冬休み最後の日曜日、俺は店長さんと飯山と秋葉原にやってきていた。
「今日はいけそうか?」
「……まあ、どうにか」
「だいじょ〜ぶだよ! ほまれちゃん、完璧にできてたじゃん!」
「ほまれ、自信を持て。昨日の練習の動画を見せてもらったが、この短期間であのレベルまで持っていったとは正直思わなかった」
「……どうも」
俺はこの一週間、かなりの時間を飯山と一緒にダンスの練習に費やした。その結果、昨日までにはなんとか難しい方の振り付けで一曲通してパフォーマンスができるようになった。もちろん、問題のバク宙も練習の末、できるようになった。
あとは、本番で同じようなパフォーマンスができるかどうか……。懸念事項はそれだけだ。
俺たちは秋葉原駅で降りると、少し歩いてイベントホールに入る。開演二時間前だというのに、中では多くのスタッフが忙しなく動き回っていた。
「ここがメインステージだ」
「おぉ……」
「うわ、広っ……」
俺たちは観客席の最後列から、観客席、そしてステージ全体を望む。以前、腕相撲大会が開催されたホールよりも圧倒的に大きい。もしこの観客席がすべて埋まったとしたら、とんでもない数の人になるだろう。
「今日はどれくらい人が来るんですか?」
「さぁ……だが、チケットは完売したと聞いたぞ」
「スゴい人気ですね〜」
「そりゃ、有名なメイドカフェも多く参加するからな」
ステージでは、現在進行形で音楽が流れており、どこかのメイドカフェから来た人たちが歌って踊っている。リハーサルだろうか。本番までに俺たちも一度踊ることになるだろう。
「よし、それでは楽屋に向かうぞ」
俺たちは店長さんに連れられて、ステージの裏の楽屋に向かう。ステージの裏側からは無機質な通路が伸びていて、両側にはいくつもの扉がある。それぞれの扉にはプレートがはめ込まれていて、そこには『何々様』といくつかのメイド喫茶の名前が一緒になって記載されている。
その扉のうちの一つに『カフェ・ルミエール様』と書いてあった。中に入ると、小さなテーブルが一つ、その周りにいくつかの椅子、さらにクローゼットと化粧台があった。部屋の中には誰もいなかったが、プレートには別の店の名前も書いてあったため、後で何人か来るのだろう。
「それではリハーサルの時に呼びにいくから、着替えて待っていてくれ」
「わかりました」
「了解です!」
店長さんが部屋から出ていく。俺たちは荷物を下ろすと、早速着替え始めるのだった。
※
リハーサルが終わり、いよいよ本番が始まった。
俺たちは楽屋から出ると、ステージ脇で出番まで待機する。
俺たちの今の格好は、一言で表せば、フリフリのレースがいっぱいついたメイド服だ。ちなみにこれは店長さんが用意してくれたオーダーメイド品らしい。初めて見た時は動きづらいんじゃないかと思ったが、見かけによらず可動域が思ったより大きい。さっき、この服を着てリハーサルをやってみたが、そこまで動くのに邪魔にはならなかった。
ちなみに、下はスカートだがその下にさらにペチパンツを履いている。そのためバク宙で観客にパンチラ、という事態は起こらない。
今は俺たちの前のグループが出演している。それにしても観客席からの合いの手がスゴい。ここからだと観客席がチラチラと見えるのだが、暗い中でサイリウムが奥までギッシリ光っているあたり、きっと満員なのだろう。
「緊張するな……」
「大丈夫、リハーサルではしっかりできたでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「それに、本番になったら、楽しくてそんなこと気にしている場合じゃなくなると思うよ!」
「そんなものなのかな……」
「そんなものだよ〜」
俺は文化祭の初日に、バンドに駆り出されたことを思い出していた。そういえば、あの時も本番前は死ぬほど緊張したけど、演奏中には何も気にならなくなったんだよな……。今回もああいう感じなのかもしれない。
「お前ら、大丈夫か……」
すると、背後から小さな声で話しかけられる。振り返ると、そこにいたのは店長さんだった。
「正直、めっちゃ緊張してます……」
「だよな。私も正直こんなに観客がいるとは思わなかった」
店長さんもなんだか緊張した顔をしている。出演しないくせに、俺より緊張しているようだ。その顔を見て、俺は少しだけ緊張が和らいだ。
『ありがとうございました! それでは、『カフェ・ルミエール』から、ひなた&ほまれです!』
「よし、行っといで!」
店長さんに背中を押され、俺たちはステージに送り出された。
ステージに立つと、視界に入るのは人、人、人……。暗いからあまり表情は見えないが、奥の方までぎっしり詰まっている。
思わず硬直していると、飯山が小さく声をかけてくる。そうだ、打ち合わせどおり進めないと……!
