「遅いデスね〜」
「うーん、心配だね……」
時刻はすでに二十時を回っている。イベントが終わったのが十五時くらいで、それからお兄ちゃんはいったん店に寄って帰ると言っていたから、遅くても十九時くらいには帰ってくると思っていた。
私は再度スマホを確認する。外食をしてくる、という連絡は入っていないし、今日はお兄ちゃんが夕飯を作ってくれる日だ。真面目なお兄ちゃんが何の連絡もなくサボるなんてことは考えにくい。
とすると、もしかしたらどこかでトラブルに巻き込まれているかもしれない……。
「もしかしたら、どこかでトラブルに巻き込まれているかもデスね……」
サーシャと思考がシンクロしてしまった。やっぱりそれくらいしか考えられない。
「連絡はつかないデスか?」
「うーん、メッセージに既読はつかないね」
さっきからメッセージを送り続けているけど、ずっと未読のままだ。やっぱり、お兄ちゃんが今どこにいて何をしているのか、もう少し詳しく調べる必要がある。
私はこたつから抜け出すと、自分の部屋に向かった。
「どこ行くデス?」
「ちょっと、お兄ちゃんの行方を調べてみる」
私は自分の部屋からノーパソを取ってくると、こたつに戻る。そして、カタカタと急いで操作して、GPSの信号をもとに、お兄ちゃんの現在位置を地図上に表示する。
「ん……?」
「どうしたデス?」
「ない……」
「何がデス?」
「お兄ちゃんの現在位置が表示されない……」
私はF5キーを押して何回も更新する。しかし、地図上にお兄ちゃんはどこにも表示されなかった。
「大変じゃないデスか!」
考えられる可能性はいくつかある。一つは電池切れでお兄ちゃんが動けなくなっているパターン。ただ、今朝送り出した時には充電が七十八パーセント残っていた。よほど激しい運動をしない限り、電池がなくなるということはない。どちらかといえば、電池が壊れたと考えるのが適切かもしれない。
二つ目は、電波の届かないようなところにいるパターン。しかし、GPSは携帯の電波とは違い、基本的には世界中どこにいても捉えられる。とすると、電磁遮蔽されている空間に閉じ込められているということかな?
三つ目は、GPSそのものが壊されているパターン。この場合が最もマズい。なぜなら、お兄ちゃんのGPS機器は電子頭脳と一体化しているので、ピンポイントでそれだけを壊すということはほぼ不可能だからだ。もし壊れているのならば、お兄ちゃんの電子頭脳ごと破壊されている可能性が高い。
いずれにせよ、お兄ちゃんが何かマズい目にあっているのは確かだった。
「サーシャ、ちょっと私のスマホからお兄ちゃんに電話をかけ続けてくれない?」
「え、でも、GPSすら通じないデスよ?」
「いいの、もしかしたら電話に出るかもしれないでしょ!」
万が一の可能性に賭けて、私はサーシャにスマホからお兄ちゃんへと電話をかけ続けてもらう。その間に、私はお兄ちゃんのGPSの履歴を検索する。
四時間前、お兄ちゃんの位置情報は秋葉原を示していた。地図を見ると、イベントの会場だ。そこから時間を進めていくと、線路に沿って移動していき、ある場所で留まる。お兄ちゃんのバイト先のメイドカフェだ。そこに二時間ほど滞在した後、さらに位置情報が動き出す。今度は家の最寄り駅を通る路線の上をまっすぐこちらに向かって移動してきた。
そして、二十五分前。自宅の最寄り駅をGPSが示す。そこから最短距離でこちらに帰ってくる。
と、次の瞬間だった。
「消えた……!」
今からちょうど二十分前、自宅の目の前の通りに差しかかったところで、位置情報が突然消失した。そこから時間を送ってみるが、それ以降お兄ちゃんのGPSはどこにも表示されない。
地図を拡大してみると、最後に確認されたのは家の目の前の通りの二軒隣の家の前だった。ここで、何かがあったのだ。
ここで、私は重要なことを思い出す。この位置ならば、もしかしたら防犯カメラに何かが映っているかもしれない……!
夏休み頃、私はセキュリティ強化のため、自宅に防犯設備を大量に設置した。お兄ちゃんや私に対する脅威がどこから来てもいいように、自宅の敷地内をすべてカバーできるように防犯カメラを設置した。そして、その一部は敷地外にも向けられている。当然、自宅の前の通りも少し映っている。
この位置ならば、ギリギリお兄ちゃんが映っている可能性がある……! 私はすぐにパソコンを操作して、防犯カメラの映像にアクセスする。そして、お兄ちゃんの位置情報が消失した二十分とちょっと前まで巻き戻した。
十九時四十一分三十五秒、お兄ちゃんの位置情報が消える十五秒前、それは起きた。
「これは……!」
カメラの端に、黒い車の前半分が映った。大胆にも道のど真ん中に停車している。すると、助手席のドアが開き、黒い人影が中から出てきて、後方へ走ってカメラから姿を消した。
十九時四十二分四秒、再度黒い人影が現れ、車の中に助手席から乗り込む。そしてその三秒後、黒い車は勢いよく走り去った。さらに、その後ろに同じような車がもう一台続く。
これで確信に変わった。お兄ちゃんは、この車に乗っていた人たちによって誘拐されてしまったのだ。お兄ちゃんのGPSが消えた時刻、そして場所とともに一致している。
「……誘拐デスか⁉︎」
「そう、みたいだね」
「すぐに警察に連絡するデス!」
サーシャが私のスマホを手に取って、お兄ちゃんにかけっぱなしだった電話を切って、緊急通報しようとした。だが、次の瞬間、ガチャリと電話口で誰かが出る音がした。
サーシャはピタッと動きを止めると、スピーカーにしてテーブルの上にそっと置いた。
「もしもし、お兄ちゃん? 無事だったら返事をして!」
私はそう呼びかける。スマホからはザザザザと酷いノイズが流れる。しかし、その中で微かに人の声らしきものが聞こえた。
『……び! ……て……! 俺はゆ…………れた!』
「なんだって? もう一回言って!」
私はもう一度呼びかける。ノイズが酷すぎてまともに聞き取れない!
