「……大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だよ」
数分後、トイレから出ると、心配そうにみなとが声をかけてきた。
二時間のゲームをAIにさせたことによる画面酔いの代償は、トイレに数分間こもらざるをえないほどの吐き気だった。
とはいえ、充電式の俺の体に胃は存在しない。当然、胃の中の消化物や胃酸も存在しない。
その代わりに俺が吐き出したものは、唯一口から摂取できる物体、すなわち冷却水だった。俺には水を経口摂取できる機能がついているのだが、普段それが通るルートを遡って、水がゴボゴボと出てきたのだった。
結果的に、俺はみなとの家のトイレに水を足しただけだった。こう考えると本当になんてことないのだが、水を吐き出している本人からすればかなりの地獄だった。
それにしても、まさか気持ち悪くなったら水をゲロる機能があるなんて、全然予想もしていなかった。というか、なんでこんな変な機能がついているんだ……。逆流防止弁でもつけて吐けないようにすればいいのに、みやびはいったい何を考えてこれを実装したんだ。
とにかく、気持ち悪さを解消する代償に俺は百数ミリリットルの冷却水を失った。
「それじゃ、さっさとご飯作っちゃおうか」
「そうね……といっても、ほまれが作るのよね」
「そうだよ」
「なんというか、悪いわね」
「いいよ別に。そういう約束だったし」
今回の夕食は、みなとのリクエストで俺が作ることになっていた。メニューはカレー。俺の得意な料理だ。気合いが入る。
「何か手伝うことはあるかしら?」
「じゃあ、ちょっとお願いしようかな」
俺はときどきみなとに手伝ってもらいつつ、カレーを作っていく。
これまでに何度も作ってきたので、もはや慣れたものだ。
そして、午後六時前にはカレーが完成した。鍋からはいい匂いが漂ってくる。
俺は食べたい気持ちを必死にこらえて、みなとのお皿に大量に盛り付けて、食卓の上に置いた。
「できたよ〜」
みなとの前には大盛りのカレー。それを前に彼女の目はキラキラと輝いている。
「いただきます!」
早速食べ始める。さて、そのお味は……。
「おいしい!」
「それはよかった」
「やっぱり、私の家のカレーとは少し味が違うわね」
やはり作る人によって若干の味の差は出てくるようだ。きっと使っているルーの種類や、隠し味のせいだろう。
「ほまれも食べ……られないのよね」
「そうなんだよ、残念ながら」
「食べられるんだったら、あーんとかしてあげられたのに……」
ちくしょー! この瞬間ほど、ものを食べられる機能が欲しいと思ったことはない! どうしてゲロる機能はあってものを食べる機能はないんだよ! なんでなんだよ、もう……。
結局、みなとはかなりの量があったカレーをペロリと平らげてしまった。
「まだカレーは鍋に残ってるのよね?」
「うん……でもさすがのみなとでも食べきれないと思うよ」
鍋の中には、今みなとが食べた量の二倍くらいのカレーがまだ残っている。いくら大食いのみなとでも、全部食べきれないだろう。もし食べきれたとしても胃もたれは免れない。
「もう食べないわよ。残りは寝かせて明日以降、家族でいただくわ」
「そっか」
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「皿洗いと片付けは私がやっておくわ。料理を作ってもらったのだから、それくらいは私にやらせて。ほまれはゆっくりしていて」
「……わかった。じゃあ、先にお風呂に入ってもいい?」
「いいわよ」
俺はみなとの部屋に戻ると、自分の荷物から着替えや洗面用具を取り出してお風呂に向かった。ご飯を食べる前にあらかじめ自動でお湯を沸かすボタンを押しておいたので、すでに湯船にはお湯が張っている。
俺はポイポイと服を脱いでさっさとすっぽんぽんになると、風呂場に入る。
そして持ってきたタオルで体を洗おうとするが、ここで俺は問題点に気づいた。
「どれを使って洗えばいいんだ……?」
俺が持ってきたお風呂用具は、体を洗う用のタオルと体を拭くためのバスタオルだけ。シャンプーやボディソープはみなとの家のものを使わせてもらうつもりだった。しかし、俺の家で使っているものとみなとの家で使っているものは種類が違う。だから、目の前のカウンターにズラッと立っている容器のどれを使えばいいのか、俺にはさっぱりわからなかった。