「「こんにちは〜!」」
「『カフェ・ルミエール』から来ました! ひなたです!」
「ほまれです☆」
観客席からはうおおおおお! と歓声が上がり、拍手が湧き起こる。この光景、俺がこの体になってから初めて登校した時となんだかちょっと似ているな……。
俺たちは事前の打ち合わせどおりに、MCをこなしていく。俺は緊張でかなりカチコチになってしまっていたが、飯山はそんな様子は微塵も見せない。マジで精神力メチャ強だよ。
会話中、観客席を見渡していると、端っこの方に見覚えのある人物が三人。みやび、みなと、そしてサーシャだ。特にみなととサーシャはブンブンとサイリウムを振って猛アピールしている。俺は何も聞いていないが、わざわざ来てくれたのか……! ちょっと勇気づけられる。
「今回わたしたちが踊るのは、『エターナル・スターライト』! 皆で盛りあがろう! それじゃあ、始めるよ〜!」
飯山がパフォーマンスを披露する旨を告げる。そして、俺たちはポーズを取って、曲が始まるのを待つ。
『♫夜空に輝く星に♫』
『♫憧れていたんだ♫』
今時の曲なので、イントロなしに歌詞から始まる。そのため、タイミングを掴むのが難しく、練習ではうまくいかないことも多々あった。しかし、今回のタイミングは完璧だった。
Aメロ、Bメロ、そしてサビへと駆け抜けていく。パフォーマンスは好調だ。
それにしても盛り上がりがスゴい。皆が知っている最近流行りの有名な曲にしたのがよかったのか、積極的にサイリウムを振ってくれる。そして、合いの手もばっちりだ。
楽しい……。俺の中からはいつの間にか不安が消え、顔に自然と笑顔が浮かぶ。この会場と自分とが一体になる感覚がある。いつしか、俺は夢中になって歌って踊っていた。
間奏に入る。飯山と俺はアクロバティックな動きを見せる。
そして一番の見せ場がやってきた。いける。できる。高揚感と万能感にすっかり支配された俺は、いよいよバク宙を披露する。
「「「「「おおおおおっっ‼︎」」」」」
観客からどよめきが上がる。難なく成功だ。さあ、あとはラストまでやりきるだけ!
『♫夜空に舞い散る星を♫』
『♫かき集めてみたんだ♫』
『『♫永遠に輝く エターナル・スターライト♫』』
無事にパフォーマンスが終了した。わずかな静寂の後、観客から盛大な歓声が上がる。
俺と背中合わせになっている飯山は、激しく動き回ったせいか、肩で息をしている。しかし、疲れなんかないかのように、観客に向かって手を振っていた。
「ありがと〜!」
「ありがとう☆」
俺も同じように手を振りながら、こっそりみやびたちの様子を窺う。みやびはちょっとホッとした表情をして、サーシャは興奮した様子でこちらにサイリウムを振り、みなとはそれに負けじとお手製のうちわとサイリウムの二刀流でこちらに猛アピールしていた。
『カフェ・ルミエールのひなた&ほまれでした! 続いては……』
司会者がアナウンスを始めたので、手筈どおり俺たちは出てきた方とは反対側の袖に急いで退場する。
本当にうまくいってよかった……! 俺の心はただただ安堵の感情で占められていた。