年末、大晦日。すっかり夜も更け、窓の外は真っ暗だ。
俺とみやびはリビングに出したこたつに下半身を突っ込んで、ぬくぬくと過ごしていた。なんとなくつけっぱなしにしているテレビは、あと五分で年が変わることを知らせてくる。
思い返してみれば、今年は激動の一年だった。四月には突然の事故で、わけのわからないままこの体になってしまった。それからはいろいろと大変なこともあったが、いいこともたくさん起こった。今まであまり関わりがなかった人とも仲良くなったし、メイド喫茶でバイトを始めたり、一緒に旅行に行ったり……。あっという間の一年だったが、とても濃密だった。
「ほまれは寝ないデスか? もう日付変わるデスよ」
ギシギシと床を踏み締める音が近づいてきて、振り返るとそこには風呂から上がったばかりのサーシャが立っていた。確かにいつもなら俺はとっくに寝ている時間だが……。
「今日は年末だからいいんだよ。年が明けたらすぐ寝るさ」
「ロシアでもこういうことしないの?」
「するデス。というか日本より盛大にやるデス」
サーシャは俺が入っている側面と九十度をなす隣の側面に来ると、こたつに足を突っ込んだ。その中で、俺の脚と直角に交差するように自分の脚を乗せる。
「みかん、一つ貰っていいデス?」
「いいよ〜」
そして、こたつの中央に置いてあるカゴに入ったみかんの山から一つ手に取ると、剥いて食べ始めた。ちなみに、みやびはさっきからずっと食べていて、今四つ目だ。食い過ぎじゃないか?
そういえば、すっかりこの家に馴染んで居座っているが、サーシャがやってきたのも今年だ。しかも、その正体はスパイ。隣でぬくぬくしている様子からはまったく想像もできないが。
もし俺がアンドロイドにならなかったら、ひいては事故に遭わなかったら、サーシャがこの家に来ることもなかったはずだ。そう考えると、俺がこの体になったことによる影響はとても大きい。
『それではカウントダウンです! 三! 二! 一! あけまして、おめでとうございま〜す‼︎』
テレビからそう聞こえる同時に、リビングの壁掛け時計が十二時を知らせた。そして、俺の体内時計も、日、月、そして年を跨いだことを知らせる。
「あけおめデス!」
「あけましておめでとう、今年もよろしく」
「あけおめことよろ〜」
サーシャはテンション高く、みやびは気が抜けた様子で、俺たちは新年の挨拶を交わす。
「早速デスが、私、新年でやってみたいことあるデス!」
「何?」
「初詣に行ってみたいデス!」
初詣では、元日からおおよそ一週間以内にどこかしらの神社仏閣に参拝する。海外で同じような文化があるとは聞いたことはないので、これは日本独自の文化なのかもしれない。日本文化というにはかなりマイナーかもしれないが。
すると、みやびがツッコミを入れる。
「サーシャはさ、大丈夫なの? 宗教的に日本の神様に参拝したらいけないとかあるんじゃない?」
「大丈夫デス! ワタシ、無宗教デス」
「へぇ、ちょっと意外かも」
確か地理の授業で、ロシアではキリスト教の一派であるロシア正教を信仰する人が最も多いと学んだ記憶がある。
「意外と無宗教の人はいるデスよ。なので、ワタシが日本の神を拝もうがнет проблем デス」
「そうなんだな。じゃあ、明日……というか今日の朝、一緒に初詣に行こうか」
「行くデス! みやびは行かないデスか?」
「え〜面倒くさい……外寒いし……」
「近くの神社に行くだけだから、すぐ終わるって。あそこは混まないだろ?」
「ん……じゃあ行くー」
みやびはやる気のなさそうな返事をする。さっきからずっとこたつに突っ伏したままだ。
「お兄ちゃ〜ん、私をおんぶして部屋まで連れてって……」
「はいはい、しょうがないな……」
どうやらみやびは眠いようだ。俺はこたつから出て、みやびをおんぶすると立ち上がる。
「それじゃ、そろそろ寝るか」
「そうデスね」
俺たちはテレビや照明を消すと、二階へと上がっていくのだった。
※
翌日、午前九時。俺とみやび、そしてサーシャは家を出発して、近所の神社へと向かっていた。
「やっぱり寒い……」
「寒がりデスね、みやび」
「サーシャは余裕なんでしょ?」
「ロシアではこのくらいを寒いとは言わないデス。マイナス二十度からが本番デスよ!」
