二日後の真夜中、そろそろ日付が変わろうとしている頃、俺は家ではなく都心のターミナル駅にいた。バイトに行くときはいつもここで降りてメイドカフェに向かっているが、今日は違うところに行くためにこの駅で降りていた。
真夜中ということもあり、駅構内は昼間に比べるとかなり空いている。終電近くまで働いていた人たちが、列をなして郊外方面の電車を待っている。
それを横目に、逆に郊外から乗ってきた俺とサーシャはガラガラの車内から降りて、まばらな人流に乗って改札口を目指していた。
「楽しみデスね〜」
「ちょっとドキドキしてきたよ」
サーシャは俺の隣で、スキーウェアをばっちり着込んで、スキー板を持ち、ボストンバッグを肩にかけている。俺も同じような格好をして、同じものを持っている。
ついに明日はスキーの日だ。初体験ということもあって、俺の心の中では早くも、うまくできるか少し不安な気持ちと、ワクワクが入り混じっていた。
俺たちは改札を出て、エスカレーターに乗って集合場所となっているバスターミナルへ向かう。
バスターミナルといえば、駅の正面のターミナルにズラッとバス停が並んでいるような印象だが、この駅の場合は、バスターミナルが丸ごと建物の中にあり、それが何層にも重なっていた。きっと、このバスターミナルが日本最大の乗降客数を誇っていて、行き先も数えきれないくらいあるからだろう。
エスカレーターを上りきって、待合室に入る。すると、どこからか聞き覚えのある声がした。
「ほまれさん、サーシャさん、こっちです!」
「いおりー! こんばんはデス!」
サーシャが向かっていった方を見ると、こちらに向けて手を振っている越智と、その隣で座っている飯山とみなとの姿があった。三人ともスキーウェアだ。
「ごめん、遅くなったね」
「いえいえ、十五分前なので大丈夫ですよ」
「ほまれちゃん、サーシャちゃん、久しぶり〜」
「久しぶりデス、ひなた! 一週間ぶりデスね!」
ちなみにみなとはおにぎりを頬張っている最中だった。
辺りを見回すと、待合室にはたくさんの人がいる。その中には、俺たちと同じくスキーウェア姿で騒いでいる若者のグループがいくつもあった。きっと俺たちと同じ行き先、あるいはそれに近いところに行くのだろう。
すると、越智が荷物を持って立ち上がった。
「皆さん、そろそろ移動しましょうか」
「は〜い」
「トイレは大丈夫ですか? 今のうちに行っておいた方がいいですよ。特にサーシャさんとほまれさん」
「ワタシは大丈夫デス!」
「俺も大丈夫だよ……というかバスのチケットは大丈夫なの?」
「もう発券してありますよ。乗り場に着いたら配りますね」
さすが越智、手際いいし、めちゃくちゃ仕事ができる。まるで引率の先生みたいだ。
俺たちは席を立つと、待合室を出てバス乗り場へ移動していく。
「サーシャちゃんのスキー板、カッコいいね〜」
「コレ、ほまれのПапаのものデス」
「そうなんだ!」
サーシャは留学するにあたって、スキー道具なんぞ持ってきていない。そのため、物置に放置されていた父さんのスキーセットを借りることになったのだ。ちなみに、俺は母さんのスキーセットを借りていた。
バス乗り場に到着すると、すでに俺たちが乗る予定の、スキー場直通のバスが待機していた。どうやら俺たちは一番乗りだったようだ。まずはトランクにスキー用具と大きい荷物を預ける。
そして、越智から受け取った乗車券を乗務員の人に見せて乗り込み、自分の席に座っていく。俺の席は真ん中の方の窓際だ。隣にはみなとが座る。俺の前にはサーシャが座り、俺の後ろには飯山、その隣に越智が座る。
俺たちに続いてゾクゾクと人が乗ってきた。その半分は俺たちと同じようにスキーウェアをきたスキー目的の客だった。あとの半分は普通の格好をした人だ。このバスはスキー場に行く前に、その近くの新幹線の駅前にも停車するのでそこで降りるのだろう。帰省する人か、あるいは別の場所に行く観光客か、そのどちらかだろう。
夏の旅行では新幹線を使用したが、今回は夜行バスだ。こちらの方が圧倒的に安いが、その分乗り心地は劣る。乗車予定時間は七時間ちょっと。これだけの間バスに乗り続けるのは初めてだ。これまでバスに乗り続けた最長記録は、小学生の時に日光に修学旅行に行った時で、それでも四時間はいかないくらいだった。今回はそのおよそ二倍の時間乗り続けることになる。
