風呂から上がってパジャマに着替え、髪を乾かしてリビングのソファーに腰掛けていると、みなとがやってきた。
「…………」
「…………」
彼女は俺の隣に腰掛けるが、今度は何もしてこない。微妙な空気のまま、時間だけが過ぎていく。
時刻は午後八時半。まだ寝るには早い。あと二時間くらいは何かできるだろう。
でも、この空気の中、何をしろというのだ! 俺が悩んでいると、みなとが切り出してきた。
「ほまれ、もうちょっとだけ、ゲームしない?」
「……いいよ」
みなとが再度ゲーム機を引っ張り出してきた。夕食の前は多人数での対戦ゲームや格闘ゲームをやったが、今度はアドベンチャーゲームだ。二人で協力しながらステージを進めていく。
しかし、先ほどの空気感を引き摺っているせいか、俺たちの間に言葉は少ない。対戦ゲームではないからというのもそれを後押ししている。
黙々とゲームを進めていると、ついにボス戦に突入する。とはいえ、敵の攻撃はかなり単純なパターンなので、ひたすらミスをしないように操作するだけだ。AIを使うまでもない、と俺は判断した。
すると、不意にみなとが聞いてきた。
「ほまれ、さっきのことで怒ってる?」
ミス。俺が操作しているキャラがダメージを受けて、ライフゲージが三から二に減った。
「……まったく怒ってないといえば嘘になるかもしれない」
人に自分の体をむやみやたらに触られるのは、正直あまり好きではない。それがデリケートな部分であればなおさらだ。いくらみなとでも、だ。
「……ごめんなさい」
「だけど、それよりもビックリしたかな」
これまでみなとはずっとクールな感じの人だと思っていたし、実際出会ってから二年以上もの間、俺にはそのように振る舞っているように見えた。だからこそ、勉強している時、俺を押し倒してきたのにはビックリしたし、恩義の問題をチャラにした後でも、妙に積極的だったのには戸惑った。
だけど、考えてみれば当たり前だ。みなとだって人間だし、一人の女の子だ。ましてや、自分の家で二人きりでお泊まりとかいうシチュエーションなのだ。そうなっても別に不思議ではない。
みなとはさらに質問を重ねてきた。
「私のこと、嫌いになった?」
ミス。俺が操作しているキャラがダメージを受けて、ライフゲージが二から一に減った。
「……その質問はズルいよ」
そんなの、質問の体をなしていない。『いいえ』一択じゃないか。あんなことがあっても、みなとが好きだという俺の気持ちは微塵も揺らがない。みなとはそれをわかって質問しているのだろう。
それに、正直に言えば、みなとにああいうことをされた時、俺の中に生まれた気持ちは、もちろんネガティブなものもあったが、ポジティブなものもあった。
この体になってから、俺はずっと不安だった。みなとは文字どおり見間違えるような体になった俺を受け入れてくれた。だが、それは実は表面上のもので、本当は俺のことが好きではなくなった、あるいはすでに嫌いになっていて、惰性で付き合ってくれているのではないか、と。そういう疑いが、俺の心の奥底には付き纏っていた。
しかし、今日の反応で改めてわかった。綺麗な話ではないが、そういうことを今の俺にもしたくなるほど、俺のことを好きでいてくれているのだ。それで確信を得るなど奇妙な話ではあるが、人間の本能こそどんな言葉よりも信用できるものだ。そのことを言葉にする前に直感的に理解して、俺は安心していたのかもしれない。実際、今もみなとに対しては、ちっとも悪い感情は湧いていなかった。
「……よしっ!」
やっとボスを倒した。みなとが隣で小さくガッツポーズをしている。
時刻は午後十時を回った。もう寝てもおかしくはない時間だ。
「そろそろ寝ない?」
「そうね」
みなとはゲーム機を片付ける。俺は伸びをすると、みなとに尋ねた。
「……この家には、布団とかないの?」
「布団はないわね。うちは皆ベッドで寝ているから」
「そっか……じゃあ俺はソファーで寝るよ」
その言葉に、みなとは目を丸くする。
「えっ、そんなこと、ほまれにさせられないわよ。せっかく泊まりに来てくれたのに……」
「でも、みなとのベッド、一人用でしょ?」
「そうだけど、詰めれば二人でも寝られるわよ」
「でも狭くない? 俺は床で寝てもいいんだけど」
「そんなことさせられないって」
「じゃあどうするの?」
「一緒に寝るのよ」
みなとは俺の手を掴んで自分の部屋に戻る。俺は引っ張られるままその後ろを着いていき、みなとの部屋に入った。
彼女はベッドに乗ると横になり、掛け布団をまくってこっちを向く。
「さ、早くこっちに来て」
「えぇ……その、年頃の男女二人が一緒のベッドに寝るのは……」
「それを言ったら夏休みの旅行の時なんて男一女四で、一部屋で布団を広げて一緒に寝たじゃない」
「まあそうだけど……でも、今回は密着度が違うっていうか……」
「いいのいいの、寒いんだから、密着した方が暖かく寝られるわよ」
みなとは体を起こすと、俺の手を掴む。そのまま俺はみなとのベッドに引き摺り込まれた。
バフンとベッドの上で横になる。彼女は掛け布団を俺の体にもかけると、リモコンで部屋の照明を消した。
一瞬視界が真っ暗になる。すぐに暗順応をして見えるようになると、目の前にみなとの顔があった。
改めて見ると、本当にみなとは綺麗だ。美少女と呼ぶにふさわしい、整った顔立ちをしている。本当に自分がこんな人と付き合えているのかと、この現実を疑いたくなってくるほどだ。しかしこれは紛れもない現実。俺はこの人のことが好きで、この人と付き合っているのだ。
逆にみなとは俺のことが好きだ。過去には、人間だった頃の俺のことを、そして、現在は、今の俺のことを。
だが、ここで俺はふと一抹の不安に襲われる。みなとはもしかしたら、すでにこの体の俺のことが好きになっていて、俺そのものはすでに好きでもなんでもなくなってしまっているのではないか、と。
「みなと」
「何?」
「……俺のこと、好き?」
「好きよ」
「……それは、今の、この体の俺? それとも」
「ほまれはほまれよ。あなたは何も変わらないわ」
「……そっか」
幸運なことに、みなとは俺のことを好きでいてくれた。みなとの、俺を見つめるその目からは、俺が入っている器など関係がない、という言葉が滲み出てきているように思えた。
みなとが俺の背中に手を回す。俺も同じようにみなとの体に手を回す。
そして、俺たちは引力で引かれ合うかのごとく近づく。二人の体の隙間が小さく圧縮され、布団の中に熱が籠る。
息がかかるくらいの距離で、息が感じられそうな声で、みなとが囁く。
「ね、昼間、私、ほまれを押し倒したじゃない?」
「うん」
「その理由として、ほまれから受けた恩を返すため、って言ったわよね」
「……もしかして嘘だったの?」
「嘘じゃないわ。半分はそのとおりよ」
「じゃあ、残りの半分は……?」
「……んっ」
みなとは、答える代わりに俺の唇を自分の唇で塞いだ。
数秒にわたるディープな接吻。ちゅっちゅっと音が聞こえてきそうなくらい濃いキスをしてから、みなとはようやく口を離した。
みなとは口元についた糸を舌で舐めとる。その顔は、闇の中でもわかるくらい赤く、そして今まで見たことがないくらい色っぽかった。
「……いいわよね」
「……うん」
俺は目を閉じて、みなとに体を任せることにしたのだった。