たぶん、容器の裏側を見れば『ボディソープ』とか『シャンプー』とか書いてあるはずだから、どれがどの種類かはわかると思う。しかし、もしかしたら使われたくないものもあるかもしれない。ここはみなとに聞くしかない。
しかし、現状俺は真っ裸だ。みなとはまだ台所で片付けをしているだろう。この状態で外に出るのはさすがに恥ずかしい。
とりあえず、風呂場から出たらすぐにバスタオルを巻いて、みなとを呼ぶか……。
「……それかこっちに来てくれたらいいんだけど」
「あら、お呼びかしら?」
「へぇぁっ⁉︎」
直後、背後からみなとの声がして、俺は変な声を出して振り返ってしまった。
「ほわあぁっ!」
その瞬間、みなとの素っ裸が目に入って、俺はそのまま逆再生をするように前を向いた。
「なななななんでここにみなとがいるんだよっ!」
「あら、いいじゃない。恋人なんだし、一緒にお風呂入るくらい」
「みなと、忘れてない? こんな見た目でも、中身は男子高校生だよ?」
「夏休みの旅行で私たちの裸を散々見たくせに?」
「う゛っ……あれは事故というかなんというかその……」
「私は別に気にしないわよ。それに今のあなたの体じゃ、変なことをしようとしても何もできないでしょ?」
「そりゃそうだけどさ……!」
そういうと、みなとは隣でシャワーを浴び始めた。俺は目のやり場がなくて、体を洗うタオルを抱えたまま、みなととは反対の浴槽の方を見続けるしかなかった。
「そういえば、何か聞きたいみたいだったけど、何だったの?」
「ああ、えっと……ボディーソープにどれを使えばいいのかわからなくて」
「そういえば言ってなかったわね。ボディーソープはこれ、シャンプーはこれ、トリートメントはこれよ」
そう言ってみなとはポンポンポンと俺の目の前に容器を並べていく。
「ありがとう、助かるよ」
それにしても、隣でみなとがいることばかり意識してしまって、全然集中できない!
俺は急いでこの空間から脱出するべく、高速で体と髪を洗って湯船の中に入る。もちろん、みなとの方を見ないように、壁を向いて体育座りをする。
すると、間を置かずに隣でザブンと何かが入る音。アルキメデスの原理により湯船から溢れ出したお湯が、ドッシャアアと風呂場の床に叩きつけられた。
そして、俺の体にピッタリと何かが押し付けられる。みなとの体だ。
隣には生まれたままの姿の彼女がいる。そう考えただけで頭が爆発しそうだった。
「前から思っていたけど、ほまれってものすごくいやらしい体しているわよね」
「いやらしっ……ナイスバディと言ってくれ! それに俺は望んでこんな体になったんじゃないから! この体を作った人の趣味だから!」
「ホント、嫉妬するくらい『女の子』してるわよね、ほまれ」
すると、後ろからみなとが俺の背中を触ってくる。そしてすーっと手を下げていき、俺のお尻のところまで動かした。
「どこ触ってるのみなとさん?」
「お尻。柔らかいわね」
開き直るな! それに揉んでも何も起こらないぞ!
そんなことを思っていると、不意にみなとが俺の背中にピッタリとくっついてきた。そして、両手で俺のお腹を触ってきた。
「なななな……みなと……」
「何かしら?」
みなとの、息の混じった声が俺の右耳の近くで聞こえて、俺は鳥肌が立つ……ような気がした。何かしら? じゃないんだよ! 背中にダイレクトに伝わる感覚に、俺が気づいていないはずがなかった。
「……アタッテマスケド」
「……当ててるのよ」
衝撃の回答。いつもよりも明らかに違う様子に、俺は戸惑いを隠せなかった。そりゃ、昼間俺を押し倒してきたけど……俺への恩返しという事情を抜きにしても、今日はかなり積極的だ。
「ほまれって本当にお腹が引き締まってるわね、羨ましいわ」
みなとは俺のお腹を両手で柔らかく撫でていく。妖艶な雰囲気に呑まれそうになるが、俺は必死にそれに抗う。だが、俺の背中に押しつけられるみなとの胸と、俺のおへそをぐりぐりと触るみなとの手つきで、俺の理性は崩壊寸前だった。
すると、みなとは俺のお腹から手を上げていき……。
「だぁ! これ以上はダメ!」
耐えきれなくなった俺は、勢いよく立ち上がると、頭がどうにかなる前に、逃げるように風呂場から脱出したのだった。