もし人間だったら、酔ったらどうしようとか、寝れなかったらどうしようと不安に思っていたかもしれない。だが、俺はアンドロイド。車酔いはしないし、目を閉じていればそのうちスリープモードに入る。スリープモードになってしまえば、よほどのことがなければ途中で起きることはない。よって、夜行バスに乗っていても寝られる自信があった。
正子を五分まわり、バスは定刻どおりに出発した。バスターミナルを出ると、都心の摩天楼の根本を通り抜けていく。
さて、ここから旅の始まりだ! とワクワクするが、冷静に考えると今はもう午前〇時過ぎだ。時間帯は完全に深夜だし、いつもならもう寝ている時間だ。
俺もそろそろ寝るか。俺は自分の手荷物からアイマスクと耳栓を取り出そうとする。
次の瞬間、いきなり前の座席が思いきり倒れてきて、前屈みになった俺の額に衝突した。
「いたっ!」
「Ай! ごめんデス、大丈夫デスか⁉︎」
「大丈夫……」
幸い体は丈夫なので、これくらいでは何のダメージもないが……。何の予告もなくいきなり座席を倒すなんて、サーシャさんちょっと横暴すぎやしませんかね。
「座席の調整を間違えたデス……これくらいならいいデスか?」
「それくらいなら大丈夫だよ」
慌ててサーシャが座席の角度を戻していく。結構急に倒れるんだな。俺も気をつけよう……。
すると、今度は左肩に重みがのしかかる。
「みなと?」
「…………」
アイマスクと耳栓をつけたみなとがこちらにもたれかかってきていた。耳を澄ますと、スースーと寝息を立てているのが聞こえた。
窓の外を見ると、バスは首都高に乗って速度を上げていた。窓の外からは都心のビル群の光とともに、虹色に輝く東京スカイツリーが小さく見えた。
しばらく夜景を眺めていると、アナウンスとともにバスの照明が消え、車内が暗くなった。窓の外も、都心を抜けたようでずっと住宅地の光だけが見えている。
ここら辺で潮時だろうか。俺はアイマスクをすると、耳栓をして、七時に起きることを決めて眠りについたのだった。
※
目が覚めた。時刻はちょうど午前七時だ。
俺は耳栓を外す。どうやらみなとは起きているようで、俺の体に何かがもたれかかっているような感覚はなかった。そのままアイマスクを外す。
「おはよう、ほまれ」
「おはようみなと」
みなとは寝ぼけ眼でこちらを見ている。きっと起きたばかりなのだろう。
俺は反対側の窓の外を見る。
もう日の出の時刻を過ぎているからか、窓の外はすっかり明るい。眩しいくらいだ。しかし、眩しいのはただ太陽が出ているからだけではなかった。
「おお……」
窓の外には白銀の世界が広がっていた。東京ではまだ一度も雪が降っていなかったのだが、こちらはすでにかなりの高さまで雪が積もっている。そのため、雪が日光を反射してより眩しく見えたのだ。
バスは山道を登っていく。すでに新幹線の駅には途中停車したようで、乗客の半分くらいはいなくなっていた。あとは俺たちと同じ目的地、スキー場に行く人たちのみだ。
しばらく真っ白な景色を楽しんでいると、アナウンスが流れてまもなく到着する旨が伝えられる。降りる準備をしているとバスが停まった。ドアが開き、続々と乗客が降りていく。
「皆さん、降りますよ」
「Да!」
後ろの席で越智が立ち上がる。その隣ではむにゃむにゃと呟きながら、まるで酔っ払って潰れたかのような飯山が、越智に支えられて立っていた。対照的に前の席でサーシャが元気に立ち上がる。
「寒っ」
バスから降りた途端、強烈な寒気が俺を襲い、思わずそう呟いてしまう。
山の上で気温が最も低い朝の時間帯だ。もちろん氷点下である。
荷物を受け取って、山脈の方を見ると、建物の隙間から白い山肌とその間を縫うように走るリフトが見えた。
とりあえずバスから降りた俺たちは、邪魔にならないところで集まる。
「スキー場ですが、ここから少し離れています」
「ここから歩くの?」
「そうですね。その前に、まずは朝ご飯にしましょう。皆さんお腹が空いているでしょう?」
越智がそう言った途端、タイミングよくみなとの腹の虫が鳴った。みなとは顔を赤くする。そうか、俺は充電式だからあまり気にならなかったけど、皆はお腹が空いているはずなのか。
「とりあえずレストランに行きましょう」
というわけで、まずは朝食を食べにいくのだった。