儀だなぁ、と思いながらシートベルトをした次の瞬間、サーシャは思いっきり加速した。
「ひぃいいい!」
「加減が難しいデスね……」
向かい側の住宅に突っ込みそうになり、慌てて急ブレーキ。そしてバックして通りに出た。
ほ、本当に大丈夫だよ……ね……? サーシャって実は運転めちゃくちゃ荒い……? なんだか不安になってきた。やっぱり酔い止めを飲んできた方がよかったかも……。もう後の祭りだけど……。
「みやび、ナビしてくれデス。道全然わからんデス」
「わかった」
私はカーナビをいじって目的地をセットする。細かい場所はわからないけど、とりあえず埠頭の近くに行ければいいだろう。
「ガソリンは大丈夫そう?」
「まだ半分くらいあるデスね」
それなら安心だ。
サーシャはナビどおりに、車があまり走っていない一般道を飛ばす。なんかブレーキとか加速とかハンドル捌きが急なんだよね……。ちょっとしたジェットコースターに乗っているような気分になる。頼むから事故だけは起こさないでほしい……。
走ること十分、高速道路のインターチェンジに辿り着く。
「みやび、これどっちに入ればいいデス⁉︎」
「左! 一番左の、『ETC/一般』の方!」
この車にはETCが搭載されている。しかし、肝心のカードは海外の両親のお財布の中。だから、ここは一般で料金を払うしかない。
「ゲートの直前で止まって、発券機から券を取って!」
「Я поняла」
サーシャは券を抜き取って、私に渡してきた。私はそれを天井の券入れに挟む。
「みやび、どっち行けばいいデスか⁉︎」
「右! 東名自動車道の方!」
ぐるぐるとカーブを曲がった後、本線に合流する。無事に合流すると、一気に追い越し車線まで行って、スピードを上げた。
「サーシャ、スピード出し過ぎ!」
「こうでもしないと間に合わないデス!」
「『ネズミ取り』に捕まるって!」
「何デスかそれ!」
「ああもう、あったら教えるからその時は減速してね!」
「わかったデス!」
夜の高速道路を爆速で南下していく。幸いにも交通量は少なく、私たちの車は時速百二十キロオーバーで爆走していた。
私は膝の上にパソコンを乗せると、パソコンを開く。そして、警察・研究所など各所に連絡をする。
ひと段落した頃には、すでに最後にお兄ちゃんの位置情報が示した地点を通過してしまっていた。当然ながら、お兄ちゃんを連れ去った車はその場にはいない。さらに横浜方面に進んだところにいるはずだ。まるでアキレスと亀。こちらがアキレスであればいいのだけれど。
車の速度は時速百四十キロに達しようとしていた。この区間は時速八十キロなので、警察に見つかれば間違いなく捕まってしまう。
急ぎたいのはわかるけど、サーシャはかなり無謀な運転をしていた。これはレースゲームじゃないんだから、もう少しスピードを落としてもいいんじゃない……?
そんなことを考えていると、ふとある部分が引っかかった。
「そういえばサーシャ」
「なんデス?」
「サーシャってさ、本当に十七歳?」
「え? 十七デス、よ?」
不審に思った私はパソコンで調べる。
「……ロシアで国際運転免許を取れるのってさ、十八歳以上だよね」
「…………」
「ねえサーシャ、本当は何歳なの?」
「…………秘密デス」
なるほど、サーシャは年齢詐称をしているんだね……。たぶん十八歳以上……もしかしたら二十代かもしれない。
「それにさ、国際運転免許って二種類あるんだけど、ロシアが発行する種類の国際免許を持っていたとしても、日本ではそれが有効じゃないんだって」
「…………」
「ということは、無免許運転ってことだよね?」
「…………」
「サーシャ?」
「いいじゃないデスか! 運転できるんだからいいんデス! ワタシが運転できなかったら、みやびも現地に行けないデスよ⁉︎」
「わかってるよ! だから絶対に捕まらないでよ⁉︎ お願いだから! 無免許運転の取り締まりまではさすがに庇いきれないからね⁉︎」
「それよりみやびはほまれの位置を追わなくていいんデスか⁉︎」
「追うよ!」
私はパソコンの画面に視線を落とす。しかし、お兄ちゃんの位置情報は相変わらず現れない。今どこにいるのかわからないのは、先ほど一瞬わかっただけに、余計にもどかしい。
犯罪者集団が一番怖がるのは、目的を遂行する途中で警察に捕まることだと思う。それなら、道中は安全運転で絶対に捕まらないようにいくはず。もしお兄ちゃんの言ったとおり、横浜に向かっているのなら、私たちが途中で追いついてしまってもおかしくはないはずだ。
いや、お兄ちゃんが私たちと通信していたことが向こうにバレている可能性もある。そうなったら、行き先を横浜から変えてしまうかもしれない。そうなったらどこに行ったか見当もつかなくなる。バレていないことを祈るしかない。
こんなことになるんだったら、もっとお兄ちゃんに監視をつけておくべきだった。あるいは危ない目に遭ったらすぐに連絡できる緊急通報機能をつけるとか、全身からバカデカい音が出る全身防犯ブザーとか、全身が光り輝いて危険を知らせるとか……。やりようはいくらでもあったはずだ。
いや、検討するのはお兄ちゃんを無事に取り戻せてからだ。まずはお兄ちゃんが何かされる前に犯人グループを発見して追いつかなければ!
しばらく進むと、ナビが高速を降りるように指示をする。サーシャはやっと速度を落とすと、それに従って高速道路のゲートへ向かう。
「一般でいいデスよね?」
「そうだよ」
私はサーシャに券を渡す。サーシャはそれを機械に突っ込んだ。
『料金は……』
「みやび、お金要求されてるデス」
「ちょっと待って……はい、これ」
私はカバンから封筒を取り出すと、その中から千円札を何枚か取り出す。サーシャがそれを受け取って支払いを済ませると、出発した。
「それにしても、さっきのはみやびのお小遣いデスか?」
「ううん、あれはお兄ちゃんのお金だよ」
「え、ほまれのを持ってきたデスか?」
「そうだよ。お兄ちゃんのバイト代、勉強机の上から三段目の引き出しの鉛筆入れの下の封筒に隠してあるんだ。時間がないから丸ごと持ってきたけど」
「えぇ……」
サーシャはめっちゃドン引きしているような顔をしている。
「なんで知ってるデスか……」
「お兄ちゃんのことならなんでも知ってるよ。私はお兄ちゃんの妹だからね」
「怖い怖い、怖いデスよ……!」
だって、お兄ちゃんの体を作ったのは私だよ? 今やお兄ちゃんのすべては私に筒抜けなのです!
だからこそ、今回の事態はとても由々しきものだ。私からお兄ちゃんが奪い去られようとしている。これだけは絶対に阻止しなければならない。
「それにしても都会デスね〜」
窓の外には恐ろしく高いビル、その向こうにはピカピカ光る観覧車が見える。窓の向こうからは、小さくサイレンの音が聞こえていた。
すると、ピコンと通知が来る。パソコンに目を落とすと、マップ上にアイコンが表示されていた。
「お兄ちゃんの座標がきた!」
「え、どこデス⁉︎」
「……埠頭だ、ビンゴ!」
お兄ちゃんの位置情報は埠頭のど真ん中に表示されていた。マップの周辺を見てみると、倉庫群が立ち並ぶ一角だ。お兄ちゃんはそこにいる!
「サーシャ、ここに向かって!」
「飛ばすデスよ〜!」
「ちょ、制限時速は守ってー!」