カランコロンとドアを開けて帰っていく客を、俺は頭を下げて見送る。
振り返って店内を見回すが、席に座っているお客さんは一人もいない。さっきの人たちで最後だったようだ。
時刻は午後八時を回った。もう閉店時刻を過ぎているので、俺は表の入り口をロックして、ブラインドを下ろす。そして、他のバイトの人と一緒に、店内を清掃していく。
「掃除終わった人は、スタッフルームに集合してくれ」
キッチンから手を拭きながら店長さんが出てくると、俺たちにそう声をかける。そして、『STAFF ONLY』のドアの向こうへ消えていった。
数分後、掃除を終えた俺たちは、掃除道具を片付けると店長さんの後を追って、スタッフルームへ向かった。
スタッフ全員が部屋に揃ったところで、店長さんはミーティングを始める。
「今日で今年の営業は終わりだ。皆、お疲れさま。そして、来年もよろしく」
今年はもうここに来ることはないのか……。夏休み、ひょんなことからここでバイトをすることになったが、気づけばもう五ヶ月ほど経っている。その間、いろいろなことがあったが、なんだかんだ楽しく働けている。
しかし、それも俺がこの体でいられる間だ。いずれ、俺の元の体が回復したらそっちに戻ることになる。そうなったらここを辞めることになるだろう。女装して働くわけにもいかないし。それまであとどれくらいここにいられるだろうか……。
店長さんは連絡事項を話し終えると、最後に俺の方を見た。
「そうそう。少し話があるから、ほまれとひなたはこの後残ってくれ」
「は、はい」
「わかりました〜」
「それではミーティングは終わりだ。気をつけて帰れよー」
お疲れさまでしたー、と挨拶をして、俺と飯山以外のバイトは続々とロッカールームに向かっていく。
話とはいったいなんだろう? 気づかないうちに何かやらかしてしまったのだろうか。少し不安になる。
スタッフルームが俺と飯山、そして店長さんだけになったところで、店長さんが口を開く。
「さて、かなり急なことで悪いんだが、ほまれ、来週の日曜日は空いているか?」
「来週の日曜日ですか? ……はい、空いています、けど」
その日は年が明けて最初の日曜日だ。冬休みの最終日でもあるが、特に予定はない。
「よかった……」
「その日に何かあるんですか?」
「うむ。実はその日、秋葉原でメイド喫茶の合同イベントがある。それは知っているか?」
「……ああ、歌って踊るやつですか?」
「そうだ」
冬休み直前の頃、ミーティングで店長さんが話していた覚えがある。確か、この店からも参加することになって、飯山ともう一人、地下アイドルをやっている子が行くことになっていたはずだ。
ということはもしかして。
「そのイベントなんだが、ひなたと一緒に参加してほしいんだが」
「えええ⁉︎」
「やっぱりダメか?」
「いや、うーん……その、もう一人の子はどうしたんですか?」
「その日、緊急の用事が入って出られなくなったんだと」
「なる、ほど……」
店長さんの様子から察するに、詳しくは話せないのだろう。人には知られたくない、プライベートなことなのかもしれない。
「それで、ほまれに代役をお願いしたいというわけだ」
「……事情はわかりました」
しかし、ホイホイと簡単に引き受けるわけにはいかない。俺にできることなら協力はしたいのだが、そもそもまだ具体的な内容を何も聞いていないのだ。決めるのはもう少し事情を聞いてからだ。
「イベントでは具体的に何をするんですか? 歌って踊るイベント、ってことはアイドルみたいなことをするっていうこと……ですか?」
「そうだよ〜」
すると、今までそばで聞いていた飯山が発言する。
「そうだな、詳しくはひなたに説明してもらうか」
「わかりました〜。えっとね、イベントでわたしたちがやるのは、ステージで歌いながらダンスを踊ること。時間にしてだいたい三分くらいかな? 同じようなことを他のお店の人もやって、お客さんの投票で順位を決めるんだけど、もし上位に入ったら最後にステージに上がってコメントするって感じ!」
「……とまあこんな感じだ」
「じゃあ、イベントでは歌って踊ればいいんですね」
「そそ!」
俺にやってもらいたいことはわかった。しかし、それができるかどうかは別の話だ。
「でも、あと一週間ですよね? まず何を歌うかも知らないし、それにどう踊るかも知らないんですが……」
それを一週間そこそこで、人前で歌って踊れるくらいにはマスターしなければならないのだ。かなり厳しいのではないか?
「それを見込んで、ほまれに頼んだんだ」
「え?」
「だって、アンドロイドじゃないか」
「まあ、そうですけど……」
「お願い! ほまれちゃんくらいしかいないんだよ! 一週間で歌も踊りも覚えられそうな人材!」
「そ、そうなの……?」
「あのね、代役としてほまれちゃんを店長さんに推薦したのはわたしなんだけど、まだ理由があるんだよ」
「理由?」
「代役候補の中で、一番歌がうまいんだよ、ほまれちゃん」
「そそうなんだ……」
そう言われるとなんだか嬉しい。しかし、俺はこの前のスキーの帰りのカラオケを思い出した。
「でも俺、あんな変な歌声しか出ないけど……」
「大丈夫大丈夫! ほとんどのパートは私と一緒に歌うからわからないよ! それに、いざとなったらほまれちゃんの妹ちゃんに調節してもらえばなんとかなるよ!」
「他力本願だ!」
まあ、確かにみやびにいえば、自然な感じに調整してもらえそうな気はするが……。
「あと、本番で歌うのは、この前のカラオケで私が歌った曲だよ〜。ほまれちゃんも知ってるでしょ?」
「ああ、うん」
その曲なら俺も知っているし、全部歌うことはできる。上手に歌えるかどうかはまた別の問題だが。
すると、店長さんが言葉を繋ぐ。
「それに、三分間も踊りながら歌うというのは、想像以上に体力を使うことだ。だから、アンドロイドであるほまれが代役としては一番適切なんだ」
「な、なるほど……」
確かに、アイドルが意外と体力を使う仕事であるとは聞いたことがある。それと同じようなことをしようとしているのだから、体力がないと代役は務まらないだろう。
「ちなみに、イベントに参加すれば、その分ギャラが支払われるぞ」
「え、どのくらいですか?」
店長さんは俺の横に近づくと、コソコソ囁いた。
めっちゃ高いじゃねーか! 高校生にとってはかなりの金額だった。
「こんなに貰っていいんですか⁉︎」
「もちろんだ。大半の参加者は大学生とか社会人だから、高校生にとっては少し高いかもな」
三分間出るだけで、この金額。そう考えると、かなり魅力的だ。
「お願い、ほまれちゃん! わたしと一緒にステージで踊って!」
「……うーん、できるかなぁ」
「できるよ! ほまれちゃんなら!」
「私からも頼む。ぜひこの店も参加したいんだ」
店長さんも頭を下げる。そこまでされると、断りづらいじゃないか……。
「……わかりました。やってみます」
「ありがとう! よし、ではひなた、ほまれの指導は頼んだぞ」
「了解ですっ!」
ということで、俺は年明け早々、イベントで歌って踊ることになったのだった。
やったことがないだけに、俺はかなり不安だった。