「うへぇ……私そこに行ったら凍死する自信しかないよ……」
今の気温は三度ほど。今の時期、この時間帯にしてはまあまあ寒い。
「お兄ちゃんも寒いでしょ?」
「うーん、まあ寒いけど……『寒い』だけで不快ではないな。スゴく不思議な感じ」
「いいなぁ……でも、油断しないでよ。寒いとバッテリーの持ちが悪くなるから。あと、冷却水が凍ったりするかも。まあ、これは野外に全裸で数時間いない限り大丈夫だと思うけど」
「俺はそんな変態じゃないよ!」
しかし、バッテリーの持ちが悪くなるのはかなり嫌だな。冬の間はできるだけ体の熱を逃さないようにしないと。
数分間歩くと、突如住宅の間に木に覆われた場所が見えた。家と家の間を縫うように細い路地が森の中に伸びていて、その先には石の鳥居が見える。
「ここデスか?」
「うん、そうだよ」
俺たちは細い路地、もとい参道を進む。小さな神社なので、元日の朝にもかかわらずほとんど人通りはなかった。鳥居の前で一揖(いちゆう)すると、いよいよ神社の敷地に入っていく。
「サーシャは、神社のお参りの作法は知ってる?」
「うーん……怪しいデス」
「じゃあ、一から教えましょう!」
えへんと胸を張るみやび。サーシャはパチパチと手を鳴らした。
「まずは手水(ちょうず)で手と口を清めます!」
「この小さな湧き水デスか?」
「そうそう。やり方もちゃんとあって……」
みやびは説明しながら手と口を清めていく。俺も詳しくは知らなかったので、サーシャと一緒にみやびの真似をする。
「次はいよいよお参りだね」
「どうすればいいデスか?」
「私の真似をすれば大丈夫だよ」
俺たちは三人揃って本殿の前に並んで立つ。そして、財布から五円玉を取り出して賽銭箱に入れた。
「五円でいいんデスか? もっと高い金額の方が効果ありそうデスが」
「感謝の気持ちがあれば何円でもいいんだよ。それに、五円は『ご縁』……bondとかdestinyみたいな意味の言葉と同じ発音だから」
「なるほどデス」
みやびは鈴をじゃらじゃらと鳴らす。そして、二礼二拍手。
「さ、お願い事をするよ。心の中で呟いて」
「…………」
「…………」
「…………」
そして一礼。これで参拝は終わりだ。俺たちは本殿を後にする。
「みやびは何をお願いしたデスか?」
「受験に受かりますように、かな」
みやびの学力なら、お願いをするまでもなく合格すると思うが。
「ほまれは何デスか?」
「俺は……元の体に戻れますように、だな」
確かにこの体で過ごす毎日は刺激的だ。元の体の頃よりも、いくぶんか楽な部分もある。しかし、それでも俺は元の体に戻りたい。このまま一生をこの体で過ごしたいとは思わない。もし、元の体が死んでしまって戻れないのなら、覚悟を決めざるをえないだろう。しかし、まだ回復する可能性が少しでも残っているのなら、俺はそれを信じたい。
「ちなみに、サーシャは何を願ったんだ?」
「それは秘密デス」
「えー、ズルいな」
「あ、絵馬が売っているデスね! 書きたいデス!」
そう言って、サーシャは社務所の方へ駆けていった。
結局、サーシャに付き合って俺たちは絵馬を三枚購入する。そして、近くの机でそれぞれ願い事を書いた。
もちろん、俺はさっき神様に願ったことをそのまま書く。みやびも同様だ。
ということは、サーシャもさっき願ったことを書くのでは? 俺は、絵馬掛所に書いた絵馬を奉納するときに、サーシャの絵馬を盗み見る。
だが、残念ながら、ロシア語で書かれていて読めなかった。外国語の音声は翻訳できるのだから、カメラ翻訳みたいに文章も翻訳できないかと思ったが、どうやら実装されていないようで理解できなかった。
しかし、みやびは何が書いてあるのかわかったらしく、険しい目つきでサーシャを睨んでいた。その視線に気づいたサーシャは、しまった、と少し顔を青くしていた。みやびがロシア語を話せるだけではなく読めることを失念していたようだ。
「サーシャ」
「は、はい」
「何か今の待遇にご不満でも?」
「え、あ、いえ……何もないデス」
「あっそ」
ふーんだ、とみやびは神社の入り口へ戻っていく。それを追いかけるサーシャ。
新年早々、みやびとサーシャの関係が悪くなってしまったようで、俺はため息をついて、二人の後を追いかけるのだった。