『ゆ……され……うか………ゆうか……こは………ってい……よ……は…………横浜…………まこうにいこ………ている!』
「わかった! 助けに行くよ!」
そこからはノイズしか聞こえなくなってしまう。そして、次の瞬間ブチっと電話が切れてしまった。ツーツーと虚しい電子音が響く。
しかし、お兄ちゃんは重要な情報を二つ教えてくれた。
一つは、お兄ちゃんは誘拐されてしまったということ。今まではあくまで私たちの予想にしかすぎなかったが、お兄ちゃん自身がそう発言しているのだからこれは間違いないはず。
そしてもう一つは、横浜というキーワード。横浜が表すものはいくつかあるが、一番可能性が高いのは、神奈川県にある横浜だ。おそらく、お兄ちゃんを連れ去った奴らは横浜に向かっている。
「あっ、みやび! 位置情報が更新されてるデス!」
「えっ! どれ⁉︎」
私は慌てて画面を切り替える。すると、確かに十秒前にお兄ちゃんの位置情報が一瞬だけ現れた。地図を見ると、神奈川県の西部の高速道路上だった。
私はF5を押す。しかし、お兄ちゃんの位置情報は動くどころか消えてしまった。
おそらく、お兄ちゃんは何らかの手段で電磁遮蔽されたまま車で移送されている。さっき電話ができたのは、隙を見たのかあるいは偶然なのか、電波が通じたからに違いない。
私は奥歯をギリっと噛み締める。お兄ちゃんを無理やり誘拐した罪は重い。もちろん、唯一のきょうだいを連れ去られたこともそうだが、私の重要な実験対象でもあるのだ。もしお兄ちゃんが壊されでもしたら、私は発狂してしまうかもしれない。
「お手柄だよ、お兄ちゃん……」
だが、幸いにも、私はお兄ちゃんの現在位置を把握できた。さらに、お兄ちゃんを攫った犯人グループがどこに向かおうとしているのかもわかった。この情報はとても大きい。
すると、隣にいたサーシャがボソリと呟いた。
「みやび、ワタシたちでほまれを追いかけるデス」
「えっ⁉︎」
ビックリして、私は思わずサーシャの方を見る。サーシャの顔は至って真剣のもの。しかし、彼女は恐怖や怒りではなく、何かに怯えているような目をしていた。
「この誘拐は、おそらく外国人勢力によるものデス」
「どうして?」
「ほまれは歩く最先端技術の塊デス。だから、外国の機関はほまれが喉から手が出るほど欲しいデス。そして、横浜は世界有数の港。もしほまれを外国に連れ去りたければ、一般に飛行機よりも船で運ぶ方が荷物に紛れ込ませるのが簡単デス」
「……なるほどね」
「ほまれの技術を狙うような大国で、一番可能性が高いのは……中国だと思うデス。もしアメリカなら米軍基地に行くはずデス」
「ロシアは?」
「ロシアからはワタシだけしか来ていないのでそれはないデス。もし来ていたら連絡が来るデス。そもそも、みやびが偽装工作しているおかげで、向こうには『スパイに成功している』ことになってるデス」
「なるほどね……でも、追いかけるといっても、どうして? 警察に任せた方が……」
「もし行き先がわからないならそうした方がいいデス。もちろん、警察にも連絡した方がいいデスが、行き先がわかった以上、ワタシたちも行った方が奪還できる可能性は高くなるデス。みやびはほまれの開発者で、ワタシはちゃんと訓練を受け、武術や武器の扱いには心得があるスパイデス」
サーシャは続ける。
「ワタシが思うに、一番マズいのはこのまま外国に攫われてしまうことデス。そうしたら、確実にワタシのミッションは失敗になるデス。そうしたら……シベリア送り……」
サーシャがシベリア送りをなにより恐れているのは知っている。サーシャが今最も望んでいるのは現状維持。他国に本体が掻っ攫われたと本国に知られれば、処罰は免れないだろう。
「でもさ、どうやって追いかけるの? 電車だとたぶん間に合わないと思うんだけど……」
「車で追いかけるデス」
「車⁉︎」
「この家、車あるデスよね? キーもあるデスよね?」
「ま、まああるけど……」
「なら問題なしデス。ワタシ、国際免許あるデス」
「そうなの⁉︎」
「時間ないデス。みやび、早く追いかけるデス」
「……わかった。追いかけよう」
こうして、私と敵組織のスパイであるサーシャの間に、お兄ちゃんを奪還するという目的のもと、奇妙な協力関係が築かれたのだった。